自責思考から抜け出すヒント
仕事をしていると、成果に対して完璧を求められることは少なくありません。
「完璧にこなして当たり前」なんて言われることも。
同じように親から完璧を求められて苦しむ子供もいるでしょう。
完璧とは何でしょうか。最善・ベストを尽くすのとどう違うのでしょうか。
1.完璧は「相手基準」
完璧とは、「一つも欠点がなく、完全なこと。完全無欠」という意味です。
では、人の行動や作業に対して「欠点が一つもない完全無欠」とは、どこで決めるのでしょうか。
決められないですよね。
行動や作業を、何かの計器で数値化することなどできないのですから、完璧とはそもそも何ぞや、という話になってしまうわけです。
特に仕事の上で「完璧にこなせ」と言われる場合の完璧とは、言った人が持っている基準のことです。
何をどこまでどうやって実施することが「完璧」なのか、その人に聞かなければわかりません。
2.最善は「自分基準」
対して最善とは、「執る行為につき可能性のある中で最もよいこと」という意味です。
完全無欠かどうかは分かりません。
しかし、「可能性があるなかで」選ぶのですから、実現可能性が高まります。
そしてこの場合の「可能性」とは、様々な条件の中に「自分自身」も含まれます。
完璧と比べて、「自分の基準」とも言えます。
3.人を苦しめる「完璧主義」
完璧主義とは、
『心理学においては、万全を期すために努力し、過度に高い目標基準を設定し、自分に厳しい自己評価を課し、他人からの評価を気にする性格を特徴とする人のこと 。
定められた時間、限られた時間の内にて完璧な状態を目指す考え方や、精神状態のことである。このような思想を持ったものや、そのような心理状態の者を完全主義者、もしくは完璧主義者と呼ぶ。』
のことです。
万全を期すことは大事です。しかし「万全」とは何なのか、どこまでを「必要最低限」とするかの判断が難しいのは前述のとおりです。
更にその完璧や過度に高い目標を、他者に求めるようになることがあります。
当然ながら、実現可能性を検討していない完璧を、その内容が分からないまま押し付けられた側が希望に叶うはずもなく、どんなに努力してもどこかでケチをつけられるでしょう。
完璧主義の一番の落とし穴は、どこまでやっても満足することがないことです。
それは自分自身に対しても満足しないし、他者に対しても同じです。
常にどこかしらに問題を感じて、不十分さを抱えることになります。
4.最善の弱点は「独りよがり」
一方、最善をつくす姿勢にも弱点はあります。
「可能性のある中で」一番良いものを選ぶのですから、非常に現実的です。
ただし、可能性とは、意外と広いものです。
自分一人で考えていると、見落とすものも出てきます。
独りよがりに決めつけるのは、可能性を狭める危険があります。
他の人に「A~Cの中で考えているみたいだけど、DもEもFも、SもTも、MもQもPもあるんだよ」と教えてもらえる環境を準備しておく必要があるでしょう。
「最善」で得られる結果は、完成度ではありません。選択による未来です。
5.おススメは「最善主義」
上述したように、完璧主義は自分も周囲も苦しめる原因になりがちです。
自分に対してだけ完璧を求めるんだ、というケースもあるでしょうが、それこそいつまでも自分に満足することが出来ず、いわゆる「自己肯定感」とか「自己効力感」が高まることはありません。
最善で事を進めるとしても、気を付ける点が無いわけではありません。
それでも、どこかに「落とし所」を見出すことは可能です。
目指しているのは完全無欠な100点満点ではなく、今出来る中での最善、なのですから、状況によって55点が最善だったり、82点が最善だったり、場合によっては120点まで出来ることもあります。
完璧を求めすぎると、結果として何も残らないこともあります。そうすれば「ゼロ」です。
それよりも、最善を求めて行動し、何かしらの結果を積み上げていくほうをおススメいたします。