第十三話「安心が、対話を生む。」

ここまで語ってきた「間」。それでも、なぜ多くの挑戦は、うまくいかないのでしょうか。
なぜ、上手くいかないのか
他者との比較。黄金比を目指すボディメイク。メディアが次々と生み出す流行りの健康法。
そして、歩行が衰えることを「筋力の低下」と捉え、筋力トレーニングで解決しようとする発想。
これらは全部、同じ根を持っています。結果を、目的として先取りするという構造です。
本来、歩行は視覚・前庭覚・固有受容感覚・小脳・脳幹が統合されて生まれる、高度な神経ネットワークの産物です。筋肉は、その出力先にすぎません。歩行の衰えとは、多くの場合、筋力ではなく脳機能のネットワークの低下なのです。
だとすれば、出力(筋力)だけを鍛えても、根本にある「感覚と運動をつなぐ間」は取り戻せません。多くの人が、様々な挑戦をしても、なかなか上手くいかない理由は、ここにあるのかもしれません。
美しさを目指した瞬間、間は塞がれ、自然の力は働けなくなる。だから、目指せば目指すほど、遠ざかる。
「何このお腹っ!?」——鏡の前で、そう声が漏れたことはありませんか。もしかしたらそれは、比較でも基準でもなく、體が発する正直な直感だったのかもしれません。ただ、その後、私たちはその違和感の「原因」を、黄金比や他人の體型のせいにしてしまう。本当は、内側の循環が滞っているという、體からの通知だったかもしれないのに。
気づく力
朝日。夕陽。雄大な山々が織りなす景色。
これらは、いつもそこに在り続けています。
だとすれば、美しさとは、新しく作り出すものではなく——すでにあるものに気づく力なのかもしれません。
美しさは、體や自然現象の側だけの性質ではなく、それに気づける「間」を、こちら側が持てているかどうかの話でもあります。月は変わらずそこにあるのに、見上げる間がなければ、美しさは存在しないのと同じになってしまう。
氣づく側と、氣づかれる側。両方の状態が噛み合った瞬間に、美しさは立ち現れる。それは、歩行が成立する瞬間とも似ています。地面は、ただそこに在るだけでは足りない。體がその重力と地面を、正確に「読める」瞬間に、はじめて歩行は自然に成立します。
體は、脳へ無数のメッセージを送り続けています。
内臓感覚、固有受容感覚、皮膚感覚、前庭覚——絶え間なく届くその声を、私たちはいつしか、既読すらつけずに見過ごすようになりました。読み取るための間とは、體が送っているそのメッセージに、ふと目を向ける瞬間のことなのかもしれません。
先ほどの、お腹の話を思い出してみましょう。「何このお腹っ!?」という直感そのものは、體からの正直な通知だったのかもしれません。氣づく力とは、その通知を、他人の物差しで誤読する前に、まず素直に受け取る力のことなのだと思います。
次話、いよいよ最終話です。
Masumi
パーソナルトレーナー| nice life studio(那覇・沖縄)
美と間。連載、次話へ続く。


