オルネラ・ヴァノー二「逢いびき」
「大久野島」は、広島県竹原市忠海町の沖合い3kmの「瀬戸内海」に浮かぶ、周囲4.3kmの小さな島です。
昭和4年に「日本陸軍」の「毒ガス工場」が建設され、第二次世界大戦末期まで毒ガスが製造されていました。
戦後、「GHQ」により施設は解体され、「毒ガス」は海洋投棄や焼却などで処理されました。太平洋戦争終戦時に島内に残留していた毒ガスの量は、「イペリットガス1,451トン」「ルイサイトガス824トン」「クシャミガス958トン」「催涙ガス7トン」計3,270トンといわれています。
終戦後、「GHQ」(主にイギリス連邦占領軍のオーストラリア軍)や政府により施設解体や残された化学兵器の処分が、周辺海域への「海洋投棄」や「火炎放射器」による焼却、島内での地中処分といった方法で行われ、除毒措置も施されましたが、処分は十分ではなく、現在でも島内地下4~5メートルの土壌で高濃度の「ヒ素」が検出されるなど、負の遺産を受け継いでいます。
戦後は島全体が「国民休暇村」に指定され、1934年には「瀬戸内海国立公園」になっています。
島内にはたくさんの「うさぎ」が生息していますが、これは「忠海町」の小学校で飼育されていた8匹のうさぎが放されて野生化したもので、現在250~300匹が生息しているといいます。
(讀賣新聞:13.08.21)
タウ・プロジェクトマネジメンツ一級建築士事務所