香りの旅:世界の香り文化を巡る
6歳下の弟が私にはいます。
そして、私の自宅からそう離れていない所に住んでいます。
その弟から夜の9時ごろ電話がかかってきたときのお話です。
スピーカにして電話に出ると、
「姉ちゃん!暇やろ?暇やろ?もう飯食った??ちょっと家に来なよ!」と電話が。
私「何事さ?急ぎなの? 夕飯ならもう食べてるし」
弟「まだ、入るやろ。魚あるけん、食べにきぃよ」
私「わかった、ありがとうね。せっかくなんで行くよ~」
弟「おかんも暇やったら誘ってきていいよ」
私「はいはい」
…相変わらず、弟は母譲りの述語中心の会話でして。
仕事では指示を出す立場ですから、そんなことはないとは思いますが、毎回私に対してはこんな会話が切り口です。
弟の家に行ってわかったことは、
釣った魚で弟が料理をして、私と母にごちそうしてくれたこと。
子どものころから年も離れていたこともあり、母が手が離せないときは、弟のオムツをかえたり、お風呂に入れたりしていたこともあり、意外と弟の行動がわかります。
その行動を分析しているときっとこうだろうというところで、
1.釣りに行ったら、ズズキが大漁で嬉しかったので釣れるままつってきた。
2.張り切って調理したけれど、あまりの量に、家族で消費しきれないと気が付いた。
3.どうしようと悩んでいるうちに、奥さんの助言で私らが呼ばれた。
というところでだと思います。
会話をスピーカーにしていた時に、帰宅してきたお子ちゃまが傍で聞いていたので、おすそ分けにもらってきた手料理を渡すと、
「おじちゃんも不器用な男なんだねぇ。暇やろって連発せずに、素直に沢山魚が釣れた事を自慢して、魚料理を作ったから食べにきて欲しいって言えばいいのに。照れ臭かったんかな?大人って面倒くさいね」と美味しそうに食べながらボソッと話すのです。
私はというと、
「そういう考えもあるなぁ。」と思い直した瞬間でもあります。
何故なら、弟の行動をいつものように分析し、もう少し主語を話してくれると理解できるのにと考えていたのですが、お子ちゃまの一言で、そういう見方もあるよねと改めて自分の固定観念からくる、大切なことに気づかされた記憶がよみがえります。
弟が作ったカルパッチョやマリネを弟家族6人と私と母と8人で囲んで食べた日でしたが、まさか弟の手料理を食べられる日がくるとは夢にも思わなかったのも事実。
そう考えると、時代の流れを感じつつ、貴重で最良の日なんです。
おこちゃまの考えを聞かなければ、
大切な日を見誤って、二度とない初体験を初体験と思えずに、
喜びそこなう事に気づかずに、とっても損してしまったかもしれないと思えたのでした。