新年のポジティブな変化を促進する習慣
教育は何の為に必要なのか?
教育とは、どんな所にも存在するし必要なものだと思います。
本来、教育とは「生きるための術を学ぶ」もののはずではないでしょうか?
ですが、その教育は宗教や政治によって左右されやすく、大人の価値観や捉え方により様変わりしていきます。
教育を受けても変わらないモノがあるとしたら
その中で、決して変わらないものモノがあるとしたら、
現代においての社会的規範や倫理観という中で受け入れられるモノとそうではないモノと存在しているけれど、「やりたい」と言う強い欲求に基づく行動を制止する権利は自分にしかないという事です。
受身の子どもを育てていのは教育でしかない
ですが、経験不足の模範的な大人が増えてしまっている現代において、子どもに対して自分の価値観や世間一般論を人間社会におけるルールとして厳しく子どもに押し付ける教育が幼少期から始まっています。
核家族化、少子化、人手不足という名の下で、子どもはできるだけ大人の言う事を聞く子が良い子となり、言われた事のみをする子が評価の対象となり、そうでない子は障がいを持つ子と言う捉え方をします。
専門家でもないのに、ちょっと学んだ知識やネットで調べた情報だけで、短絡的に子どもの個性を判断する行為から、こうあるべき論を押し付ける教育は、才能を才能と判断できないいばかりか、子どもの能力を大人の勝手な判断で強制という行為で踏みにじり、軍隊の様な集団行為を優先し、できない子は除外したいという「みんな一緒が当然」とうい考え方は、本当に教育と言えるのか疑問に思います。
私は、教育というのは国まで動かすものが故に、大人の在り方で子どもたちをコントロールする事にもなり得るものであり、とても重要なモノであり、そしてとても怖いものだと考えてます。
その為、今ある大人の価値観や固定観念は、
人を育てるために必要な、本来の形である「生きるための術」として
その真価をいま一度向き合って、自問自答して欲しいと切実に感じています。