「あなたのため」という言葉の心理:ちょっと怖い深堀り

さぁ、今週も金曜日になりました。
福岡を語る上で、忘れてはならない偉人伝。
毎週金曜日のお約束。
今日は、久留米市出身の中島平太郎(なかじま へいたろう/1921年–2017年)
音のデジタル化に取り組み実現した「CDの父」と呼ばれる方のお話です。
聞こえるものに向き合うということ
音は目に見えません。
けれど、聞こえることで、確かに存在していることがわかります。
その聞こえる音のチカラは素晴らしくて。
誰かの心を揺らしたり、
記憶を呼び起こしたり、
やる気を上げることなど、耳に訴える力を持っています。
そんな“聞こえるもの”に、人生をかけた人がいました。
福岡県久留米市出身の技術者、中島平太郎氏です。
「CDの父」と呼ばれる技術者です。
技術者としての歩み
中島平太郎氏は東京工業大学で電気工学を学び、戦後はNHKに入局。
音響技術の研究に携わり、東京オリンピックの音響設計も手がけています。
その後、ソニーに招かれ、CD(コンパクトディスク)の開発責任者となりました。
思い起こせばCDと出会ったのは中学校
私が子どもの頃はレコードです。
ラジオで流れてくる音楽が好きで。
そんな中で、お小遣いをためて初めて買ったのはマイケルジャクソンのLPレコード。
そんなときに店頭にCDが並び始めたわけです。
そして誕生日プレゼントにCDラジカセを買ってもらい、WAHM!のMake it bigをCDで買いましたねぇ。。。
最初はレコードプレーヤーがお気に入りで。
当初は、売れ行きも芳しくなく、懐疑的な声も多くありました。
私も同じく子どもでしたし。
欲しいとは思いつつも、レコードプレーヤーからCDプレーヤーに変えないといけないので手が出ません。
きっと日本の市場も混乱したかもしれませんね。
大抵の日本人は、周囲の人の様子を見て、
「大丈夫」だったり「良さそうだ」と確信がわくまでは手を出さないものです。
それでも中島平太郎氏は「音のデジタル化」への開発を止めていません。
その後にCD-Rの開発にも関わり、記録技術の可能性を広げていきました。
失敗と問い直し
どうやらDAT(デジタルオーディオテープ)での苦い経験もあったようです。
CD-Rを提案した際には、業界から厳しい反応を受けています。
それでも中島平太郎氏は
「音を残すためなんだ」と語り、
仕組みを一元管理し、
プロ用途に限定して販売する
…という方法で道を切り拓きました。
失敗や批判に直面しても、問いを手放さなかった姿勢。
技術者としての在り方を物語っています。
まとめ|問いを生きるということ
中島平太郎氏は、技術を磨いた人であると同時に、
「聞こえるものに向き合う姿勢」を示した人でもあるかもしれません。
そして音を記録するという行為そのものが、未来に向けた営みでもある。
五感を刺激することで、脳が活性化。
当時の思い出がよみがえることで、様々な刺激になるのも事実。
反対されても、自分の問いを掴み取る。
自分の問いに対して、信じて動き続けること。
それは、誰かに認められるためではなく、
自分の中の「まだ見ぬ音」に耳を澄ませるような営みでもあるかもしれません。
今、何かを始めようとしている方へ。
誰にも気づかれなくても、うまくいかなくても、
問い続けることが、未来の誰かの“音”になるかもしれません。
そんなふうに生きた人が、福岡には数多く存在しているのです。
参考文献・関連リンク
本記事は、以下の公開情報をもとに構成しました。
人物の略歴や技術的背景については、各記事の記述に基づいています。
第二部 第7章 デジタルをものにしてみせる
第二部 第8章 「レコードに代わるものはこれだ」
第一部 第8章 外国製品一辺倒の打破
※本文中の人物像や発言は、上記記事の内容をもとに要約・再構成しています。
※敬意をもって事実を紹介することを目的としており、営利目的ではありません。



