暑い時の水分補給には何が良いのか?
おはようございます。さとうクリニックの佐藤です。今朝は「関ヶ原での寝返りは肝臓病のせい?」というお話です。
関ヶ原の戦いで戦国武将・小早川秀秋が西軍から東軍に寝返った際、決断が遅れたのは過度の飲酒で肝硬変から発症した肝性脳症による判断力低下の可能性があるとするユニークな説を、兵庫県姫路市御立東の脳神経外科医が秀秋の当時の病状などを記した史料からまとめた。
戦いで西軍側の秀秋は寝返りを誘われていたがなかなか動かず、東軍を率いた徳川家康が怒り出すほどだったとされる。戦闘開始から約4時間後、西軍・大谷吉継を襲ったのをきっかけに西軍の武将が次々に寝返り、東軍勝利につながった。
同氏は、安土桃山時代から江戸時代初めに活躍し、秀秋も診た医師・曲直瀬玄朔の診療録「医学天正記」の記述に注目。秀秋について「酒疸一身黄 心下堅満而痛 不飲食渇甚」(大量の飲酒による黄だん、みぞおち付近の内臓が硬く痛みがあり、飲食できずのどの渇きが激しい)の記述から、肝硬変と考えられるという。飲酒後に嘔吐(おうと)し、赤い尿が出たともあり、肝性脳症を併発するほど悪化していた可能性が高いと判断。同脳症では指示への反応や判断が遅くなるため、同氏は「関ヶ原での決断の遅れの要因では」と推察する。
国立国際医療研究センター肝炎情報センターも、大量の飲酒は肝硬変の原因の一つで「記述にある症状からは肝硬変が疑われる」という。小和田哲男・静岡大名誉教授(戦国史)は「寝返りの遅れは東西どちらが有利か最後まで迷っていたとするのが通説だ」とした上で、「当時は15歳頃からの飲酒も多く、医師の見地からはそのような解釈も成り立つのでは」と話している。