お風呂はなぜあんなに寒いのか
安心を得る・快適を得る
断熱と耐震工事とを併せて考える
もし厳冬期に、あなたの住んでいる地域で、巨大地震が襲ったら?
復旧がいつになるか見通しのつかない停電になってしまったら?
避難所があるから大丈夫ですか?
国や県がなんとかしてくれますか?
備えあれば憂いなしと言いますが、備えって何ですか?
私が断熱や耐震を真剣に考えている根本には、自分自身に多少なりともこのあたりの不安があるからだと思います。
また、日本が抱えるエネルギー問題、そして今後も高騰を続けるであろう灯油やガス、ガソリンといった燃料費。原子力発電に頼ったこれまでの電化の時代に対する反省。
今後私たちはどのように地震などの自然現象とつきあい、暮らしを送らねばならないのか。果たして未来の子どもたちに、どのような世の中を引き継げるのか。
小さなことのように感じる時もありますが、大きく感じる時もあります。
断熱耐震同時改修は、これらの問題を解決しうる一つの方向性だと考えています。可能な限り建物で消費されるエネルギーを減らし、いつくるやもしれない巨大地震で建物が倒壊しないこと。暮らし続けることができること。電気が全くない状態でも何とか生活が続けられること。そんなことをイメージしながら日々改修工事にあたっています。
実は私の断熱耐震同時改修工事の第1号は、松本市の両親が暮らす実家です。私も人並みに年末年始には帰省するのですが、築30年の木造住宅の冬は大変厳しく、ヒートショックによる両親の体も心配でしたし、妻のお腹にはわが子もいました。兄の子ども=つまり甥や姪も寒い寒いとなかなか寄り付きません。窓ガラスは結露で凍り、家のあちこちでカビが発生し、とても長居のできない環境でした。
それまで経験してきた新築住宅で用いてきた考え方や施工方法、手順などを駆使して、住みながらにしてリフォームできないか、そんなことを正月休みの間中考えていたことを思い出します。
結果的にその年の春から夏にかけて、1200万円ほどの費用(大部分は父の退職金)で断熱耐震同時改修工事を行い、さまざまな点で悩みながらも何とか完成することができました。他社がリフォームして2、3年しかたっていない浴室を解体するのはしのびなかったのですが、解体すると、土台や柱が白あり被害にあっていました。明らかに数年前のリフォームの際にはすでにこの状況にあったと分りましたが、リフォーム当時両親にはそのことについて何も相談が無かったそうです。
その後、寒い冬を迎え、暖かく暮らせる実家に帰省した際に、両親から「おまえは最高の親孝行をしてくれた」と言われたことが、今の私を支えています。
その後、その家は震度5強という地震を体験することになったのですが(2011年6月30日松本地方地震)、周りの家は、瓦が落ちたり、家の中のものがかなり散乱してしまったようです。しかし両親の住む家は、花瓶が1本倒れただけでした。はじめ自分たちが暮らす直下に、そんな大きな地震が来たとは思えなかったそうです。
私の夢は、日ごろお世話になっている方や親類、友人たちのすべてが、冬でも春のように暖房感のない暮らしを送ってもらい、廻りの家々が損傷を受けても我が家は大丈夫だった、塩原さんありがとうと言ってもらえる住宅をつくったり直したりことです。
見てくれや設備機器だけに関心のある方とはきっとご縁にならないと思います。根拠のない値引き要請を執拗に迫る方とも、心が通わないと思います。
こんな私でよろしければ、是非一度お声掛け下さい。住まいのお困りごとや愚痴をぶつけてください。みなさんのお役に立てるだけのノウハウや熱い想いは備えていると自負しています。
あまり面白くもない文章を、ここまで読んでいただきありがとうございました。すこし強い表現になってしまったことはお許し下さい。勇気を振り絞ってこの文章を書きました。
今後何人の方とお付き合いができるか分りませんが、日々勉強、日々考動(こうどう)で、おごることなく断熱職人の道を歩んでいこうと思います。
<断熱職人の家が目指すもの>
・国が定める省エネ基準を最低限のものと考え、その基準を大きく上回り、そこに暮らす人が嫌な思いをしない住空間を提供します。
・巨大地震が来ても住み続けられる耐震性を確保します。
・できる限り金額を明確にし、限られた予算を有効に活かします。
・自分自身が良くないと思っているものを決しておすすめしません。
・現場に関わる職人と共に、誇りをもって断熱耐震工事に取組みます。
・失敗したり、間違えてしまったことは正直にお伝えし相談します。ウソはつきません。