離婚問題に強い弁護士
オリンピックと夫婦の調停・・・・ちょっと無理があるタイトルかな?と思いつつ、ちょっと共通点を感じながら、競技を見ていました。
とにかく、体操の内村航平選手、ちょっとハラハラした場面がありましたが、おめでとうございます。
ここで私が注目したのは、鉄棒です。これはメダル云々の話ではなく、鉄棒との相性です。
日頃日本の選手は当然ですが日本製の鉄棒で練習しているそうですが、オリンピック会場の鉄棒は
フランス製のようで「しなり」が違うようです。フランス製は固いというか、あまりしなりがないそうです。
そうなると当然、回転した時の円心率も変わってくるというものです。
私は体操の事はあまり詳しくないですが、車を運転しますので、ハンドルの遊びというか、余裕の部分の事なら、何となくわかります。
少しくらいハンドルを切っても、響かない範囲が在る為、それを逆に計算にいれてハンドルを切ります。
体操もそれと同じで、恐らくどの選手も、しなる幅を考えて身体を鉄棒に絡めて行くだろうし、回転のスピードも違ってくるで、その計算がオリンピック会場では成り立たないなんて、本当にショックだろうな、と思います。私なら成績も器具のせいにし、思いっきり言い訳を山盛りして器具を恨みます。
しかし、環境はどの選手にも公平ですから、そこを言わないスポーツマンらしさがありますね。
できればオリンピック開催場所が決まった時点で、会場ではどういう器具を使うか、リサーチして
日本に取り寄せて練習を重ねたいものです。
何故、こういう事を思うかと言うと、実はこれは夫婦の危機にも良く似た事が言えるからです。
例えば夫婦の危機に直面すると、調停となる事が多々あります。
そうなると、誰しも調停に慣れた人はおらず、たいていは初めての体験です。
これが準備不足や、認識違いを生み、結果を左右することになります。
調停とは、分かりやすく言えば、公的な場所でする夫婦げんかです。
ただ調停員というジャッジメントをする人がいる為、感情的な喧嘩にならずに済むというものです。
かと言って、冷静で公平な結果になるかと言えば、調停では今まで見てもいなかった姿を相手に見る事があります。
もっと言えば、作り事というか、オーバーを超えて、嘘の証言をして調停を有利に運ぼうとする人がいる事も事実です。
調停は公的な場所でする夫婦げんかという解釈であれば、確かに喧嘩に勝ち負けは付き物ですから、勝たなければ意味がないとも言えますが調停の場合、勝ち負けとは勝負という事ではなく、当人同士の希望を擦り合わせると言うことになります。
勝負事と書くといかつくなりますが、調停はやはりテクニックが必要です。
これを未体験の者同士に、要求するのは難しい事ではありますが、テクニックが無ければせめて研究が大事です。
この研究と言うのはインターネット等で知識を蓄えるという事ではなく、相手の出方をようく観察するという事です。
妻に多く見られるタイプですが、結婚生活の中で約束事を守って貰えなかったり、裏切られたりで夫婦喧嘩をして調停になっているにも関わらず、いざとなると夫をどっぷり信じてるという妻がいます。
この場合、調停で思ってもいなかった事を夫から言われただけで傷ついてしまいますが、そもそもを思い出して下さい。
信じる度に裏切られたりして、夫婦に亀裂が起きたはずです。その結果調停に入っているという事を忘れないでほしいのです。
これを忘れなければ、調停でちょっとくらい嘘を言われても、そういう人だという余裕が出来ます。
こういう余裕を持ってほしいのです。
ボクシングの相手のように、ジャブの腕を伸ばしてきても、身体にしなりがあれば、後ろにそらして避ければいいだけです、まともにジャブを食らう必要はありません。
嫌な事を言われたら、そもそも嫌な事を言われたりして傷ついた事はあったと思います。
つまりこれも、そういう事だから調停になったのだという論点に立てば、目新しい事ではありません。
夫婦の間で、何かのぶつかりがあっても、身体を後ろにしならせて、相手のリーチ(腕の長さ)を見るというくらいの観察力が必要ですし、その時には同時に逃げないと、まともに顔面を打たれては凹んでしまいますからね。
そういう意味で、余裕という事は大事です。
日常の夫婦間においても「しなる」事で、パンチを避けなければなりません。
相手の事をまともに、近しい人と考えていては、調停の意味がありません。
信じたい気持ちはちょっと、お預けし、調停になっている方は、相手との距離感を測りましょう。
人間関係、対人関係、夫婦関係・・・・・そのどれをとっても、しなりが必要です。