「マルモッタン・モネ美術館」:パリ
20世紀初頭、ドイツはヨーロッパ第一の先進工業国となっていました。首都ベルリンは急速に人口が増え、深刻な住宅不足に悩まされていました。ベルリン市は、労働者のための公営住宅建設を計画しますが、第1次世界大戦勃発で計画を断念あるいは始まった工事を中断せざるを得なくなりました。第1次世界大戦が終結すると計画が再燃し、新たに開発された大規模プロジェクトが次々と実行に移されました。
ベルリンには、「ブルーノ・タウト」やバウハウス初代校長「ヴァルター・グロピウス」をはじめ「機能主義」といわれたモダン建築の先駆者たちが集まっていました。プロジェクトを任された彼らは、限られた予算の中で最高の建築物を生み出していきます。それらは80年を経過した今日でもなお新鮮であり、建築の手本となり得るものばかりです。どこを訪れてもこれが80年、90年前に建設されたとは信じ難いものばかりです。
モダン建築家たちは、低所得者のための集合住宅だからといって安普請の住まいを建てたわけではありません。限られた予算の中で苦労しながらも後世に残る素晴らしい作品をつくりあげています。
先ず心がけたのは、労働者に快適な住環境を提供することでした。部屋のタイプはワンルームから3部屋までとし、どのタイプにも台所、トイレ、風呂場を設けました。20年代末に建てられたものにはセントラル暖房や給湯蛇口まであります。建築の美しさも配慮され、外壁をきれいな色で塗り分けたり、色彩でアクセントを加えたりしています。建材も従来の石造りからセメント、砂、砂利に鉄を加えた「鉄筋コンクリー造」に変え、建設コストを抑えています。
こうした新しい建築技術とデザインが評価され1990年代から1934年までの間にベルリンで建設された集合住宅地のうちの6箇所が2007年8月、「世界遺産に登録されました。技術と景観、デザイン、都市計画などで際立っているだけでなく、その後の世界の集合住宅建設に影響を与えたことも評価されました。
タウ・プロジェクトマネジメンツ一級建築士事務所