似て非なる言語-そうだったのかー│No.2「ゆとりと余裕」「やってられない」
心理学視点から説く│愛着と好き

四月は別れと出会いの季節であるが、別れは哀しく淋しいものと決まっているが、別れられて清清とする場合もあり、喜びにもなり、安心をもたらすこともある。何がそれを分けるのか。
別れが哀しいものである場合は、対象の物や人に対して、良き憶い出と依存し切った関係を愛着、つまり惚れ込みという。自らの意志廃棄し、他に委ねてしまう依存情態が生じた人や物に対して、愛着心が生じたという。
それは、土地、地域、学校、学友、自然など、自己を取り巻く環境に対して、そこに自我が関わり、自己が存在した証しとして記憶と愛着が合成したノスタルジーとして置き換えられる。郷愁として心はその地に留まる。それ故、即ち離れても遠くから思いを馳せることができるのである。
愛着とは、対象となる人、物、事との対話があり、情の交流を伴った記憶の共有を保持し合う関係に存在するものである。それに対して「好き」は、対象に対して一過性の高揚感をもたらす刺激性の感情をいう。一過性のために持続はなく、嫌いになるか、忘れるか、興味を失うこともある、意味ではなく刺激によるために、持続する感情ではない。
しかし、そんな「好き」の中に、対象への関係も由来も物語も興味もないのに、何故か好きと言える場合がある。それは感情ではなく、対象との同一性を見出したものに対しては理由もないのに、根拠もなく「好き」と思える対象もある。それを持っている人は、生まれながらにそれが好きな対象として、DNAに書き込まれているとしかいいようがない。
そんな好きな対象と出会えた人は幸運である。ノーベル賞をとった人は、皆すべて生まれながらの好きな対象とすごして来た人達である。
心理学視点から説く│口癖「どうでもいい」とは

人は自分に無関係だったり、無価値なものに出会ったり関わろうとしてくる事象を遠ざけたり、切断するために「どうでもいい」と言い放ち、そのモノを遠ざけ、排除して自らを防衛するときに、口にする言葉である。主体や自我が危険にさらされたと感じた時、素早く口にする言葉である。本来はどうでもよくなく、自分に関わって欲しくない時に、咄嗟に口にする。
自我や主体が脅かされる時とは、どんな時か。拒絶ではなく、遠ざけようとする防衛対象を考える。それは、自我が触れてはいけないと規定した対象である。それは自我を虜にする対象であることから、排除していたモノである。自我専有されてしまえば、それ以外は無価値になってしまい、それまでの人生を一切放棄することになるため、今の人生を否定したくないために見て見ぬふりをする。それは自己を守るためである。
自己を守るとは何か。何から何を守り、自己は何者でありたいのか。私という全体性の保持が、自己の目的である。自己は自己保存のために、今まで通りの人生を生き、安心と安全の変わらぬ日々を送ることを、使命づけられている。自己保全がすべての目的である。
変わらないこと。新しいもの、変化、チャレンジは危険な事項になる。敢えてそれは遠ざけて悪ものにする。変わることの心的エネルギーを努力というが、その為にエネルギーが消費することは、効率を重んじる自己にとって少しも経済的ではないため、今まで通りの無変化を選ぶ。
ところがそれには正反対に新しいことにチャレンジし、果敢に挑戦していくプログレッシブでアドベンチャーな一群の人達がいる。それは一見発展的で成長と勇気がある行動のように見えるが、一歩間違えば危険な状況に成り得るリスクが在る。それは一歩間違えば、成長が自己破壊につながることである。その寸前でコントロールできるならば、それは正常な挑戦といえるが、限度を知らない場合は、無謀の一言になる。どうすればバランスの良い対象との距離を持つことができるのか。
それは己を知ることである。
No.3「決心と決断」、口癖「もういい」⇦
⇨ 人間とは何か「精神科学に基づき心の病を癒し人間の謎を解き明かす」
⇨ 事実と真実の違い、「現実」「解釈」「真理」実例でわかりやすく
⇨ マイペースな人の特徴と心理。マイペースと自分勝手、我がまま、気まま、自由の違いとは



