親が亡くなるまで、片付けはできないと思っていませんか?
「夢みたい。」
十数年ぶりに会った叔母は、私の顔を見るなり、涙ぐみながら何度もそう言いました。
その言葉を聞いた瞬間、私も胸がいっぱいになりました。
「私会いたかったんだよ。」
そう伝えるのが精一杯でした。
今回、叔母を訪ねたきっかけは、一枚のつい立てでした。
以前のコラム「捨てる前に、聞いてみたいことがありました。」で書いた、あのつい立てです。
私の母は今、自分の手で少しずつ生前整理をしています。
その中でも、ずっと気掛かりだったのが、空き家になった自分の実家のことでした。
荷物のほとんどは整理を終えましたが、最後まで残っていたのは、大きな家具や額など、自分たちでは動かせない物ばかり。
そして、その一つが、私が子どもの頃から母の実家にあった、あのつい立てでした。
私はずっと絵だと思っていたのですが、それが叔母の刺繍だったと知り、とても驚きました。
「どんな思いで作ったんだろう。」
その話を聞きたくて、帰省した時に叔母を訪ねました。
叔母は、富士山が大好きだった私の祖母が、いくつかある図案の中から選び、自分が刺繍をしたこと。そして、それを祖母がつい立てに仕立てたことを話してくれました。
「つい立ては処分してくれて大丈夫よ。」
「実家のこと、色々してくれてありがとう。」
そう話す叔母の表情は、とても穏やかでした。
でも、私の心に一番残ったのは、やはり最初の一言でした。
「夢みたい。」
高齢になると、車を運転しなくなったり、思うように出掛けられなくなったりします。
会いたくても、会えない。
だからこそ、会いに行ける人が会いに行く。
そんな時間が、これからはもっと大切になるのかもしれません。
今回の私には、一枚のつい立てが、そのきっかけでした。
きっかけは、人それぞれ。
もし、「どうしているかな。」と気になっている方がいたら、このお盆、少しだけ足を延ばして会いに行ってみませんか。
叔母が涙ぐみながら何度も口にした「夢みたい。」という言葉は、今も私の心から離れません。


