「マルモッタン・モネ美術館」:パリ
「小林多喜二」(1903年(明治36年)12月1日-~1933年(昭和8年)2月20日)は、日本の「プロレタリア文学」の代表的な作家・小説家です。
1933年2月20日、「共産青年同盟」中央委員会に潜入していた「特高警察」のスパイ「三船留吉」と赤坂の連絡場所で落ち合う予定で、「共産青年同盟」の詩人「今村恒夫」とともに訪れた。その待ち合わせ場所には、「三船留吉」からの連絡により張り込んでいた「特高警察」が待機していたため逃走を図ったが、逮捕された。同日の築地警察署内においての取調べについて、「今村恒夫」から話を聞いた「江口渙」が戦後発表した「作家小林多喜二の死」を、「手塚英孝」が『小林多喜二』の中で紹介している。
それによると、【警視庁特高係長「中川成夫」の指揮の下で、「小林多喜二」を寒中丸裸にして、先ず須田と山口が握り太のステッキで打ってかかった。】と記載しています。その後警察署から築地署裏の前田病院に搬送され、19時45分に死亡が確認と記録されています。
「小林多喜二」といえば、『蟹工船』(かにこうせん)です。『蟹工船』は、『戦旗』で1929年(昭和4年)に発表された小説です。「プロレタリア文学」の代表作とされ、国際的評価が高く、いくつかの言語に翻訳されて出版されています。
「小林多喜二」は、1933年2月20日没で著作権が失効しているため、本作は「青空文庫」にて無料で読むことができます。
この小説には特定の主人公がなく、「蟹工船」で酷使される貧しい労働者達が群像として描かれている点が特徴的です。「蟹工船」(「博光丸」)のモデルになった船は実際に北洋工船蟹漁に従事していた「博愛丸」(元病院船)ということです。
《讀賣新聞13.05.11》