加藤先生の英語は、雑学が多くて覚えやすい!!
当塾の実際の不合格体験記です。一部を抜粋・校正して掲載しております。長文になりますが、ぜひご覧下さい。
【不合格体験記】
体験記作成者 Kさん
【不合格大学】
*早稲田大学 創造理工学部
*横浜国立大学 都市科学部
*明治大学 理工学部
早稲田大学創造理工学部建築学科。
私は高校1年生の最初の進路希望調査から3年間志望校だった。小さい頃から将来の夢は、建築士になることだった。高校2年生の春には、本気で建築学科に進むことを考え始めた。
第一志望を東京大学に決めた。その頃は、折角なら高い目標を。というのんきな理由で決めた気がする。後に、高2の冬に東京に行き、東京大学と早稲田大学を訪れた。東大の、あの堅苦しい空気感にがっかりし、期を同じくして訪れた早稲田大学に一目惚れした。それからら私は、早大一筋だった。塾の個別授業を全部早大対策授業に充てた。
高2のときの模試判定は、「C」時々「B」判定だった。あの頃の自分には、不合格する光景など、想像できなかった。「このままやれば大丈夫」だと思っていた。
高2のとき、私はさほど勉強をしていなかった。泥沼みたいな人間関係のトラブルや、部活でのトラブルなど、何もかもが上手く行かなかった。その対処のために勉強に費やした努力など本当にわずかしかなかった。しかし、なぜか成績が悪くなることはなく、校内の学年順位で上位を取れるようになった。勉強せずに点が取れるようになったことが、本当に私の身に起こった。
今から考えれば、ただの「まぐれ」でしかなかった。
努力なしで手に入れられたものは、ホントに限られていて、それはほんの一時的なもので、いつまでも通用するわけがない。私は、そのまま3年生になり「さすがに受験生だから」と、少しは勉強量が増えたものの、勉強に対する態度は全然変わらなかった。やらなくてもできるみたいな、錯覚に陥り、油断していた。
タイムマシンがあれば、あのときの自分に「お前はバカじゃないの?」とでも言いたい。増えた課題で精一杯になって、自分の勉強などした覚えがない。浪人生が入ってきたこともあり、模試判定が「D」や「E」になった。自分を見失う時間など無かったのに、私は途方に暮れた。
その頃に、早稲田大学と横浜国立大学のオープンキャンパスに行った。今でも鮮明に覚えている。あのとき、横国の教授が言った「早稲田は競争が激しいから、たとえ、入学できても設計を学べるのは一部の学生だけ」という言葉を。これが、どうも心に引っかかった。翌日に訪れた早稲田大学の体験授業が、たったまま寝てしまいそうなほど、つまらなかったから、余計に引っかかった。当時の私は「横国は早稲田に学生を取られるから悔しいだけだ」と、理由付けをして、片付けておいた。無かったことにして、また早稲田大学合格に向けて受験勉強をやり始めた。
しかし、夏休みはあっという間に終わり、勉強量は明らかに少なかった。時間ばかりが経ち、自分は変わらないままだった。どんどん合格から遠いていった。少しは不安になったからか、この頃から早大関連の問題をたくさん解いた。模試の過去問や赤本、その他の問題集などに手をつけ始めた。解けなくて苦しんでいた時期はあったものの、少しずつ得意分野と苦手分野が分かるようになった。心に不安を抱えながら、無心に勉強していた時期だった。
センター試験は、自分の予想通りにできた。化学で大崩れしたが、何とか挽回できた。予定通りに、早稲田大学を第一志望にした。そして、横浜国立大学に出願した。さらに、ほぼA判定が出ていた、明治大学と東京理科大学にも滑り止めとして出願した。学科はもちろん全て「建築」にした。
それが私の悪夢の始まりだった。
2月はじめから始まった私大受験は、茨の道だった。決して油断して対策を怠ったわけではない。にもかかわらず、明治大も東京理科大B方式も不合格になった。どちらも過去問を3年分以上は解き、デキが良かったし、本番に弱い人でも無かったのに、試験場で問題が解けずに不合格になった。この結果が、ただでさえ不安だった私の自信を江奪っただけでなく自分の目標とやる気までも奪ってしまった。浪人することがますます鮮明になり、私は強く恐怖を感じるようになった。
あのときの、横国の先生の言葉がよみがえり、自分が本当に早稲田に行きたいのか、なぜ大学で建築を学びたいのかまでを疑うようになった。以来、毎日のように泣いていた。まるで、全ての人に「おまえなんて要らない」と言われるような挫折感と、何もかもを失って自分が多々抜け殻になった喪失感で無意識に涙が出た。気づくと泣いていたこともあった。
そんな精神状態で早稲田大学を入試を受けた。1時限の数学で苦手な問題ばかりだった。唯一、得意にしていた立体が出題されなかった。ただの言い訳だが、事実は「数学ができなかった」。それだけだった。理科も英語も、翌日のデッサンもいつも以上に「できた」と自分で手応えを感じた。だが、数学の失点を挽回することは難しいと思い「落ちた」と感じていた。
その直後、浪人を回避しようと思い立ち、ホテルまでの帰り道で書店に立ち寄り、東京理科大学C方式の赤本を買った。ホテルで少しだけやった。翌朝、試験場近くのカフェで赤本の過去問を解いた。たったこれだけの試験対策で試験に臨んだ。東京理科大C方式の試験では、緊張して、焦って、当てずっぽうにマークした問題も多かった。落ちても受かってもおかしくない点数だったと思う。
そのまま東京から戻り、浪人することが決まったつもりで、次に控える横浜国立大の前期試験を受けに行くことにしていた。結局、横国前期も手応えが悪かった。散々だと感じた。試験の直後に、同日にあった早稲田と東京理科の合格発表をみた。
早稲田は予想通り不合格だった。しかし、東京理科大のC方式は合格だった。
スマホに写った「合格」という小さな文字を見た瞬間に涙があふれた。浪人回避のうれし泣きだった。
今となっては「建築学科志望」を最後までゆずらなくて良かったと思う。しかし、私の受験そのものを評価するとしたら、100%不合格だ。しかし、私は全く後悔していない。「あのときもっと勉強していたら」「本番に運が良かったら」と、タラレバばかりを言っても仕方が無いからだ。不合格は不合格なりの、これからの人生を歩んでいけばいい、と思っている。
私の不合格体験記を読んでいるアナタに、自分のやりたいことを見失わずに、視野を広く持って受験に臨んで欲しいです。それなら、きっと、どんな時になっても、後悔しないと思います。