秋葉原無差別殺傷事件から14年目の死刑執行
問題解決のスタートライン
問題解決を考える時、先ずその問題を「受容」するということが大切になって参ります。
「受容」というのは、受け入れることと、引き受けることです。
つまり、目の前の現状をありのままに受け入れ、両目でしっかり見て、そらさないと
いうことです。
「如実知見」という言葉があります。
如実に知見する。先入観などを挿まず、深く“観る”。
観察、洞察するということです。
そして、我が子を通した“自分自身の問題”として、自己の責任として引き受ける。
無益な犯人探しに時を費やすのではなく、互いが「問題解決の主体者は自分である」
という意識をしっかりともつということです。
解決に向かうがための好転反応
長期の引きこもりのご家族のご相談を受けておりますと、長期化する要因が見えて
参ります。
大きな要因としては、子どもの問題を通して、家族の問題、自身の生き方の問題に
行き当たるからです。
夫婦の問題、嫁姑の問題、親自身の生い立ちの問題、親の立場を離れた個人としての
生き方の問題などに向き合うことへの恐れが、現状を「受容」することを阻んでしまいます。
それは、それぞれが穏やかな安寧な暮らしを望んでいるからでもあります。
その問題に向き合うことが、一時暮らしの中にゆらぎが起こることへの不安があるからです。
変化することへの怖れとも言えます。
しかし、ここで認識しておくことが必要なことがあります。
それは、今まさに目の前にあるわが子の不登校、引きこもり自体が、家族それぞれが、
その穏やかで安らげる安寧な暮らしを求めた経過の中で生じた、“ぬくもりの争奪戦”
の爪痕だということです。
人は今がどうあれ、現状にしがみつき、変化していく状況に抵抗しようとします。
問題に向き合うことでの一時のゆらぎは、まさに“一時”のことであり、親と子が互いに
現状を「受容」できるようになることで、共に求めた安寧な暮らしが実現できるのです。
親が変われば? 何を変える?
受容できるためには、現状の受け止め方、認識を変えることが必要です。
多くの家庭が対処を誤ってしまうのは、事態そのものをすぐに変えようとすることです。
つまり、学校に行かせようとか、外出させよう、働かせようとしてしまっています。
それが出来ないで困ってしまっているのですから、動かそうとすればするほど、当人は
反発し閉じこもります。
当たり前の話です。
ですから、先ず行うべきことは、事態の解釈を変えることで、受け止め方を変えるのです。
解釈を変えるためには、視点を変える必要があります。
視点が変われば見え方が変わってきますので、自ずと受け止め方が変わります。
甘えや怠惰と捉えれば、咎めることしかしないでしょう。
一人で抱えきれない、自力で解決できないことでもがいている、親に対して何らかの
シグナルを送っていると捉えれば、対応は変わるはずです。
なぜ訪問支援も必要としないのか?
当協会では、他県など遠方のご家庭には、オンラインでサポートしています。
また、地元でもほとんど訪問支援は行っていません。
行わなくて済んでいるのです。
10年を超すような長期のひきこもりの場合ででもです。
何故なら、問題解決の主体は、親御さんだからです。
受容が出来ず、適切な対処が出来ないでいるご家庭が、長期化していっているのです。
本人の問題ではありません。
だって、動けないでいるのですから。
ですから、親御さんの働きかけ如何で、動けるようになっていきます。
それは、本人たちも好き好んでひきこもっていないからです。
できるものなら普通に過ごしたいと思っているから。
だから、動き出せる理由を与えてあげることで、自然動けるようになるのです。
変えられることと、変えられないことを見分ける知恵
遠隔での支援を不思議がる方も少なくありませんが、最初から本人に直接会う必要はない
のですから、親御さんをサポート出来ればいいわけです。
オンラインでつながれば充分アドバイスが出来ます。
よく「うちの子は頑固で、親が言ってもどうにもなりません」と、仰られます。
親御さんたちは、わが子の意思を直接的に変えようとしてしまっています。
そして、それが出来ないことで悩んでいます。
「何故学校へ行ってくれない」「働いてくれない」と。
言っても聞いてくれない。だから結局何もしないで長期化していっています。
他人の意思を自分の思うように変えることは、原則無理なことです。
人間の行動は、環境・条件によって、変わってくるものです。
特に人間関係における行動は、相手の姿勢・態度によって大きく変化します。
わが子をより良い方向へ促すためには、そちらへ導くための水路を作る必要があります。
言わば、条件づくりです。
環境・条件を整えていくことで、しむけていくわけです。
そのためには、戦略・戦術と絶え間ない創意工夫が必要です。
「言ってもしませんから」これではあまりにも知恵が無さ過ぎます。
親が動き出さずして解決なし!
先ず親自身の言動と、姿勢・態度の見直しが必要です。
説教で動かそうとしていないか。言行一致しているか。
「愛情や真心こそ大切では?」という声もあります。
しかし、知恵のない愛情は、目が曇り、子どもを主体性や自立心を欠いた人間に
育ててしまいます。
もちろん、愛情のない知恵は、子どもから感情を奪ってしまいます。
子どもが嫌がることを一切させないことを優しさと勘違いしている親御さんも少なく
ありません。
「玉磨かざれば光なし」「器を成さず」です。
磨くとは削ることです。
適切な負荷を与えることでこそ、本来の持ち味、強みが輝きだすのです。
愛情と知恵をもって、より良い状態にしていくために、環境・条件を整えていくことが、
子どもに気づきと自覚を促し、成長させていけるのです。