第19回 立原正秋に学ぶ研究者の指導における「つよさ」
2018年に他界された西澤潤一先生(第17代東北大学総長)は、1973年に以下の様な「三原則」を研究室の壁にかかげて、研究者を指導されていた。
[西澤三原則]
1.未だやられていない事でなければならない(第1指導訓)。
2.どこよりも早く発表しなければならない(第2指導訓)。
3.他人がやり直しをせねばならないようではならない(第3指導訓)。
宮沢賢治は自然科学と宗教の一致を述べている。自然科学において師の教えを信じることと、宗教において師の教えを信じることは同じなのではなかろうか。
今回は、この西澤三原則と北川進先生が日本学術会議総会での「不純な動機で研究は続かない」の説示をベースに、エリートとしての大学教授の責任と義務を考えてみる。
なお、西澤先生は、在職中に62名の課程博士(コースドクター)を育てているが、「三原則」が記載された額縁が研究室の壁に掲げられたのが1973年であるため、62名の内約半数近くの中には、この額縁を見たことのない弟子が存在するようである。
§1 「独創研究」とは、ジェネリックテクノロジを生み出すもの
残念なことに最近の大学教授は、「改良研究」と「独創研究」が識別出来なくなって、セムメルヴェイス(Semmelweis)反射の傾向に陥っているようである。
(1.1)学会の表彰レベルの低下
西澤三原則の第1指導訓が説示する「未だやられていない事でなければならない」とは、「独創研究」とは従来の技術や学問分野の延長にない不連続性(ディスラプション)を伴う研究を意味することを述べている。即ち、「独創研究」は、新たな学問と新たな基盤技術(ジェネリックテクノロジ)を生み出すものであることを述べているが、最近の研究者は従来の学問分野が構成しているパラダイムの延長上にある「改良研究」と、パラダイムから離脱する「独創研究」とを混同しているようである。
従来の技術や学問分野の延長にない不連続性という意味では、市場で入手可能な製造装置のプロセスを利用して新しい物を発明しようとする研究は、改良研究にしかならない。よって、権威あるパラダイムの中に陥る危険性を、研究者は十分に認識する必要がある。
最近の研究者における「改良研究」と「独創研究」の混同は、改良研究のレベルの成果に過ぎない業績を権威ある学会が表彰する場合がかなりあることも一因であろう。即ち、改良研究のレベルの成果に過ぎないのに、権威ある学会から表彰されたことをもって、自分が独創研究をしたと勘違いをしている研究者が多いのが現状である。このことは、学会レベルで表彰された研究者が東北大学には多数いるという現状を踏まえた上で、西澤先生が「最近の東北大からは独創研究が出ていない」と嘆いておられた事実からも明かである。
(1.2)20世紀の3大発明とは
東京大学理学部教授で理化学研究所主任研究員を兼任されていた霜田光一先生は、「20世紀の三大発明」は、「メーザ及びレーザ」、「トランジスタ」、「原子炉」の三つであると述べている(霜田光一著、『メーザとレーザの発明』、電子通信学会誌、第62巻、第2号、p.113、(1979年)。)。三大発明である「メーザ及びレーザ」、「トランジスタ」並びに「原子炉」の何れも、ジェネリックテクノロジ(基盤技術)を生み出した独創研究である。
以下の表1に示すように、三大発明のうちの「メーザ及びレーザ(第1発明)」及び「トランジスタ(第2発明)」の2つに西澤先生の発明が関与しているところに留意が必要である。
【表1】20世紀の三大発明(第1~第3発明の名称は単なる便宜上の表現)
西澤先生の嘆きは、「20世紀の三大発明」に匹敵する「21世紀の三大発明」が東北大学から生み出されていない実情に関して、現在の教授達の認識が低いということである。
C. H.タウンズ(Townes)がアンモニアメーザ(分子発振器)の動作をPhysical Reviewに投稿したのは1954年5月である(J.P.Gordon et al, “Molecular Microwave Oscillator and New Hyperfine Structure in the Microwave Spectrum of NH3”, Physical Review, vol. 95, pp. 282-284, (1954):筆頭著者のゴードン(Gordon)はタウンズのもとでメーザの実現に取り組んだコロンビア大学の博士課程の大学院生で、ノーベル賞の非対象。)。
当時の米国は先発明主義であったので、タウンズがアンモニアメーザの特許出願をしたのは1958年の1月である(米国特許第2879439号)。メーザ(MASER)はマイクロ波帯の発振器であるが、メーザの周波数よりも1万倍以上高周波となる光の領域まで発信周波数を高くしたのがレーザ(LASER)である。西澤先生が1957年4月に半導体レーザの特許出願(特許第273217号)をしているが、1964年のノーベル賞を受賞したタウンズがレーザの特許出願をしたのは、1958年7月である(米国特許第2929922号)。
LASER(Light Amplification by Stimulated Emission of Radiation)という用語は、タウンズ教授と会って電磁放射の放出について議論したコロンビア大学の大学院生G.グールド(Gould)のアイデアである。1957年11月にグールドは、LASERという名称や、2つの鏡を使った共振器のアイデアについて実験ノートに書いていた。グールドは1959年4月にレーザの特許出願をしたが、タウンズ教授らの特許出願が先なので、米国特許商標庁(USPTO)により拒絶された。
タウンズ教授とグールドは、28年間の裁判の後、米国特許4,704,583号として登録されたので、米国では、「真のレーザの発明者」はグールドとされている。しかし、表1から分かるように、西澤先生の日本国特許庁への特許出願は、グールドが実験ノートにLASERの発想を記載した日よりも4月早く、第1発明の真の発明者として加えられ得る資格があると考える。
(1.3)3大発明に残された課題
表1に示すように、三大発明には、それぞれノーベル賞が付与されている。1964年にC. H.タウンズ教授らがノーベル物理学賞の受賞理由は、「メーザ、レーザの発明および量子エレクトロニクス分野の基礎研究」で、表1に示した三大発明の第1発明に対する付与である。1956年にW.B.ショックレー(Shockley)らが受賞したノーベル物理学賞の受賞理由は、「半導体の研究およびトランジスタ効果の発見」で、三大発明の第2発明に対する付与である。
表1に示したように、三大発明の第3発明となる原子炉関係では2つのノーベル賞が付与されている。1938年のE.フェルミ(Fermi)のノーベル物理学賞の受賞理由は、「中性子衝撃による新放射性元素の発見と、熱中性子による原子核反応の発見」である。1938年のO.ハーン(Hahn)のノーベル化学賞の受賞理由は、「重い原子核の核分裂の発見」である。
しかし、20世紀の三大発明のいずれにも課題が残っており未完成である。第3発明の原子炉関係では核廃棄物の処理の問題が周知の課題である。西澤先生は2006年に小泉首相宛に提出した「エネルギ・環境と人類の未来/日本の脱石油戦略を考える、高圧直流送電」の提言の中で、第3発明の課題は第2発明である西澤先生のSITで解決できることを説明している(正確には、SITファミリデバイスであるSIサイリスタと、p-i-nダイオードを用いた直流送電技術が第3発明を不要にするというものである。)。
西澤先生の2006年の提言は無視されたが、内閣総理大臣退任後の2013年になって小泉氏は「原子力発電所をゼロにせよ」と発言している。
第2発明のトランジスタの時代の前に真空管の時代があった。表1には示されてはいないが、1883年のT.A.エジソン(Edison)によるエジソン効果の発見を端緒として、J.A.フレミング(Fleming)が1904年に2極真空管を発明している(米国特許第803,684号)。更に、1906年になり、L.D.フォレスト(Forest)が3極真空管を発明し、増幅作用を持つ3極真空管の登場により、エレクトロニクス時代が事実上幕開けをした(米国特許第879,532号)。その後、1926年にG.ホルスト(Holst)らが、5極真空管を発明している(米国特許第1,945,040号)。
しかし、真空管の完全なるトランジスタへの置き換えが出来ていないというのが、第2発明の課題である。1989年頃からNHKはSIT使用の10kWの中波放送機の運用を開始しているが、未だ電子レンジにはマグネトロンという真空管が使用されている。陽極分割型マグネトロンは、東北帝国大学の八木秀次教授の指導で1927年に岡部金治郎助教授が開発したものである(特許第75257号)。
第二次世界大戦の勝敗の帰趨を決めたのはレーダであるとの説がある(平成13年第151回国会憲法調査会参考人西澤潤一意見陳述)。米国MITが出版している数十冊のシリーズ本(ラディエーション・ラボラトリ・シリーズ)の表紙には岡部先生の発明したマグネトロンの絵が使われているが、陽極分割型マグネトロンは第2次世界大戦における連合軍のマイクロ波レーダ技術の要であった。
西澤先生の研究目的の一つに、マイクロ波帯で動作する電力用SITを実現して、電子レンジのマグネトロン真空管を置き換え、真空管の時代を終焉させることがあった。2.45GHzで36W出力を達成したが、残念ながら目標の100Wの実現の前に他界された(J. Nishizawa et al., "The 2.45GHz 36W CW Si Recessed Gate Type SIT with High Gain and High Voltage Operation", IEEE Trans. Electron Devices, Vol.47, No.2, pp.82-478, (2000))。
1974年の第64回日本学士院賞の授賞理由を説明する西澤先生の審査要旨には、「新しい型のトランジスタを試作し、電力用真空管やマグネトロン真空管に匹敵するトランジスタを実現した」と説明されている。第64回日本学士院賞の候補に西澤先生を推薦したのは八木秀次先生である。八木先生は英国留学でフレミング教授(2極真空管の発明者)の下で3極真空管を研究していた。八木先生の慧眼は3極真空管型の特性を持つSITが電力用真空管やマグネトロン真空管を置き換えることが可能であることを見抜いていたようである。
仙台市川内にある西澤記念資料室のメモリアルルームにはSIT搭載のオーディオアンプが展示されている。西澤先生は「自分が発明したトランジスタで音楽が聴けるのはショックレーと俺だけだ」と自慢されていた。
八木先生が見抜かれたように、ヤマハが製品化したSIT搭載のオーディオアンプは、当時名器として有名であったマッキントッシュ(McIntosh)社の高級真空管アンプが持つ艶やかさや厚みにひけを取らないと評判になっている。
ヤマハが1974年に製品化したモデルB-1の周波数特性は、5Hz〜100kHzであったが、1976年のモデルB-3では、DC〜100kHzである。八木先生は第64回日本学士院賞の推薦の中で、オーディオアンプよりも更に4桁以上周波数の高いマグネトロン真空管のマイクロ波の領域までSITの動作が可能であり、SITによってマグネトロン真空管の置き換えが可能と期待されていたと思われる。
トランジスタは構造を微細化すれば高周波化できるが出力が減少する。即ち、トランジスタの高周波化と高出力化はトレードオフ(二律背反)の関係があるので、マグネトロン真空管の領域であるマイクロ波帯において、1素子のトランジスタが100W以上の高出力を出すのは極めて難しい。
マグネトロン真空管を置き換える新しい型のトランジスタ(SIT)の実現により、携帯用の折り畳み式電子レンジが出来る。西澤先生の折り畳み式電子レンジのアイデアに関する実用新案登録出願(実願58-134978)が拒絶されたため、西澤先生は最高裁に上告したが棄却された(平03(行ツ)15号)。筆者は、この最高裁への上告には西澤先生の中に八木先生の意思を大切にする思いが込められていると推察している。SITによる真空管の完全な置き換えの研究を、どれほど西澤先生が大切にしていたことを示すものである。
表1の歴史から西澤先生の発明したSITは、FET(第1のトランジスタ)、BJT(第2のトランジスタ)に次ぐ「第3のトランジスタ」ではあるが、第3のトランジスタの開発によって、真空管の時代が終焉するパラダイムシフトが完成するのである。
表1に示したように、1975年の西澤先生のSITの論文は、1952年のショックレイのFETの動作理論を否定するものであり、IEEEの査読者を悩ました実績がある。しかし、現在の多くの半導体の教科書はショックレイのFETの動作理論を、未だに採用しており、世の中には保守性バイアスやシステム正当化バイアスが機能している。
1975年に西澤先生がノーベル賞受賞者ショックレイの理論を否定した内容は、FETのチャネルの抵抗の負帰還により、FETのドレイン電圧―ドレイン電流特性は飽和型(5極真空管型)の特性になるというものである。1975年の論文で西澤先生は、チャネルの抵抗を無くしているので、SITのドレイン電圧―ドレイン電流特性は不飽和型(3極真空管型)の特性になるということを示した。
筆者が西澤研究室に最初にお世話になった1972年に、大学院の同級生としてA君がいた。A君は、SITに直列抵抗を外部につけた回路を用意して、不飽和型(3極真空管型)が飽和型(5極真空管型)になるという測定をやっていた。SITにはチャネル抵抗が無いということは、トランジスタの消費電力と動作速度にとって極めて重要である。チャネル抵抗は熱損失になる。
現在の社会が導入に活発になっているAIにおいては、半導体集積回路の消費電力は極めて重要な問題である。チャネル抵抗による熱損失がないSITはAIの時代に好適な半導体集積回路をもたらすものである。更に、SITにはチャネル抵抗が無いということは、電子の走行距離が短いということで、トランジスタの動作速度を高めるので、高速が要求されるAIにはSIT集積回路の採用が必須である。高速のトランジスタは、第3のトランジスタであるSITにならざるを得ない必然が存在するのである。
14世紀のオッカム(Ockham)村の哲学者ウィリアム(William)は、構造が単純な方が優れており、「よけいなものはカミソリで削ぎ落とせ」という「オッカムのカミソリ」の指針を述べている。
MOSFETを短チャネル化すると、MOSFETのドレイン電圧―ドレイン電流特性は不飽和型(3極真空管型)になる短チャネル効果が発生する必然性がある。しかし、不思議なことに産業界は必死になって、よけいなもの加えてドレイン電圧―ドレイン電流特性を飽和型(5極真空管型)に戻そうとする余計な努力をしている。世の中には依然として、パラダイムへの固執が強固に存在しているのである。
高速・低消費電力用にはCMOS型のSIT集積回路が既に開発され、1990年に論文が出ている(J. Nishizawa et al., “U-Grooved SIT CMOS Technology with 3fJ and 49ps (7mW,350fJ) Operation”, IEEE Trans. on Electron Device, vol. 37, pp.1877-1883, (1990))。
ヤマハが1974年に製品化したオーディオアンプにも接合型SITが使われており、歴史上接合型SITが最初に紹介された。SITというと歴史的経緯から「接合型SIT」のみを思い浮かべる人もいるようであるが誤解である。
しかし、西澤先生は、MOS型のSITも提案している(特許第1320814号、第1437601号、第1468299号、第1474816号、第1474819号、第1476201号等)。特許第1320814号の出願は1977年である。そして、1990年のCMOSSITの論文のような試作結果の紹介もある。現在の半導体集積回路の主力たりうるMOS型SITが、MOS型FETを置換できる段階に到達しているのである。
先日、外国の巨大半導体企業の設計・企画の担当の研究者と話す機会があった。その巨大半導体企業はMOS型SITの存在を知らず、SITとは接合型であるという認識であったので、上記の1990年のCMOSSITの論文を紹介した。筆者の会った巨大半導体企業の研究者は3極真空管型の特性では論理動作に不安があるとの意見であったが、西澤先生の1990年のCMOSSITの論文には論理動作が可能であることが示されていることを説明した。
(1.4)テラヘルツ将軍の狙いはフォノンの直流励起
1964年のノーベル物理学賞は、「メーザ、レーザの発明および量子エレクトロニクス分野の基礎研究」に与えられたが、「メーザ」は電波のマイクロ波の領域の発振装置であり、「レーザ」は光の領域の発振装置である。G.グールドは、LASERという名称の他にX線領域に対しXASER、紫外線領域に対しUVASER、赤外線領域にIRASER等の名前を考えていたとされる。
「周波数は財産なり」と言われたのは逓信院総裁を務められた松前重義先生であるが、メーザとレーザの間の領域に位置するテラヘルツ帯の増幅発振素子を開発する研究は最も遅れ、テラヘルツ帯は「電磁波の暗黒地帯」と呼ばれていた。
【図1】電磁波の暗黒地帯で格子振動を励起する
図1の左端のゾーンに示したマイクロ波(GHz帯)の周波数は3GHz~300GHzで「メーザ」に対応する領域である。その右にテラヘルツ波を周波数300 GHz~3THzの領域として示している。但し、テラヘルツ波の定義は曖昧で、300 GHz~10THzの定義もある。本来は1THz~1000THz(=1PHz)までをテラヘルツ帯と呼ぶべきであるが、実用上0.1THz~30THz程度の領域がテラヘルツ帯と呼ばれる場合もある。
図1の右側から2番目の赤外線を示す周波数3THz~400THz(波長100μm~750nm)の帯域は、グールドが名付けたアイレイザ(IRASER)の領域に対応する。図1の右端には、可視光の帯域として、周波数400THz~750THz (波長750 nm~400nm)が示されている。
現在He-Neレーザとしては632.8nmの赤い可視光が使われる場合が多いが、1960年にベル研究所のチームが発振に成功したのは1.15μmの赤外線で、周波数は約260THzであった。そして、1962年になって632.8nmの赤色可視光(波長約474THz)が発振しているが、図1の右端の可視光の帯域がレーザの領域になる。
マイクロ波及び可視光を含む、マイクロ波と可視光の間の図1に示したすべての帯域が、三大発明を構成する第1発明の対象とする領域である。このことは「電波を高周波化し、光の領域まで通信に利用せよ」という八木先生の指導哲学であり、東北大学の独創研究の系譜である。
図1に示したマイクロ波と可視光の間が「電磁波の暗黒地帯」と呼ばれた理由の一つは、テラヘルツ帯の領域は量子論と古典論の境界に位置するからであろう。他の理由の一つは、黒体輻射による熱線の支配する遠赤外線の領域であり、人間社会の背景に存在する遠赤外線という環境から分離してテラヘルツの信号を用いるためには、発振素子の環境を低温に冷却する等の工夫が必要になってくるからである。
西澤先生は、1957年の半導体レーザ(発明の名称は「半導体メーザ」である。)の発明後に、メーザとレーザの間の領域の研究を開始した。『IEEE Transactions on Terahertz Science and Technology』の初代編集長をされたP.H.シーゲル(Siegel)博士は、西澤先生を「テラヘルツ将軍」と呼んでいる(P. H. Siegel, “Terahertz Pioneer: Jun-ichi Nishizawa ‘THz Shogun’”, IEEE Transaction on terahertz science and technology, vol.5, no.2, p.162-169, (2015))。
西澤先生は1963年の「電子科学」誌4月号において「化合物分子の固有振動によるチェレンコフ輻射」がテラヘルツ帯の発振素子になりうることを予言している(西澤潤一著、『半導体レーザの生い立ちと特質』、電子科学、第14巻、第4号、pp17-20、(1963))。同じ1963年の9月にはR.ラウドン(Loudon)が光学的異方性物質による誘導ラマン効果の可能性を指摘する論文を発表している(R Loudon, "Theory of Stimulated Raman Scattering from Lattice Vibrations", Proc. Phys. Soc., Vol. 82, No. 3, pp.393-400 (1963))。
そして、1979年に西澤先生は、GaP結晶にポンプ光を照射して誘導ラマン散乱をさせて、ラマンレーザを実現した(J. Nishizawa et al., “Semiconductor Raman Brillouin Laser”, J, Appl. Phys.,vol.51, no.5, p.2429-2431 (1980))。図1の中央上側に示したピンク色で埋められた丸が、GaP結晶の結晶格子を構成するガリウム(Ga)の原子の模型であり、薄い青色で埋められた丸が結晶格子を構成する燐(P)原子の模型である。
しかしながら、西澤先生が1963年の『電子科学』で提案した「量子論の適用範囲を低周波側まで拡張する」研究は、未だ一部しか実現されていない。西澤先生はポンプ光を照射せず、直流で結晶格子が構成する音波を励起して信号源とするような量子論を適用した装置も考えていたからである(特許第844479号)。
西澤先生はガン発振のときに超音波発振増幅があるという現象を1967年に実験的に確かめている(K. Okamoto et al., “Ultrasonic-Wave Generation in Oscillating n-GaAs”, RIEC Technical Report, TR-22, (1967))。このガン発振のような「直流励起ラマンレーザ」の構想が、20世紀の三大発明のうちの第1発明「メーザ及びレーザ」に残された課題である。
§2 「独創研究」は弟子や部下にも理解されない
2025年にノーベル化学賞を受賞した北川進先生は、2026年8月の日本学術会議総会で「金や名声など不純な動機で研究は続かない」と発言されている。
20世紀の三大発明となるような偉大な独創研究は「点」の事象として捉えるべきではなく、師の教えが脈々と伝えられる系譜の潮流としての「線」の中で捉えるべきである。
西澤先生は、ゲッチンゲン大学を範とする学風を挙げながらも、東北大学の実証主義の系譜の源流はグラスゴー大学にあると述べている(西澤潤一著、『独創の系譜』、日本放送出版協会、pp.42-43、(1992年))。しかし、筆者は、このコラムの第28回で図2を引用して説明したように、グラスゴー大学を源流とする系譜は、更にソルボンヌ校(パリ大学理学部)まで遡ると考える。
https://mbp-japan.com/aomori/soh-vehe/column/201027/
八木先生は、「工業技術は連続的に進歩するものではない。いつも飛躍的に、非連続的に進歩するものである」と言われている(松尾博志著、『電子立国日本を育てた男』、文芸春秋、p.196、(1992))。
既に述べたとおり独創研究は非連続的である。工業技術が適用される産業界に存在する保守的な心理傾向や、現在の状態を過剰に守ろうとする認知の偏りを考慮すると、ソルボンヌ校(パリ大学理学部)を源流とする独創研究の系譜を、不純な動機が消滅させる危機が存在する。
特に、「独創研究」は非連続的であるので、弟子や部下にも理解されない場合が発生する。例えば、西澤先生から3極真空管型のドレイン電圧―ドレイン電流特性の素子を試作するように命じられた部下が、指示どおりに製造すると3極真空管型になってしまうので、教科書に記載されているFETの5極真空管型の特性を得ようとして必死に努力していたという事件がある。
独創研究が理解できないのはエリートである大学教授でも同じである。既に述べたとおり独創研究は非連続的であるので、産業界に存在する保守的な心理傾向や、現在の状態を過剰に守ろうとする認知の偏りを考慮すると、大学における独創研究の系譜の存続にも、北川進先生の警鐘が極めて重要となる。
北川進先生が学術会議総会で警鐘を鳴らされたように、短絡的な応用研究や成果主義では、独創研究はできない。独創研究には、未知の状況やリスクを嫌わない「不純ではない動機」や、規則や権威を重視する傾向から離脱する「不純ではない動機」が必要である。
短絡的な応用研究や成果主義の結果を示す例として、西澤研究室で学位を得た東北大名誉教授でありながら、「SITなど使い物にならない、世の中で使われ始めて技術の価値が生まれる」と言うような、師の教えを尊ばない「不純な動機」が生まれる。
第1指導訓に「未だやられていない事でなければならない」の教示がある故、「SITなど使い物にならない」と言って、SITを超える他の独創研究を開始するのであれば、西澤三原則にかなった論理性と一応言えるかも知れない。しかし、「SITなど使い物にならない」と言って、従来技術の延長であるFETの改良研究をするのは、現在の産業界の状態を過剰に守ろうとする「不純な動機」といえよう。
「SITなど使い物にならない、世の中で使われ始めて……」というのは、世の中の既存の常識や世の中の既存の評価基準を重視して、情報の更新を拒絶する現状維持バイアスでしかない。
現状維持バイアスの大きな産業界がSITを使うようになるためには、師の教えに従いSITを自ら試作してデータを示し、その科学的事実でSITの良さを説明し、産業界(世の中)に働きかける努力をするのが使命である。しかし、大学組織の内部の権力闘争の縦社会に潜む「不純な動機」は、学問の原点であるべきはずの大学が独創研究の系譜を維持できるように、世の中に働きかける姿勢から外れて行く方向に導くことになる。
ある大学の某大学(東北大ではない)のフロンティア工学系教授は、「大学教授はみなさんそれほど立派ではありません。出身研究室の成果を否定して、はやりのテーマで、ワンメークして、自分のアイデンティティを認めてもらえないと、その人も教授として……」と言われていた。その自分のアイデンティティを認めてもらいたいという目的こそが「不純な動機」によるテーマのワンメークではなかろうか。
上記の教授は、更に「研究には時間がかかり、成果は積分として現れます。どのようなテーマを選択し、どれを続けるかは、その研究者が10年や20年後に摘み取る果実の質を決めるのでしょうが、それだけ先のことをだれも予想することができません。……、オリジナリティの本質は何をやり、何をやらないか、どこに時間を使うかです」と言われていた。しかし、このコラムで言いたいのは、改良研究の中に「オリジナリティ」や「テーマ」を見つけざるを得ない大学教授が多いことの問題である。
論文の査読の基準となる「オリジナリティ」と、西澤先生が三原則で言われる独創研究とは、全く異なるレベルに存在する。
エリートである大学教授は、物事の本質を見極める科学的な眼により保守性バイアスを改め、パラダイムへ固執する防衛的傾向を回避し、師が教えた独創研究の系譜を見つめ、短絡的な応用研究や成果主義から離脱する必要がある。
(2.1) 第3指導訓の教える意味
三原則の第3指導訓の「他人がやり直しをせねばならないようではならない」は、間違ったことを言うと誰にも信じてもらえなくなるから、独創研究をするものは間違ってはならないと教えているのである。権威主義的且つ不確実性回避傾向のある産業界に対して、独創研究の成果を訴える為には、「あの研究者のいうことはいつも正しい」という信用を得るための第3指導訓である。
「SITなど使い物にならない」と筆者に言った東北大名誉教授は、「お前は宗教をやっているのか」と言った。西澤研究室で学位を得た別の教授は、「私は西澤教と言われないように言動に注意したい」と述べていた。しかし、宗教か否かの前に、師の教えを弟子が信じるか否かという問題がある。
筆者が学生の頃、西澤先生から「英国人は10回試して、すべて信用できると分かるまで、他人を信じない」と教えられた。第3指導訓は、独創研究をする研究者は間違ったことを言えば、誰にも信用されなくなるから、間違った研究成果を世の中に発表して、世の中のシステム正当化バイアスに負けてはならないと教えているのである。
2009年の上智大学の半導体研究所開設式典の当日病気を発症された。しかし、西澤先生は周囲の制止を振り切り、命の危険を顧みず、必死に何かを言われようとしていた。病気のため呂律の回らない先生の発言(筆者には良く聴き取れなかった)の中の断片的な言葉を合わせると、先生は光プロセスのことを言われようとしていたと、筆者は考えている。
光プロセスとは光のエネルギを用いた半導体製造プロセスのことである。光プロセスの一つに、光のエネルギを用いた結晶成長技術として光エピタキシャル成長技術(以下において、「光エピ」と略記する。)を西澤先生は1961年に提案している(西澤潤一著、『モレクトロニックス(Molectronics Program)(Ⅰ)』、金属学会誌、第25巻、第5号、p. A-149~A-157、(1961年))。
西澤先生が光エピの実験結果をJ.Electrochem. Soc.(ECS)誌に1967年に投稿した論文は「不確実な異端」として排除された。しかし、1981年の「第1回VLSIシンポジウム」において、ヒューズ社のサコージ(Sarkozy)博士が「この研究を最初にやったのは日本人で、1967年のことであり、その論文はECS誌に投稿されたが掲載拒否され、後から投稿された別な論文が掲載になった」と説明している。
「SITなど使い物にならない」と筆者に言った東北大名誉教授は、半導体の専門家として光プロセスの重要性を知っているはずなのに、「光エピなど知っている半導体の研究者はいない」と、西澤研究室で学位を得た教授としても、半導体の研究者としても大変に疑問となる認知バイアスを示されている。
筆者はブラッグの三原則(Bragg’s three rules)について、西澤先生から何度も聞かされた(F. J. Dyson, “The Future of Physics", Physics Today 23 (9), 23?28 (1970))。
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1.過去の栄光にとらわれることなかれ
(Don't try to revive past glories.)
2.流行のテーマを追うな
(Don't do things just because they are fashionable.)
3.理論家の結論したことを信じるな
(Don't be afraid of the scorn of the theoreticians.)
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ブラッグの三原則の「流行のテーマを追うな」は、独創研究には重要な考え方であり、西澤先生は「流行のテーマを追う研究者は研究者としての見識がない」と言われていた。西澤先生の研究は、単発の研究(ライフスパンの短い研究)で終わらず、ライフワークとして長い時間をかけて流行のテーマを追わずに、継続して研究されてこられたことに重要性がある。
今の研究者は、流行のテーマを追い短期に成果の上がる研究をしないと、研究費が獲得できない「不純な動機」に溢れた環境にあるので、ブラッグの三原則の指導原理から離れざるを得ない。政府は、2023年になってやっと、研究開発に長い時間と多額の費用を要する専門性の高い先進技術であるディープテックに着目し、「ディープテック・スタートアップ支援事業(DTSU)」を開始したようである。
独創研究は、長い時間的な流れの中で、ダイナミックに発展を捕らえる必要があるディープテックであり、その研究の経緯をよく勉強する必要がある。「光エピなど知っている半導体の研究者はいない」と、発言することは、流行のテーマを追う不純な動機のある研究者の発言であって、ディープテックとしての独創研究をする研究者の発言ではない。
「ディープテック」は、S.チャトゥルヴェディ(Chaturvedi)による造語であり、“companies based on breakthrough science or engineering”と定義されている。チャトゥルヴェディの定義する“breakthrough science or engineering”とは、独創研究である(https://www.propelx.com/blog/what-attracts-me-most-to-deep-tech-startups/)。西澤先生の業績は、静的な成果に着目するのではなく、ディープテックとして長い時間をかけたダイナミックな潮流として、そのプロセスに着目する必要がある。
そして、従来の常識から不連続となる独創研究に依拠した技術が産業界からの信頼を得る地位を獲得するためには、更に長い年月が必要である。
なお、『特許行政年報2019』によれば、特許庁の知財活動インタビューに答えて「研究には旬が大切」という主旨の言及をした東北大学教授がいる。研究の旬を求めることが不純な動機に繋がる可能性は、ディープテックの研究においても十分に留意することが必要であろう。
(2.2)信じる行為の一態様が宗教
1992年にローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が地動説に関して、ガリレオ・ガリレイに対して公式に裁判の誤りを認めて謝罪している。633年にガリレオが宗教裁判で有罪となってから、359年後のことである。又、1925年には、米国テネシー州ではダーウインの進化論を教えた高校の教師J.T.スコープス(Scopes)が逮捕され、100ドルの罰金刑が言い渡されている(スコープス裁判:通称モンキー裁判)。
以下の図2に宗教の歴史を示した。図2のゾロアスター教やバラモン教以前に示す原始ミトラ教には、独自の「無からの天地創造」の教理はない。ミトラは、もともと契約や光、太陽を司る神であり、宇宙そのものをゼロから創り出した「創造主」ではないが、ゾロアスター教やバラモン教は明確な天地創造(宇宙創成)の教義や神話を持っている。
図2に示すゾロアスター教を系譜に持つユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、世界の始まりに神や絶対的な存在が世界を創造したという天地創造の教義を持っている。そして、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教には、ダーウインの進化論を受け入れる融和派と否定する保守派(ファンダメンタリズム)がある。
【図2】宗教の歴史
アメリカの福音派などのキリスト教の一部には、激しく進化論を否定する社会運動を起こしている。イスラム教の保守派も教義の構造上、人間の進化を最も受け入れがたいと感じている傾向が強い。
図2に示す「バラモン教」という呼び名は、19世紀の欧州の研究者によるもので、当時は「ヴェーダの教え」とされていた。バラモン教は「天地創造」の教義を有するので、図2に実線で示すバラモン教の流れにあるヒンズー教は、「天地創造」の教義を有する。
一方、仏陀は、ヴェーダの教えを奉じるアーリア人の主流社会から距離をおいた釈迦族の出身で、バラモン教を批判する形で仏教を開いているので、図2では破線で関係を図示している。
既にこのコラムの第83回で説明したように、西澤先生は「守破離(シュ・ハ・リ)」の3段階プロセスを引用して研究を指導していた(https://mbp-japan.com/aomori/soh-vehe/column/5187629/)。
12世紀の哲学者B.シャルトル(Carnotensis)の言葉として、「我々は巨人の肩に乗った小人のようなものだ。だから、巨人たちよりも多くのものを見ることができる」のような主旨の言葉が知られている。1676年になって、シャルトルの言葉は、「過去からの知の積み重ねが科学技術の発展に重要である」ということを示すI.ニュートン(Newton)の言葉として伝搬・変容している。
宗教の多くには守破離の思想は見いだし難いので、科学技術との相違点になる。しかし、仏陀は、「髪形によって、家柄によって、生まれによってバラモンなのではない。真実と法をそなえた者こそバラモンである」と説き、仏教はバラモン教を批判する形で開かれたので守破離の段階を経ているように思われる(『ダンマパダ』393偈、同400偈)。
守破離の段階を経ることにより、図2に破線でバラモン教との関係を示した仏教、ジャイナ教では、世界は始まりも終わりもない循環(輪廻)するもの、あるいは絶対的な創造主を否定する立場となり、「天地創造」の教義はない。
以上のとおり、宗教の教義や教理により宗教には自然科学に反するとされるものが含まれる場合や、守破離による革新や発展の思想ない場合がある。しかし、これらの相違点を除いた場合、宗教の布教には、論理的思考ができる討論に強い人間が必要であることは、F.ザビエル(Xavier)の書簡に示されている(河野純徳訳、『聖フランシスコ・ザビエル全書簡第4巻』、平凡社(東洋文庫)、pp.61~73、(1994)等参照。)。
例えば、ザビエルがインドのコーチンから欧州の本部宛てに送った1552年1月29日付けの書簡には、「日本人は非常に知性が高く、疑問があれば納得いくまで追及してくる。そのため、哲学や神学を深く修め、どんな鋭い質問にも論理的に答えられる、大学で教鞭を執れるレベルのトップクラスの知識人でなければ、日本の異教徒や僧侶たちに対抗できない」と記載している。
論理的思考や論理的思考に依拠した討論が必要なことは、宗教であっても科学技術に関する研究であっても同じである。信じるというのは、論理的思考によって信じるか否かということであり、信じるという行為に宗教か科学技術かの区別はない。よって、信じるという行為の一態様が宗教であって、「お前は宗教をやっているのか」と言う教授は、大学院で自身を教えた師の教えをどのように考えているのか疑問である。
ザビエル自身が、ヨーロッパで当時最高峰だったパリ大学の出身の超エリートであった。そのザビエルは、「ヨーロッパの大学で優秀な成績を修めた者たちよ、部屋に引きこもって学問をしている場合ではない、今すぐ日本へ来なさい!」と、書簡に書いている。
(2.3) 宮沢賢治は自然科学者
2023年11月25日付の『東京新聞』のコラム(筆洗)は、仙台の半導体研究所の玄関正面に飾られた宮沢賢治の「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」の言葉を引用していた。『東京新聞』は、宮沢賢治が1926年に著した「農民芸術概論綱要」の一節が臈纈染めにされた染物の額縁を例に、「日本全体が食うためには電子工業をやらなくてはならない」という西澤先生の研究姿勢を論じていた。
宮沢賢治の弟の宮沢清六の孫の和樹氏に2022年に面会したとき、宮沢賢治は、自然科学者で専門は地質学であるということを教えられた。東北帝国大学化学科の初代教授の一人である片山正夫先生が著した10編35章からなる1000頁を超える『化学本論』(内田老鶴圃、1915 年)という厚い物理化学の教科書を、賢治は座右の書としていたということであった。
『銀河鉄道の夜』はファンタジー作品と言われることが多いが、宮沢静六は「空想ではなくきちんと根拠があり、そこから想像して書かれたものだ」と言っていたと、宮沢和樹氏から教えられた。
『銀河鉄道の夜』を読んだことが毛利衛氏を宇宙飛行士にするきっかけになったそうである。実際、毛利衛氏は宮沢静六を訪ねて「物語の中に、宇宙空間の中の星の輝きや漆黒の闇などを表現している部分があるけれど、それは実際に見ないと描写できない光景なのに、なぜ書けたのか」を尋ねたようである。
『化学本論』の刊行当時の1915年の刊行当時において量子論は未だ黎明期であった。片山先生は化学に量子論を組み込んだ最初の人物であり、『化学本論』の序文には、「……放射能の研究、電子説、量子説等の発達は、……」と記載されている。天文学者の谷口義明先生は、『銀河鉄道の夜』等の作品に、アインシュタインの相対性理論や最先端の天文学・宇宙観が驚くほど正確に反映されていることを見出している(谷口義明著、『天文学者が解説する宮沢賢治『銀河鉄道の夜』と宇宙の旅?』、光文社新書)。
西澤先生が大切にされていた「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」を記載した『農民芸術概要綱要』の「序論」の内容の一部は以下の通りであり、宮沢賢治の科学と宗教の一致の考え方が分かる。
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近代科学の実証と求道者たちの実験と
我らの直感の一致に於いて論じたい
世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
自我の意識は個人から集団社会宇宙へと次第に進化する
この方向は古い聖者の踏みまた教えた道ではないか
新たな時代は世界が一の意識になり生物になる方向にある
正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識して
これに応じて行くことである
われらは世界のまことの幸福を索ねよう
求道すでに道である
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以上のとおり、宮沢賢治は、近代科学の実証と求道者(宗教)の実験が一致することを述べている。そして、既にのべたとおり、論理的思考や論理的思考に依拠した討論が必要なことも、自然科学と宗教は一致しているのである。
宮沢和樹氏によれば、西澤先生は、宮沢静六に会いに行き、宮沢賢治の考え方を研究されていたということである。
(2.4) 仏教と量子論の一致
米国では仏教は宗教ではなく、哲学の範疇に分類されているようである。
表1から、20世紀の三大発明の内の二つの発明に関与しているのは西澤先生しかいないことが分かる。筆者の大学院生のころ、西澤先生が機械工学の博士号と化学の博士号を取らせる予定であると言われていたのを記憶している。更に、その研究の範囲は、1990年代になって、生物・医療の分野にまで拡がった。
これらの非常に広い分野で成果を挙げている理由を、西澤先生は「たぶんそれは、他の人より量子力学の本質をつかんでいましたからでしょうね」と説明している(松尾義之著、『対象と真摯に向き合う、そして畏れ、恐れず』、科学技術振興機構、産官学連携ジャーナル、p.18~20、(2011年))。
以下においては、西澤先生の得意とされていた量子力学の分野に着目し、自然科学と仏教の一致を「色即是空、空即是色」の思想から説明する。
仏陀の入滅から約500年後の紀元前1世紀~3世紀頃の大乗仏教の中で成立した般若心経にある仏教用語の「色即是空・空即是色」が生まれた。紀元2~3世紀頃に活動した龍樹(ナーガールジュナ)が、膨大な『般若心経』の思想を理論的に体系化・論理化して大乗仏教の基礎を築いたとされおり、「色即是空、空即是色」の考え方は仏陀が直接語った言葉ではない。
即ち、原始仏教には「縁起」、「諸行無常」や「無我」等の考え方はあったが、「色即是空・空即是色」は、紀元2世紀中頃〜3世紀頃に龍樹が『中論』などの論書が体系化したもので、原始仏教にあった考え方ではない。そして、龍樹の『中論』の論理的・批判的考察が大乗仏教の実践的な経典である『般若心経』として成立したのは5世紀から6世紀頃であり、仏教においては、固定した教義・経典が維持されているわけでは無く、自然科学と同様な発展のプロセスが存在していることに留意が必要である。
量子物理学は「見るまで位置が決まらない」と表現するが、般若心経では「空」と表現している。般若心経の核心は量子力学の波粒二重性と概念的に驚くほど一致しているようである。般若心経の「色即是空」は、物質は固定した実体がない波動の状態と解釈できる。般若心経の「空即是色」は、実体のないものが現象として現れるということで、量子力学における観測した瞬間に電子が粒として確定するという解釈に符合する。宇宙の方程式が波動方程式で表現されていることにも留意が必要である。
C.ヴェッリ(Rovelli)は、物体や素粒子は、それ単体で絶対的な性質や位置を持つのではなく、「他のものと相互作用(関係)したとき」に初めて現れ、世界は孤立した「物質(実体)」の集まりではなく、出来事と関係のネットワークであるとするループ量子論を展開している。これに対し龍樹の「空」は、すべてのものは独立した固定的な本質(自性)を持たず、条件や原因によって相互に依存して成立していると縁起を説明している点で深く共鳴・一致している。
紀元前後から3世紀頃にかけて単独の初期大乗経典として成立した「十地経」や、十地経の教えを発展・統合する形で、3~5世紀頃までに纏め上げられた「華厳経」に眼を転じてみる。すると、量子物理学では「観測した瞬間に状態が確定する」と表現するが、華厳経や十地経の経典では「心が世界をうつし出す」と表現しているという符合関係に気が付く。
更に、2022年にA.アスペ(Aspect)博士らが受賞したノーベル物理学賞の「離れた粒子が影響し合う量子もつれ」の現象は、阿含経典や華厳経の経典の「縁起えんぎ」に対応する。1935年にアインシュタインらが、「遠く離れた粒子同士が瞬時に影響し合う」矛盾を指摘した「局所実在論」を、1982年にアスペ博士らのチームが実験的に証明して否定したのである。
阿含経典は、仏陀の入滅後、仏陀の教えが口伝えで記憶・継承され、紀元前4世紀から紀元前1世紀頃にかけて編纂された、原始仏教(初期仏教)の姿を伝える経典である。
このように量子力学の考え方と仏教の思想には一致があるので、一部の量子力学の研究者は仏教を学習し始めている。
§3 大学教授は批判に晒される責務がある
公共の役に立つ職責を負う大学教授等は、一般市民から批判される責務をもっているのである。それ故、大学教授としての本来の研究をしていないという批判を「誹謗・中傷」と捉えることは、大学教授の奢りであろう。更に、「大学教授はみなさんそれほど立派ではありません」というのも、エリートとしての自覚を欠く大学教授の怠慢と言えよう。
筆者は「大学教授は企業が直ぐ役に立つ研究ではなく、20年~30年先の日本に役に立つ研究をするのが、大学教授としての本来の研究である」という指導を西澤先生から受けてきた(例えば、鈴木壯兵衞 相沢幸悦著、『西澤潤一の人間道場 研究を経営するとは、どういうことか』、水曜社等参考。)。
https://suiyosha.hondana.jp/book/b651302.html
20年~30年先に役に立つ長期的視野はディープテックでも共通の考え方であろう。長期的視野の研究を基幹としていたため、「あの教授は企業が直ぐ役に立つ研究しかしていない。お前が行って注意してこい」「独創研究が出ていない。教授どもに意見してこい」等の指示を、西澤先生から何度も受けている。
(3.1) 子曰、過而不改、是謂過矣
孔子は、子曰、過而不改、是謂過矣(子曰わく、過ちて改めざる、是れを過ちと謂う)」と教えている(論語衛霊公第15)。大学教授として独創研究をしていないという過ちに気づきながらも、過ちを改めようとしない態度こそが、本当の意味での過ちであるという意味である。大学教授としての過ちをその大学教授に指摘することは、「誹謗・中傷」ではない。
筆者は度々西澤先生から教えられたのは、孔子の「行己有恥,使於四方,不辱君命,可謂士矣(己を行うに恥あり、四方に使いして君命を辱しめざる、士と謂うべし)」である(論語子路第13)。自分の行動に誇りと恥じらいの気持ちを持ち、四方へ使いとして赴いた際に、先生の命令や期待を汚すことなく果たせる者、そういう人が「士」と言えるということである。大学教授として独創研究をしないで、先生の命令や期待を汚すことなく果たせる者たり得るのであろうか。
そして、「使於四方,不辱君命」の故に、現在も「あなたは独創研究をしていない」等の恐れ多いことを、怖い大学の先生に向かって言い続けなければいけないのである。士業に携わるもの、学士、修士、博士は「士」であると教えられた。
西澤三原則の第1指導訓と第2指導訓は長岡半太郎先生の指導の系譜と考える。西澤教授室には、渡辺寧先生が西澤先生に贈った「学術尊先覚」の色紙が飾られていたが、「学術尊先覚(学術は先覚を尊ぶ)」は、長岡先生が渡辺先生に与えた銘である(渡辺寧著、『会長挨拶』、電気学会誌、第79巻、第850号、(1959年)、pp.833~836)。学術尊先覚を鑑みると、第1指導訓の「未だやられていない事でなければならない」には渡辺先生の系譜も含まれていることになる。色紙の「先覚」に「どこよりも早く発表しなければならない」の意味が含まれているのなら、第2指導訓についても同様である。
昭和13年の電気三学会連合大会で八木秀次先生は、「私は帝国大学の物理学科の物理学会の教授として責任を持って発言している」と述べ、大学教授は間違ったことは言わないということを激しい口調で述べたことが、電気三学会で長く伝えられているとのことである(松尾博志著、『電子立国日本を育てた男』、文芸春秋、p.196、(1992))。この八木先生の電気三学会連合大会での発言は、西澤三原則の第3指導訓の「他人がやり直しをせねばならないようではならない」に繋がるものである。
(3.2) 独創研究の系譜の大切さ
即ち、西澤三原則は、長岡先生、八木先生、渡辺先生の独創研究の系譜の理念が裏で繋がっているものである。
わが国の経済の衰退には、わが国の大学の研究レベルの衰退と、大学の独創研究に投資しない企業の性向や体質が大きく関係している。2025年9月に、英高等教育専門誌タイムズ・ハイヤー・エデュケーション(THE )は、世界大学ランキング2026を発表した。総合ランキング1位はマサチューセッツ工科大学、2位プリンストン大学、3位ハーバード大学、4位スタンフォード大学、5位カリフォルニア工科大学で、英米系の大学がトップ10を占めた。日本の大学は、東京大学が26位、京都大学が61位、東北大学が103位、大阪大学が151位、東京工業大学が301~350位、名古屋大学が201~250位であった。
A.アインシュタイン(Einstein)博士は、1922年の来日のときには、東北大学をライバル視していたということである。しかし、THEの世界大学ランキング2026が示すように、現在の東北大学は残念な状況になっている。
1993年にS.W.ホーキング (Hawking) 博士が仙台を訪れたが、その理由は、『アインシュタイン博士の本を読んでいたら、「やがてわれわれの大学と競争関係に入る大学は東北大学だ」と書いてあったからだ』と答えたと伝えられている。晩年のアインシュタインは、1922年の来日のときを振り返り「本多、日下部、愛知、石原が揃っていたころの仙台は脅威だった」と述懐している(松尾博志著、『電子立国日本を育てた男』、文藝春秋、p94、(1992年))。
長岡先生→八木先生→渡辺先生→西澤先生と引き継がれてきた独創研究の系譜が今途絶えようとしている。「SITなど使い物にならない」と言っている東北大名誉教授がいるので、東北大学では八木先生が大切にしたSITの研究をする研究室がなくなってしまった。
(3.3) そして誰もいなくなった
西澤先生は、62名の課程博士を育てて、その内、大学/高専の教授等になった弟子は25名いる。2026年の西澤先生生誕百周年を迎えるにあたって、SITの研究をしている研究室は、独創研究の本流である東北大学に存在していない。僅かに、支流となる大学に、62名の過程博士の一人である教授を経由した孫弟子がSITを研究しているようである。
他の例外は、西澤先生が退官の年(平成元年)に、西澤研究室の最後の博士号を取得した留学生である。この西澤研究室の最後の博士号取得者は、母国である韓国の国立木浦(モッポ)大学校の電気工学科の教授に就任し、韓国国内におけるパワー半導体や静電誘導デバイス(SIデバイス)研究の第一人者として長年教鞭を執った(現在は名誉教授)。
西澤先生が直接育てた62名の課程博士の誰もが、SITの研究をしていない一つの理由は、西澤先生の研究の主力を、東北大学から独立した財団法人半導体研究振興会の半導体研究所を移したからである。
東北大学から独立した財団法人の研究員とすることにより、独創研究の成果が出ない研究員には給与が十分に支払われない仕組みにして、研究者の精神を追い込む理想郷で後継者を育成することを目指した。62名の課程博士の内、9名を財団法人の研究員にしている。しかし、2008年に資金難で理想郷を目指した財団法人が解散した。この財団法人の解散が、西澤先生の後継者育成教育の大きな誤算になっている。
韓国の木浦大学校の他、SITの研究報告が出てくるのは、米国のボストン大学やアーカンソー大学、イタリアのナポリ大学、北マケドニアのスコピエ国公立大学、ルーマニアのブカレスト工科大学、中国甘粛省の蘭州大学等の外国からということも、日本の大学等でSITの研究がされていないことの他の理由となろう。
Siの(100)面の1分子層の厚さは0.136nmである。西澤先生は1980年代の後半にSiの半導体集積回路を1分子層単位で製造する技術を成功していた(J. Nishizawa et al, “Siliconmolecular Layer Epitaxy”, J. Elecrochem. Soc., vol.137, p.1898, (1990))。西澤先生の技術は、現在政府が巨額の資金を投入しているラピダス(Rapidus)(株)が開発予定の2nm世代よりもさらに1桁以上微細な寸法である。しかし、半導体集積回路を1分子層単位で製造する技術に誰も着目しない。
かくも独創研究をディープテックとして成長させることは、難しいことなのか。独創研究の系譜を発展させることが、東北大学の教授の使命であることを忘れてはならない。
(3.4) 理論には寿命がある
宮沢賢治の「農民芸術概論綱要」の一節や「量子もつれ」の現象に伴う量子物理学の動向を鑑みると、自然科学において師の教えを信じることと、宗教において師の教えを信じることは同じであると考えてよいのではなかろうか。
確かに古典力学が量子力学に発展したように、自然科学においては理論の発展や変化があるので、宗教とは異なる傾向があるように見えるかも知れないが、キリスト教における宗教改革や仏教における大乗仏教の成立等の変遷・変化が存在している。
ここで、八木先生が英国留学で師事したフレミング教授が「実験的に確かめた事実は、いつまでも残る。だが、理論は生まれては消え、消えては生まれる。事実には寿命はないが、理論には必ず寿命があるのだ」と教えたことに留意したい(松尾博志著、『電子立国日本を育てた男』、文芸春秋、p.86、(1992))。
この普遍性のある実験的事実を大切にするのが、ソルボンヌ校を源流とする東北大学の独創研究の系譜である。よって、独創研究の教義のなかで守破離の3段階で技術の発展があるとしても、実証主義を尊重する自然科学において師の教えを信じることと、宗教において師の教えを信じることは同じであろう。
畢竟、自然科学においても宗教においても「師の教えを信じることが出来るか否か」でスタートするのである。それ故に、ザビエルの書簡に記載された「日本人は非常に知性が高く、疑問があれば納得いくまで追及してくる」に注目する必要がある。
辨理士・技術コンサルタント(工学博士 IEEE Life member)鈴木壯兵衞でした。
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