似て非なる言語-そうだったのかー│No.1「自律とわがまま」「面倒臭いと億劫」
心理学視点から説く│意志と頑固の違い
頑固とは
頑固とは「頑迷固陋」の四文字熟語の圧縮からできた文字である。意味は「かたくなで意地っ張りなこと。人の言うことや情勢の変化など無視して、それまでの考えや態度を守ろうとすること」と辞書にはある。固陋は「見聞が狭くてかたくなであること。古いことに頑固に執着し、新しいものを嫌うこと」とある。
どちらも自らの考えに固執して、吟味や反省、検討をせず、対立する考えや主義主張に対して排除することしかしない態度が共通している。自らの考えをそんな観点から見直す、視座の転換ができないことを頑固という。
心理的理由
その理由を分析してみる。
先ず、頑固は、そもそも自らの考えを再検討するという前提がない。それは自分の考えは絶対正しく間違っていないという誤った信念に基づいていること。次に自らの考えを他者になって再吟味、再検討し精査する知性と勇気に欠けている。この二点において、視座の転換は有り得ない。この状況を頑固という。
心理的には、間違っていると気付くことで傷付く自己愛による防衛の一形態が頑固ということになる。それに自己を改めることを面倒臭いという言い訳を盾にする怠け者を頑固という。
意志とは
「意志」は対象実行と実現を目指した、主体的自我の行動全体を支える欲望である。故に意志はそれらのものの善悪や正誤ではなく、対象との関係を構造化、自我が対象との同一化を果たすまでのプランとプロセスをプログラミングした、実現・実行ソフトである。
そのプログラム言語とアルゴリズムは「する」である。何が何でも、どんな困難が立ち塞がろうとも「する」を貫く、そのためのアルゴリズムをつくり続けるソフトこそ、意志である。
意志あるところに不可能はない。事を不可能にするのは、「できない」と「諦め」である。
心理学視点から説く│口癖「呆れる」とは

人が呆れる時は、常識や予想を超えたり反したりした場面に遭遇した時「呆れた」表情、態度、そして言葉を発する。法を逸脱すれば犯罪であるが、呆れた言動は、法に触れない一般常識やマナー、道徳、倫理などの人間の定義から甚だしく外れた時に、それは人としてあるまじき行為として、呆れるのである。
常識を逸脱した行為に対して、人は呆れる以外の反応はないのであろうか。一つはそれを「非常識な行為」と認識する。それを諫める、糾弾する、諭す、窘める。等があるが、それをするには知性と説得力がなければならない。唯呆れるだけでは、人は成長しない。
これを教育という。人ははじめから常識や道徳を身に付けている訳ではなく、総て教育によって学習し、習得し、適応していくのである。教わらない事は、人は決して出来ない生き物である。
呆れるで事を済ませてしまえば、人は学習の機会を失う。良き大人はそこで諭す。そして道を外した者は、正道に復帰できるのである。呆れることしか出来ない人は、常に人の行動の予測をし、自己が描く他者の行動予測と照合してみている。そして不一致の時は呆れるのである。他者の一挙手一投足をシミュレーションしながら、その動きを予想し、いざという時に備えて身構えている人である。
照合の基である自己の予測アルゴリズムをそう簡単に変える訳にもいかず、事はそう容易ではないことも知っている。故に既往のプログラムを使うしかない。この融通のきかない状況を頑固に守るしかないのである。
再プログラミングに必要なのは、常識を捨て、一般論と正論を捨て、先ず相手をよく見、言っている事をよく聞き、理解するように努めることである。
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