希望退職を選んで得する人、失敗する人のタイプ
つい先ごろ、教育産業で歴史のあるベネッセホールディングス(HD)が、本社やグループ約40社から約300人の希望退職を募集すると発表した。希望退職を募集するのは1955年の創業以来、初めてとなり退職時期は来年3月見込み。会員情報の漏洩事故で、最終損益が赤字となり、構造改革を進めるまず第一歩がこの募集であり、来年には、通信教育事業や間接部門の人員を削減し約700人を介護子会社や、全国500カ所に設ける教育関連の現場に移すという。
経営状況が危ない時、会社の経営陣が立て直しの選択として人員削減がある。代表的なものは「整理解雇」であるが、労働基準法上の「解雇」が会社側にとってかなり厳しい要件を提示しているため、現実なかなか難しい。それに代わるものとして、「希望退職」の募集である。会社にとっては後々のトラブルへの発展の可能性が低く、一時金銭的な負担が大きくなるが、時間経過とともの人件費の削減となるのでメリットがでてくる。
さて、希望退職を選ぶかどうかは、従業員にとって大きな人生の分かれ道である。今回の事例で私なりに考えてみた。
ここで希望退職を選んだとすると、退職金の上積みがあったとしても来年3月に無職となる。仕事がなくなる訳である。例えば、今から職安に行って仕事を探してもなかなか今の待遇で同じ給与の仕事などほぼ皆無ではないだろうか。4月からの生活設計が立てられず、しばらくは退職金の切り崩しの不安定な生活である。
また、「自分は定年まで働いて、会社人生を終えようと考えている。希望退職なんてとんでもない」と残れば安泰であろうか。会社はその後、700人の人員を異動させるという。間接部門も含んでの異動となる、今まで全く携わったことのない職場への転勤も十分に考えられる。内勤から営業への異動も考えられる。また、仕事の内容が変わらなくても、事業所の閉鎖に伴う転勤も考えられる。異動命令である以上、遠くても行くより他にない。しかも、もどることのない片道切符の転勤である。家族の人生設計の変更を余儀なくされる。定年まで単身赴任も想定される。「希望退職の募集」は、厳しく辛い「人生の選択」である。
だが、例えば、「ずっと独立したい」「いつかは家業を継ぐ」「技術を身につけてキャリアアップしたい」と常々自分のこれからの人生やキャリアについて考えていた人にとっては、希望退職は、自分の背中を押す力になり、上積みの退職金は自己投資に変わるという考え方がある。
この希望退職を「幸運」に変えることができるのは、自分自身のキャリアについて考えていたかどうかが一つのポイントといえる。
キャリアデザインをする時期は、節目の時で、例えば、結婚、昇進、病気、親の介護など自分にとって環境の変化の時やちょっとした人生の内面的な選択を考える時、例えば、技術者が現場でその専門として残るか、部下の育成や経営にかかわる道を選ぶかなど)自分のキャリアについて考える時である。逆にそれ以外節目で無い時には、予期しなった偶然の出来事や出会いを柔軟に受け止めて、あえて「流されてみる」ことで見えてくるものもある。
常日頃から「自分のやりたい仕事はなんだろう?」などと考える日々が続くのは、あまり健全ではないし、といって節目でさえキャリアデザインをしなければ、「あなたの人生は、漂流人生」ということになる。
希望退職をこの「漂流」ではさすがにできないであろうが、こんな重い節目でいきなりキャリアデザインをはじめることは、なかなか難しくしんどい。自分のキャリアを意識し、希望退職を「計画された偶然」と捉えることができるくらいであれば、人生は大いに贅沢なものになる。そんな余裕を与えてくれるのが、「キャリアデザイン」なのである。
JIJICO記事JIJICOにて公開です。
http://jijico.mbp-japan.com/2014/12/12/articles14014.html