買収側の「正しさ」を押しつけると統合が失敗する【中小M&Aの100日統合5】

M&A後、買収側と譲渡側で給与、評価制度、役職が異なると、経営者は早く統一したいと考えます。
同じグループで働いているのに制度が違えば、不公平に見えるからです。人事管理を一本化し、社員に一体感を持ってもらいたいという考えにも合理性があります。
しかし、成約直後に制度を一律に統一すると、かえって不公平感や人材流出を招くことがあります。
給与や役職の違いには、業務内容、労働時間、地域の賃金水準、会社の歴史など、それぞれの理由があるからです。
大切なのは、違いをすぐになくすことではありません。違いが生まれた背景を把握し、社員への影響を確認したうえで、統合の方法と時期を決めることです。
「同じにすること」と「公平にすること」は違う
買収側と譲渡側で、同じ「課長」という役職でも、担っている責任は同じとは限りません。
一方は10人の部下を持ち、採用や評価まで担当している。もう一方は部下を持たず、専門職として顧客対応を任されている。この二人の給与や評価基準を、役職名だけでそろえることは適切ではありません。
反対に、役職名が違っても、実質的には同じ責任を負っている場合もあります。
制度統一では、名称や金額だけでなく、次の点を比較する必要があります。
- 実際の職務内容
- 責任と権限
- 労働時間や勤務形態
- 必要な技術、資格、経験
- 業績への影響
- 転勤や異動の範囲
- 地域の採用環境
- 手当や賞与を含む総額
表面上の違いをなくしても、仕事と処遇の関係が説明できなければ、社員は公平だと感じません。
給与は基本給だけで比較しない
給与制度を比較するとき、基本給だけを見ると判断を誤ります。
実際の処遇には、さまざまな要素が含まれています。
- 基本給
- 役職手当、資格手当、住宅手当
- 固定残業代や時間外手当
- 賞与
- 退職金
- 営業報奨金
- 所定労働時間
- 休日数や休暇制度
- 福利厚生
基本給は譲渡側のほうが高くても、賞与や退職金を含めると買収側のほうが高い場合があります。給与額が同じでも、所定労働時間が違えば、一時間当たりの条件は異なります。
まずは、両社の制度と実際の支給状況を一覧にします。
規程だけでなく、個別の雇用契約や例外的な運用も確認することが重要です。「規程では支給しないことになっているが、長年支給している手当」などが存在する場合もあるからです。
労働条件は一方的に変更できるとは限らない
給与や勤務時間などの変更は、経営上の判断だけで自由に行えるものではありません。
労働契約法では、労働条件の変更は労働者と使用者の合意によることが原則です。使用者が就業規則を一方的に変更しても、原則として労働者に不利益な労働条件変更はできません。
就業規則によって労働条件を変更する場合には、変更の合理性や変更後の規則の周知などが問題になります。
合理性は、社員が受ける不利益の程度、変更の必要性、内容の相当性、労働組合などとの交渉状況といった事情を踏まえて判断されます。
厚生労働省「労働契約」
また、株式譲渡、事業譲渡、会社分割など、M&Aの手法によって労働契約の取り扱いや必要な手続きは異なります。
特に事業譲渡では、労働契約の承継について労働者本人の承諾が必要になるため、案件ごとの確認が欠かせません。
厚生労働省「企業組織の再編に伴う労使関係」
制度を変更する際は、社会保険労務士や弁護士などの専門家に確認しながら進める必要があります。
評価制度を急いで統一すると何が起こるか
買収側の評価制度が細かく整備されている場合、それを譲渡側にも導入したくなります。
しかし、評価制度は用紙や点数だけで機能するものではありません。
- 評価対象となる仕事が明確か
- 目標を設定する習慣があるか
- 評価者が部下の仕事を理解しているか
- 評価者への教育が行われているか
- 結果を本人へ説明できるか
- 評価が給与や昇進へどう反映されるか
これらが整わないまま制度だけ導入すると、社員は「仕事を知らない買収側から評価された」と感じます。
特に避けたいのは、新しい基準を過去の勤務実績へさかのぼって適用することです。
新制度を導入するなら、基準を事前に説明し、いつから、どの仕事を評価するのかを明確にする必要があります。
役職変更は組織の力関係を変える
M&A後、新しい組織図を早く示そうとして、役職を一斉に見直すことがあります。
しかし、中小企業では、正式な役職と実際の影響力が一致していない場合があります。
役職を持たないベテラン社員が現場をまとめている。営業部長よりも担当者のほうが主要顧客から信頼されている。旧経営者の家族が経理や社員間の調整を担っている。
こうした実態を把握しないまま役職を変更すると、指揮命令系統がかえって混乱します。
役職を見直す前に、次の点を確認します。
- 現在担っている実際の役割
- 本人が持っている権限
- 部下や周囲からの信頼
- 顧客や取引先との関係
- 役職変更によって止まる業務
- 新しい体制で期待する責任
役職名を残す場合も、何を決められるのかを明確にします。名前だけ同じで権限が失われれば、本人にも周囲にも不信感が残ります。
すぐに是正すべき問題もある
制度統一を急がないことは、問題のある状態を放置するという意味ではありません。
次のような事項は、優先して確認・対応する必要があります。
- 未払い賃金や長時間労働
- 最低賃金を下回る可能性
- 社会保険などの手続き上の不備
- ハラスメントや差別的な取り扱い
- 雇用契約と実際の勤務条件の不一致
- 安全衛生上の重大な問題
- 誰が人事判断を行うのか分からない状態
中小企業庁の中小PMIガイドラインも、人事・労務上の法令違反などを是正するとともに、両社の社員が納得できる規程や人材管理の基盤を整えることを、人事・労務分野の目標として示しています。
同時に、社員が不満を持っていた賃金体系や人事評価をM&A後も放置し、離職につながった失敗例も紹介されています。
中小企業庁PDF資料「中小PMIガイドライン・人事労務分野」
「すぐ統一しない」と「何も改善しない」は別です。
制度統合は五つの段階で進める
給与、評価、役職の統合は、次の順序で進めると整理しやすくなります。
1.現在の制度と運用を調べる
就業規則、賃金規程、人事評価表、雇用契約書などを確認します。
書類上の制度だけでなく、実際にどのように運用されているかも調べます。
2.違いが生まれた理由を確認する
業種、職種、地域、採用環境、勤務時間などを確認し、制度の違いに合理的な理由があるかを考えます。
3.社員への影響を試算する
制度変更によって、誰の給与や役割がどのように変わるのかを個人単位で確認します。
平均額だけでは、特定の社員が大きな不利益を受ける可能性を見落とします。
4.移行方法を決める
すぐに変更するのか、一定期間は旧制度を残すのか、経過措置を設けるのかを決めます。
変更後の制度だけでなく、移行中の取り扱いも明確にします。
5.説明し、運用後に見直す
変更の目的、時期、影響、相談窓口を社員へ説明します。
実際に運用すると想定外の問題が起こるため、見直し時期も決めておきます。
社員への説明で避けたい言葉
制度変更の説明で、「親会社の決まりだから」「同じグループだから」という言葉だけを使うと、社員は一方的に扱われていると感じます。
必要なのは、変更によって何を実現したいのかという説明です。
たとえば、次のように具体化します。
- 仕事内容と評価の関係を分かりやすくする
- 昇進や昇給の基準を明確にする
- 職種間の不合理な差を見直す
- 社員が将来の役割を描けるようにする
- 法令上の問題を解消する
社員から反対意見が出た場合も、単なる変化への抵抗と決めつけてはいけません。経営側が気づいていない不利益や、運用上の問題を示している可能性があります。
統一はゴールではなく、納得できる仕組みをつくる手段
M&A後、給与・評価・役職を永遠に別々のままにする必要はありません。
ただし、成約したという理由だけで、買収側の制度へ直ちに合わせることも適切ではありません。
制度統合の目的は、管理を簡単にすることだけではなく、社員が自分の仕事、責任、処遇の関係を理解できる状態をつくることです。
両社の制度を比較し、違いの理由を確認し、不合理な部分を改善する。そのうえで、必要な移行期間を設け、社員に説明します。
制度を同じにした日が、人事統合の完了日ではありません。
社員が新しい基準を理解し、その基準で公平に扱われていると感じられるようになって、初めて人事制度が組織統合の力になります。
次回は、M&A後100日間のアクションプランを、誰が・いつ・何を行うかという実行計画へ落とし込む方法を解説します。


