似て非なる言語-そうだったのかー│No.4「愛着と好き」、口癖「どうでもいい」
心理学視点から説く│優しさと親切

他者に優しくするのと、親切にするのはどう違うのか。相手を思いやる気持ちと心配りにそれほどの大差を感じないが、正確には全く違う心である。
何が違うのか。優しさから考えてみる。この言語は、人と人との対人関係において生じるものである。そもそも対人とは何か。人と人との間における交流において生じることは、言語による情報伝達と交換と理解。そして感情交流における共感と怒り、即ち愛と憎しみである。
しかし、常に人と人との間にそれが生じるかといえば、そうではない。交流の深さ、密度、理解度によって変わってくる。交流における時間と空間を考えて、区分けしなければならない。
親切とは
先ず親切は、見ず知らずの人に対しても生じる。ただし、ここで問題なのは、他者への関心度である。人が困っていても苦しんでいても通行人は知らんふりに通りすぎることが出来る。しかし、他者への関心とヒューマニズムや平等の心を持った人は、決して放っておくことが出来ず、手助けする。それが親切である。
ここに最も大事なことは、利害が介入しないことである。人としての平等意識がなければ、人は他者に対して手を差し伸べない。
優しさとは
優しさはどうだろう。親切との大きな違いは、手助けや救いを求めている間柄でもないことが前提である。対等な関係における、言葉に出来ない内面への関心と配慮性こそ優しさである。それには言葉の裏にあるその人の無意識にまで寄り添うことの出来る洞察力が必要である。
労りや共感的感情表出で表せるものではない。存在そのものを支え、励まし、勇気づける言葉と態度しか、相手の心に届かない。それを優しさという。
御為倒しや、通り一遍の励ましやお世辞で伝えるものとは、根本的に異なる。心の底から相手に力を与え、安心させる一言こそ、優しさであることを知っている人のみが表せる心である。
心理学視点から説く│口癖「ダルイ」とは

漢字では「怠い」「懈い」になる。意味は、疲れたような、おっくうな感じ。のろい、鈍いである。「だらける」もこの範疇に入る。いずれにしても「倦怠」という言語に集約される。
ダルイは対象の物、事、人に対して嫌になり、飽きて退屈している時の心的状況であり態度を指す。対象世界に対して倦んだ心は、心が膿んでしまう。気力がとけてしまうのである。何もヤル気がなくなり、無気力となり、すべてのことがダルイになる。
対象に愛着や楽しみ、喜び、安らぎを感じることが出来るなら、そこに疲れは発生しない。この対象の多くは趣味といわれる。好きな事や人、物に飽きることも倦むこともない。
ダルイと言う人は、趣味の無い人の口癖といえる。人生や現実界に対して積極的に前向きに、発展的に取り組んでいる人は、生きることに退屈することも倦むこともない。人生を楽しく生きていく事の出来ない人は、生きていること自身もダルイのである。つまらない人生にしてしまっている。
ダルイからの一発逆転!
しかし、いつでも一発逆転ができる。それは、好きな事、人、物をみつけ、それに取り組むことである。人生の再構築、即ちリストラクションするのである。自らをリストラし、新しい自分を創造する、その第一歩を踏み出す勇気を持て! と言いたい。
生きることに怠けていれば、そこには心が膿むか腐るかしかないことを知るべきである。
生きるとは流れること、歩むこと、そして登っていくことなのである。一瞬もとどまっているヒマはない。歩め、歩め、進め、飛べ、そして掴めである。きっとそこには、あなたが一度も見たことのない、きらびやかな光景が広がっていることだろう。
No.6「孤立と孤独」、口癖「ムカツク」⇦
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⇨ 事実と真実の違い、「現実」「解釈」「真理」実例でわかりやすく
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