オルネラ・ヴァノー二「逢いびき」
1496年、マニュエル1世国王は、リスボンの玄関口にあたるテージョ河沿いに、大いなる修道院を建設したいとヴァチカンに許可申請を行いました。建設工事は1501年に開始され、約1世紀後に修道院事業は完成しました。
ジェロニモス修道院を建設した最大の理由は、(ベージャ・アヴィス王朝)王家一族を、このパンテオンに集合させたいという願いが込められているからとされています。ドン・マニュエル1世とその子孫は、大理石の棺に納められて中心礼拝堂と真横の副礼拝堂に埋葬されました。
修道院をベレンの聖女に捧げたいと切望した国王の願いも建設の理由のひとつとさています。ここは、以前同じ場所にあったサンタ・マリア・デ・ベレン教会の後身で、かつてキリスト教団の神父達が、旅の水夫に救いの手を差し伸べていた場所です。
300メートルを超える細長さが特徴で、アジュダ、ヴァレ・デ・アルカンタラ、ラヴィエラ、リオ・セッコ、テルセイラなどから産出されたリオス石灰岩で建設されています。
この雄大かつ豪華な建築物を施工するため、数世代に渡る請負業者や建築技師が任命されました。ディオゴ・ボイタカ、ジョアン・デ・カスティーリョ、ディオゴ・デ・トラルバ、ジエロニモ・デ・ルアンなどが代表的な建築家です。
ドン・マニュエルは、ベレンの工事に膨大な予算を費やしています。俗に“胡楸税金” (東洋とアフリカ貿易の収益の5%:純金に換算すると年間70kg相当)と呼ばれた税収を建設に投入しています。
ドン・ジョアン3世の未亡人ドナ・クリスチーナは、1565年から1572年にかけて、王室のパンテオンの中に新たな中心礼拝堂を建設しましたが、その清浄な建築ラインは、周囲の豪華さとは好対象に造られています。王妃によって贈られた聖壇後方の大理石6枚の絵は、キリストの博愛を描いた宮廷画家ローレンソの最高傑作で、建築家ジェロニモ・デリレアンにより工事が進められました。
19世紀に部分的に改修工事が行われましたが、原型はとどめられ現在に至っています。
ジェロニモス修道院は、【マニュエル様式】の傑作といわれています。【マニュエル様式】は、ポルトガル独自の様式であり、【ゴシック様式】後半期と【ルネサンス様式】を融合させた様式であり、世界でも類を見ない見事な建築物です。
リスボン(画像)