成功の陰に潜む課題とその乗り越え方

さぁ、今週も金曜日になりました。
福岡を語る上で、忘れてはならない偉人伝。
毎週金曜日のお約束。
今日は、哲学者・詩人として知られる井上哲次郎(1855~1944)のお話です。
私たちは、日々の暮らしの中で
何のために学ぶのか
どんな人生を歩みたいのか
と問いかけることがあります。
そんな悩みや迷いの中で、過去に偉業を成し遂げた人物の生き様は、時に私たちの背中を押してくれるものです。
今週のお話は、福岡が生んだ哲学者、井上哲次郎。
――井上哲次郎の歩んだ道は、単なる知識の探究ではありません。
「生き方そのもの」でした。
学問を極めることの喜び、そして時代の波にもまれながらも信念を貫き続けたその姿勢は、今を生きる私たちに深い問いかけをし、考える機会を与えてくれます。
幼少期から広がる哲学の道
井上哲次郎は、太宰府に生まれ、幼少期を甘木で過ごしました。
6歳のころ、父から習字や読書を学び、9歳からは儒学の経典を学び始めます。
その頃の井上哲次郎が、どれほど夢中になって学びに没頭したか。
そんなことを考えていると子どもの頃に想いを馳せる機会ともなります。
その時の気持ちと一緒に心に吹いていた風や雨の音。
空気の香りや静寂というのか。。。
この記事を書きつつ、なんだか懐かしい気持ちになるのです。
人は生きることと同時に学び続ける
なぜ人は学ぶのか…。
――そんな問いは、大人になってからも度々頭をよぎるものです。
ですが、井上哲次郎は幼い頃から、知ることの楽しさ、考え続けることの意味を体感していたようです。
学ぶことはただの知識ではなく、人生を豊かにする力として捉えていたのかもしれません。
新しい世界へ:ドイツでの学び
時代は明治維新、日本が近代国家へと変貌していく頃。
井上哲次郎は東京大学に進み、そしてドイツへ留学します。
ベルリン大学をはじめとする各地の学者と交流し、日本の知を世界に広める役割も果たしました。
知らない土地、未知の言語、文化の違い。
異国の地で学び続ける井上哲次郎の姿を想像すると勇気よりも、自分だったらできるだろうか?という疑問が芽生えます。
それでも井上哲次郎は、哲学の探究をやめることはありませんでした。
好奇心と探求心が勝ると心が動くものですよ。
これは私たちにも通じる話。
新しい環境に飛び込むのは怖い。
けれど、その先に何かが待っている。
ただ、自分の気持ちに正直で素直になるだけ。
――井上哲次郎の挑戦は、今を生きる私たちにも通じるものがあるんです。
日本哲学の礎を築く:言葉がつなぐ未来
帰国した井上哲次郎は、東京帝国大学の教授となり、日本の哲学研究を発展させることに尽力。
特に重要だったのが、日本語の哲学用語を整備したこと。
形而上学・人格・倫理学
形而上学・人格・倫理学について学校教育では道徳教育。
児童の道徳教育は、児童の人間性や社会性、生活能力の育成を目的とした特別の教科です。
今では当たり前のように使われる言葉。
ですが、当時の日本には存在しませんでした。
井上哲次郎が西洋哲学を日本に根付かせるため、一つひとつの言葉に思いを込めて、丁寧に作り上げたものなのです。
言葉は人をつなぎ、考えを深める力を持っています。
井上哲次郎が言葉にこだわり、丁寧に編み出した哲学用語の数々は、今も私たちの思考を豊かにしてくれています。
どんな時も信念を貫く:哲学は人生そのもの
晩年、井上哲次郎の思想は賛否を呼び、多くの批判や誤解を受けました。
暴漢に襲われることもあったようです。
ですが、井上哲次郎は決して学ぶことをやめませんでした。
どんな時も哲学の探究を続けたのです。
この姿勢に、私は勇気とは何か、思想や影響力、その学びの行く末を考えてしまいます。
思想が強制力を持つことで集団圧力を生みます。
その中でも正義という名の暴力を生み出すことで、関係のない他者が糾弾することがみられる昨今。
人の命を奪うことも辞さない盲目的信者が生み出されやすいことに恐怖を感じます。
そう、政治にしろ、スキャンダルにしろ、思想の絶対服従を求める行為を繰り返す集団となり暴徒化します。
思想とは何か、倫理とは、道徳とは。
そして、人格とは。
今一度、吉田松陰を含めて、再度理解を深める時期に来ているのではないでしょうか。
人生には迷いや困難がつきもの。
ですが、学び続けること、考え続けることをやめなければ、きっとどこかに答えはある。
井上哲次郎の生き様は、そう語りかけてくれます。
福岡が生んだ偉人、その精神を受け継ぐ
あなたは何を学び、どう生きるのか
この問いは、井上哲次郎だけのものではありません。
井上哲次郎が生涯かけて探究した哲学は、今を生きる私たちにも問いかけてくるものです。
井上哲次郎の人生を知ることで、私たちの心の奥に眠る問いに気づくことができるかもしれません。
人は、社会的な経済に評価され、優劣をつけるために生まれてきたのではありません。
格差をつけ、差別を受けるためにこの世に生まれてきたわけでもない。
どの人も、笑顔溢れる喜びの中で幸せになるために生まれてきたはず。
今一度、日々のルーティンが当然だと思い込んでいる自分自身の人生を見つめ直してみませんか?
資料出所
https://www.waseda.jp/flas/glas/assets/uploads/2024/03/MANABE-Masayuki_0806-0786.pdf
https://www.city.asakura.lg.jp/www/contents/1297064103701/index.html



