心理的安全性とうつ病家族
「うつ+家族+役割」でウェブ検索すると、うつ病患者の家族に対して「~してはならない」「~しましょう」のような情報がたくさんヒットします。
しかし、実際に生活していると、本人から攻撃されたり傷つけられることも少なくありません。
家族が常に「する側」というわけではないのです。
1.精神疾患は攻撃的になることもある
うつ病に限らず精神疾患を患うと、心も体も不安定になります。
本人もそれを持て余してしまい、時にその「どうにもならなさ」が、一番近くにいる家族への攻撃になることがあります。
暴言だったり、暴力だったり、破壊的な行動だったり。
多くの家族への助言は、「それは本心ではないのです、病気が言わせているのです」という「本人と症状の分離」をすすめます。
もちろんその通りで、家族が傷つけば後から本人も後悔するでしょう。
本心でないことは分かっていても、だからといって受けた痛みや恐怖が軽くなるわけではありません。
我慢するための理由が増えるだけです。
2.いつまで我慢する?
病気に限らず、心が追い詰められれば、人は冷静な判断が出来なくなります。
平常時なら言わないようなことも言うし、します。言葉で表現されることもあれば、体を使ってくることもあるでしょう。
体の傷はいつか癒える、と言いますが、攻撃されたときに受けた恐怖は消えません。
本心ではない、と十分に分かっていても、我慢するには限度があるのです。
しかし、我慢に限度がある、ということを、周囲は気づきません。
3.本当の精神病者の家族の役割とは
心の病になった人と一緒に生活するとき、家族のやることは、ただ労わっていればいいわけではありません。
現状より悪化しないよう配慮するだけでなく、時にサンドバックになり、自己嫌悪に陥って、一緒に病院行って話聞いて、過ごしやすい環境の調整をして、出来るだけ早く仕事を終わらせて家に帰って。
そしてこれがいつまで続くか分からない。半年で終わる場合もあるし、10年続くかもしれない。
本人はしんどい、辛い、生きていたくない・死にたい、と思っているでしょう。
家族も、質は違ってもほとんど同じ辛さを抱えているのです。
「病気で苦しいのは本人だから」という言葉は、時に裏返しになり、「だから家族は我慢しなきゃいけないんだよ」という圧力になります。
時折やってくる暴言や暴力も症状として捉えなければいけないのですからハードにも過ぎる役割です。
4.家族も辛いと言ったほうがいい
精神疾患が日本人の五大疾患の一つとなり、色んな精神病の認知度が上がり、病院などの専門機関も増え、10年・20年前と比べれば特別視されることも減ってきました。
それ自体は悪いことではないと思います。
しかし、これは精神保健福祉の勉強をして「やっぱり」と思ったことですが、公的な支援や専門的なサービスは、入院するくらいの重度、または介護保険の対象年齢ではない、若年~中年世代や、軽~中程度の患者への具体的支援がほとんどありません。
り患者数が増えて特に珍しくもなくなった分、「他の人も頑張ってるんだから」と、内に溜め込まざるを得ない状態はより強化されているのではないでしょうか。
5.精神疾患の回復には家族の安定が必須
一緒に生活する家族のメンタルや体調が安定して、生活に少しでも余裕を感じられるようにならなければ、病気の本人も療養生活に専念出来ません。
そして家族の忍耐も無尽蔵ではありません。
病気本人を一番そばで支える家族を支える体制と、その必要性はもっと広まるべきだと思います。
言い方が良くないかもしれませんが、耐え続けている家族はもっと「被害者ヅラ」をしていいと思います。
辛い、苦しい、と発信しなければ周囲は気づきません。
辛さを的確に表現できるスキルは、[太字]家族にこそ必要[太字]ではないでしょうか。