文字分析で探る、キャリアの転機

さぁ、今週も金曜日になりました。
福岡を語る上で、忘れてはならない偉人伝。
毎週金曜日のお約束。
今日は、岩垂 邦彦(いわだれ くにひこ/1857年~1941年)のお話です。
これで何作目ですかねぇ。
福岡出身の世の中を変革してきた人が沢山いるんだなと感じつつ、福岡のことをちっとも知らないんだなと思ってしまいます。。。
目次
どんなときに“選び取る”人になりますか
「あなたは、どんなときに“選び取る”人になる?」
この問いに向き合うとき、人は過去の誰かの選択に自分自身を重ねることがあります。
社会の変化がめまぐるしい今だからこそ、静かに選び取る力を持った人物の足跡に共感を覚えます。
豊前国豊津(現在の福岡県京都郡みやこ町)に、ひとりの志ある青年が誕生しました。
時は幕末、1857年。小倉藩士・喜田村修蔵の次男として生を受け、後に岩垂家を継ぐことになる岩垂邦彦。
幼くして父を暗殺によって失っています。
その経験から父の仇討ちを誓い上京したものの、
「世の中に尽くすことこそ真の孝行」
という考えに至り、 “やり場のない憤り” を手放しました。
憎しみは憎しみを生む
この“選び方”に触れることで、思い起こされるのは戦争です。
戦争というものは「正義」という肩書で命を奪うことを正しいとする。
大切な人の命を奪われた身近な人たちは怒りを募らせる。
怒りを募らせた想いがどこに向かうかで自身の未来を大きく左右する。
個人の感情を超えて社会に向き合う“選び方”が何故か響いて。
そんな響きに想いを馳せ、個人の感情を超えて社会に向き合う“選び方”に「私には何ができるのか」の問いを残しました。
学びに導かれた ― 工学という志
岩垂 邦彦は工部大学校(現在の東京大学工学部)電信科に進み、技術と理論を磨きました。1886年にはアメリカへ渡り、エジソン・マシンワークスで勤務。
最新の電気技術に触れる中で、世界は広いことを知るはず。
そして、「何を日本にもたらすべきか」と問い続けたのではないでしょうか。
その答えは、帰国後の選択に現れます。
恩義か合理性か ― 交流電流への転換
当時エジソンが推していたのは直流電流。
岩垂 邦彦にとっては師とも言える存在の思想。
ですが、岩垂邦彦はあえて異なる選択をしました。
部下であるテスラによる交流電流の発明。
その交流電流の可能性に未来を見出し、日本初となる交流発電機を導入しています。
そうですねぇ。
当時のエジソンは数々の発明品を世にもたらし、発明家&実業家として世に名を馳せている。
もちろん財界含めて多くの後援者が沢山いるのです。
「エジソンの考えに間違いはない」というような空気もある時代での交流電流。
経済界の圧力は半端ないのですから、日本に持ち帰ることも評論家ばかりがいる中で反対も多かったのではないでしょうか。
広い視野で“合理性”を選び取る
その選択肢には、広い視野をもつことが必要。
その判断基準には感情や主観に流されず“合理性”を選び取る意志の強さも兼ね備えることも求められます。
そして、技術者としての誇りと、社会を俯瞰する冷静さが宿っていないとできない。
様々な情報が飛び交う中で自分の信念を貫くというのは、
未来を見据えて世の中のことを考えているからこそできることではないでしょうか。
時代に流されず、自分自身の信念に立ち返る姿勢に、私は共感せずにはいられません。
国境を越える創業 ― NECという社会実験
1899年、岩垂邦彦は米ウェスタン・エレクトリック社との合弁で、日本初の外資系企業「日本電気株式会社(NEC)」を創業しました。
外国資本による経営参画は、当時の日本では革新的な出来事。
「技術には国境がない」という哲学が、この瞬間に形となったのです。
27年間にわたりNECを率いた岩垂邦彦は、「より良い製品を、より良いサービスで」という理念を築きました。
信念と実行力が合わさった実績に、時代を越えて学びとる価値がそこにあると感じます。
最後に届けたもの ― 人と地域への還元
晩年、岩垂奨学会を設立し、東京大学・京都大学の大学院生へ返済不要の奨学金を提供。
その支援額は、当時の初任給を上回り、「次世代への投資」という強い意思が表れています。
また、福岡県みやこ町にも寄付を行い、育った場所への感謝を形にしました。
その姿に、人とのつながりを大切にする温もりを感じます。
今を生きる私たちへの問い
「あなたは何を根拠に、選び取りますか。」
岩垂 邦彦は、恩義と合理性、伝統と革新、個と社会の間で、静かに選び続けました。
その選択の一つひとつが、今の社会の礎となっています。
岩垂邦彦が選び取った
「交流」「外資」「育英」は、
どれも人と人をつなげる力。
現代に生きる私たちも、職場や地域の中で選択に向き合う場面が少なくありません。
そのとき、自分自身の信念に耳を澄ませてみること。
――それは、岩垂邦彦氏の選び方から学べる、静かで力強いメッセージなのかもしれません。



