自分たちで解決できないのなら、もはや公平な第三者に委ねるしかないのではありませんか?
≪3年越しの想いが叶いました≫
先日、『後悔の少ない最期のために ~知っておくべき終末期・死とそのための緩和医療~』を聴講してきました。講師は、東邦大学医療センター大森病院副緩和ケアセンター長で『死ぬときに後悔すること 25』の著者でもある大津修一先生です。
私は、ちょうど3年前の秋に開業準備をしていたころ、偶然大津先生の著書に出会いました。現在、私は高齢者を支える法律専門職として活動する傍らで、地元・平塚市内で医療や福祉の専門職の方が有志で勉強会や情報交換会を行う平塚の在宅ケアを考える会(通称 ひらざい)にも参加していますが、それには大津先生の著書との出会いが少なからず影響しており、いつかこの方のお話を聞いてみたいと思い続けてきましたがついに念願が叶ったのです。
≪講演の内容≫
とかく重苦しい雰囲気になってしまいついつい避けられがちな終末期や死というテーマですが、大津先生は時にユーモアや笑いを誘いながら、それでいていま医療の現場で起こっていることを包み隠すことなくありのままにお話しくださいました。
特に、『死ぬということが伝えられない問題』については、まだまだ死をタブー・敗北・不幸なことだと捉えてしまう人が多いことや、医療者側と見守る側で終末期の状態や対応方針について共有できていない現状についてお話がありました。
また、緩和医療についても一般の方はもちろんですが医療者の間でさえも誤解や認識不足が多いと指摘があり、対象はがんだけに限らないことや安楽死と違って苦痛は取り除いても命を縮めることはしないこと、そして最近の緩和医療は手の施しようがない末期の状態になってからいきなり始めるのではなく、原因治療の時点から同時に始めて徐々にウエイトをスライドさせていく手法に変化してきていることが紹介されました。
そして、緩和医療とは、単に痛みを和らげるだけではない、もちろん諦めでもない、『患者さんに望むような、よい時間を過ごしてもらう』ためのアプローチであり、死ぬときに後悔しない医療を受けるためにも元気なうちから家族や周囲と十分に話し合う機会を持ち、考え方を共有しておくことが必要であると訴えかけてまとめられました。
≪講演を聴講した感想≫
死ぬときに後悔しないための医療を受けるには、①病気を正しく認識するとともに、②家族をはじめとする周囲を巻き込んで意思を共有すること、③緩和医療を受けるとともに、望まぬ延命治療に対しては拒否することが大切であり、これらを実現可能なものとするためには元気なうちから自ら死と向き合いきちんと意思表示をするしかないと感じました。
そして、私はこの2年間ずっと『人生の最期をより良いもの、あるいは自分の理想的なものとするために、元気なうちから老後の準備をしましょう』と発信し続けてきました。先日も、平塚の在宅ケアを考える会で講師を務めさせていただいて、『元気なうちから老後の準備をしましょう』をテーマにお話をさせていただきましたが、大津先生も同じことをおっしゃっていて自分がやってきたことは間違いではなかったと自信を持つことができました。
大津先生、ありがとうございました。直接お話しすることは叶いませんでしたが、私はこの地域で自らの業務や平塚の在宅ケアを考える会(ひらざい)での活動を通じて、ひとりでも多くの方が後悔の少ない最期を迎えられるために私ができることを惜しみなくご提供し続けていく所存です。