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第88回 ディープテックの基盤としての独創研究を理解し、改良研究との違いを識別するのが大学教授の責務である

テーマ:研究者の指導

 2018年に他界された西澤潤一先生(第17代東北大学総長)は、1973年に以下の様な「三原則」を研究室の壁にかかげて、研究者を指導されていた。

[西澤三原則]
   1.未だやられていない事でなければならない(第1指導訓)。
   2.どこよりも早く発表しなければならない(第2指導訓)。
   3.他人がやり直しをせねばならないようではならない(第3指導訓)。

§1 「独創研究」とは、ジェネリックテクノロジを生み出すもの

 残念なことに最近の大学教授は、「改良研究」と「独創研究」が識別出来なくなって、セムメルヴェイス(Semmelweis)反射の傾向に陥っているようである。

(1.1)学会の表彰レベルの低下

 西澤三原則の第1指導訓が説示する「未だやられていない事でなければならない」とは、「独創研究」とは従来の技術や学問分野の延長にない不連続性(ディスラプション)を伴う研究を意味することを述べている。即ち、「独創研究」は、新たな学問と新たな基盤技術(ジェネリックテクノロジ)を生み出すものであることを述べているが、最近の研究者は従来の学問分野が構成しているパラダイムの延長上にある「改良研究」と、パラダイムから離脱する「独創研究」とを混同しているようである。

 従来の技術や学問分野の延長にない不連続性という意味では、市場で入手可能な製造装置のプロセスを利用して新しい物を発明しようとする研究は、改良研究にしかならない権威あるパラダイムの中に陥る危険性のレールに乗っていることを十分に認識する必要がある。

 最近の研究者における「改良研究」と「独創研究」の混同は、改良研究のレベルの成果に過ぎない業績を権威ある学会が表彰する場合がかなりあることも一因であろう。即ち、改良研究のレベルの成果に過ぎないのに、権威ある学会から表彰されたことをもって、自分が独創研究をしたと勘違いをしている研究者が多いのが現状である。このことは、学会レベルで表彰された研究者が東北大学には多数いるという現状を踏まえた上で、西澤先生が「最近の東北大からは独創研究が出ていない」と嘆いておられた事実からも明かである。

(1.2)20世紀の3大発明とは

 東京大学理学部教授で理化学研究所主任研究員を兼任されていた霜田光一先生は、「20世紀の三大発明」は、「メーザ及びレーザ」、「トランジスタ」、「原子炉」の三つであると述べている(霜田光一著、『メーザとレーザの発明』、電子通信学会誌、第62巻、第2号、p.113、(1979年)。)。三大発明である「メーザ及びレーザ」、「トランジスタ」並びに「原子炉」の何れも、ジェネリックテクノロジ(基盤技術)を生み出した独創研究である。

 以下の表1に示すように、三大発明のうちの「メーザ及びレーザ(第1発明)」及び「トランジスタ(第2発明)」の2つに西澤先生の発明が関与しているところに留意が必要である。

【表1】20世紀の三大発明(第1~第3発明の名称は単なる便宜上の表現)

 西澤先生の嘆きは、「20世紀の三大発明」に匹敵する「21世紀の三大発明」が東北大学から生み出されていない実情に関して、現在の教授達の認識が低いということである。

 C. H.タウンズ(Townes)がアンモニアメーザ(分子発振器)の動作をPhysical Reviewに投稿したのは1954年5月である(J.P.Gordon et al, “Molecular Microwave Oscillator and New Hyperfine Structure in the Microwave Spectrum of NH3”, Physical Review, vol. 95, pp. 282-284, (1954):筆頭著者のゴードン(Gordon)はタウンズのもとでメーザの実現に取り組んだコロンビア大学の博士課程の大学院生で、ノーベル賞の非対象。)。

 当時の米国は先発明主義であったので、タウンズがアンモニアメーザの特許出願をしたのは1958年の1月である(米国特許第2879439号)。メーザ(MASER)はマイクロ波帯の発振器であるが、メーザの周波数よりも1万倍以上高周波となる光の領域まで発信周波数を高くしたのがレーザ(LASER)である。西澤先生が1957年4月に半導体レーザの特許出願(特許第273217号)をしているが、1964年のノーベル賞を受賞したタウンズがレーザの特許出願をしたのは、1958年7月である(米国特許第2929922号)。

 LASER(Light Amplification by Stimulated Emission of Radiation)という用語は、タウンズ教授と会って電磁放射の放出について議論したコロンビア大学の大学院生G.グールド(Gould)のアイデアである。1957年11月にグールドは、LASERという名称や、2つの鏡を使った共振器のアイデアについて実験ノートに書いていた。グールドは1959年4月にレーザの特許出願をしたが、タウンズ教授らの特許出願が先なので、米国特許商標庁(USPTO)により拒絶された。
 
 タウンズ教授とグールドは、28年間の裁判の後、米国特許4,704,583号として登録されたので、米国では、「真のレーザの発明者」はグールドとされている。しかし、表1から分かるように、西澤先生の日本国特許庁への特許出願は、グールドが実験ノートにLASERの発想を記載した日よりも4月早く、第1発明の真の発明者として加えられ得る資格があると考える。

(1.3)3大発明に残された課題

 表1に示すように、三大発明には、それぞれノーベル賞が付与されている。1964年にC. H.タウンズ教授らがノーベル物理学賞の受賞理由は、「メーザ、レーザの発明および量子エレクトロニクス分野の基礎研究」で、表1に示した三大発明の第1発明に対する付与である。1956年にW.B.ショックレー(Shockley)らが受賞したノーベル物理学賞の受賞理由は、「半導体の研究およびトランジスタ効果の発見」で、三大発明の第2発明に対する付与である。
 
 表1に示したように、三大発明の第3発明となる原子炉関係では2つのノーベル賞が付与されている。1938年のE.フェルミ(Fermi)のノーベル物理学賞の受賞理由は、「中性子衝撃による新放射性元素の発見と、熱中性子による原子核反応の発見」である。1938年のO.ハーン(Hahn)のノーベル化学賞の受賞理由は、「重い原子核の核分裂の発見」である。
 
 しかし、20世紀の三大発明のいずれにも課題が残っており未完成である。第3発明の原子炉関係では核廃棄物の処理の問題が周知の課題である。西澤先生は2006年に小泉首相宛に提出した「エネルギ・環境と人類の未来/日本の脱石油戦略を考える、高圧直流送電」の提言の中で、第3発明の課題は第2発明である西澤先生のSITで解決できることを説明している(正確には、SITファミリデバイスであるSIサイリスタと、p-i-nダイオードを用いた直流送電技術が第3発明を不要にするというものである。)。
 
 西澤先生の2006年の提言は無視されたが、内閣総理大臣退任後の2013年になって小泉氏は「原子力発電所をゼロにせよ」と発言している。

 第2発明のトランジスタの時代の前に真空管の時代があった。表1には示されてはいないが、1883年のT.A.エジソン(Edison)によるエジソン効果の発見を端緒として、J.A.フレミング(Fleming)が1904年に2極真空管を発明している(米国特許第803,684号)。更に、1906年になり、L.D.フォレスト(Forest)が3極真空管を発明し、増幅作用を持つ3極真空管の登場により、エレクトロニクス時代が事実上幕開けをした(米国特許第879,532号)。その後、1926年にG.ホルスト(Holst)らが、5極真空管を発明している(米国特許第1,945,040号)。

 しかし、真空管の完全なるトランジスタへの置き換えが出来ていないというのが、第2発明の課題である。1989年頃からNHKはSIT使用の10kWの中波放送機の運用を開始しているが、未だ電子レンジにはマグネトロンという真空管が使用されている。陽極分割型マグネトロンは、東北帝国大学の八木教授の指導で1927年に岡部金治郎助教授が開発したものである(特許第75257号)。

 米国MITが出版している数十冊のシリーズ本(ラディエーション・ラボラトリ・シリーズ)の表紙には岡部先生の発明したマグネトロンの絵が使われているが、陽極分割型マグネトロンは第2次世界大戦における連合軍のマイクロ波レーダ技術の要であった。西澤先生の研究目的の一つに、マイクロ波帯で動作する電力用SITを実現して、マグネトロン真空管を置き換え、真空管の時代を終焉させることがあったが、残念ながら実現の前に他界された。
 
 1974年の第64回日本学士院賞の授賞理由を説明する西澤先生の審査要旨には、「新しい型のトランジスタを試作し、電力用真空管やマグネトロン真空管に匹敵するトランジスタを実現した」と説明されている。
 
 マグネトロン真空管を置き換える新しい型のトランジスタ(SIT)の実現により折り畳み式電子レンジが出来る。西澤先生の折り畳み式電子レンジのアイデアに関する実用新案登録出願(実願58-134978)が拒絶されたため、西澤先生は最高裁に上告したが棄却された(平03(行ツ)15号)。最高裁に上告したということは、SITによる真空管の完全置き換えをする研究を如何に大切にされていたかということが分かる。
 
 表1の歴史から西澤先生の発明したSITは、FET(第1のトランジスタ)、BJT(第2のトランジスタ)に次ぐ「第3のトランジスタ」ではあるが、第3のトランジスタの開発によって、真空管の時代が終焉するパラダイムシフトが完成するのである。表1に示したように、1975年のSITの論文は、1952年のショックレイのFETの動作理論を否定するものであり、IEEEの査読者を悩ました実績がある。
 
 しかし、現在の多くの半導体の教科書はショックレイのFETの動作理論を、未だに採用しており、世の中には保守性バイアスやシステム正当化バイアスが機能している。
 
 1975年に西澤先生がノーベル賞受賞者ショックレイの理論を否定した内容は、FETのチャネルの抵抗の負帰還により、FETのドレイン電圧―ドレイン電流特性は飽和型(5極真空管型)の特性になるというものである。1975年の論文で西澤先生は、チャネルの抵抗を無くしているので、SITのドレイン電圧―ドレイン電流特性は不飽和型(3極真空管型)の特性になるということを示した。
 
 筆者が西澤研究室に最初にお世話になった1972年に、大学院の同級生としてA君がいた。A君は、SITに直列抵抗を外部につけた回路を用意して、不飽和型(3極真空管型)が飽和型(5極真空管型)になるという測定をやっていた。SITにはチャネル抵抗が無いということは、トランジスタの消費電力と動作速度にとって極めて重要である。チャネル抵抗は熱損失になる。
 
 現在の社会が導入に活発になっているAIにおいては、半導体集積回路の消費電力は極めて重要な問題である。チャネル抵抗による熱損失がないSITはAIの時代に好適な半導体集積回路をもたらすものである。更に、SITにはチャネル抵抗が無いということは、電子の走行距離が短いということで、トランジスタの動作速度を高めるので、高速が要求されるAIにはSIT集積回路の採用が必須である。高速のトランジスタは、第3のトランジスタであるSITにならざるを得ない必然が存在するのである。
 
 MOSFETを短チャネル化すると、MOSFETのドレイン電圧―ドレイン電流特性は不飽和型(3極真空管型)になる短チャネル効果が発生する。しかし、不思議なことに産業界は必死になって、ドレイン電圧―ドレイン電流特性を飽和型(5極真空管型)に戻そうとする余計な努力をしている。世の中には依然として、パラダイムへの固執が強固に存在しているのである。
 
 高速・低消費電力用にはCMOS型のSIT集積回路が既に開発され、1990年に論文が出ている(J. Nishizawa et al., “U-Grooved SIT CMOS Technology with 3fJ and 49ps (7mW,350fJ) Operation”, IEEE Trans. on Electron Device, vol. 37, pp.1877-1883, (1990))。

(1.4)テラヘルツ将軍の狙いはフォノンの直流励起

 1964年のノーベル物理学賞は、「メーザ、レーザの発明および量子エレクトロニクス分野の基礎研究」に与えられたが、「メーザ」は電波のマイクロ波の領域の発振装置であり、「レーザ」は光の領域の発振装置である。G.グールドは、LASERという名称の他にX線領域に対しXASER、紫外線領域に対しUVASER、赤外線領域にIRASER等の名前を考えていたとされる。

 「周波数は財産なり」と言われたのは逓信院総裁を務められた松前重義先生であるが、メーザとレーザの間の領域に位置するテラヘルツ帯の増幅発振素子を開発する研究は最も遅れ、テラヘルツ帯は「電磁波の暗黒地帯」と呼ばれていた。

【図1】電磁波の暗黒地帯で格子振動を励起する

 図1の左端のゾーンに示したマイクロ波(GHz帯)の周波数は3GHz?300GHzで「メーザ」に対応する領域である。その右にテラヘルツ波を周波数300 GHz?3THzの領域として示している。但し、テラヘルツ波の定義は曖昧で、300 GHz?10THzの定義もある。本来は1THz~1000THz(=1PHz)までをテラヘルツ帯と呼ぶべきであるが、実用上0.1THz~30THz程度の領域がテラヘルツ帯と呼ばれる場合もある。

 図1の右側から2番目の赤外線を示す周波数3THz?400THz(波長100μm?750nm)の帯域は、グールドが名付けたアイレイザ(IRASER)の領域に対応する。図1の右端には、可視光の帯域として、周波数400THz?750THz (波長750 nm?400nm)が示されている。

 現在He-Neレーザとしては632.8nmの赤い可視光が使われる場合が多いが、1960年にベル研究所のチームが発振に成功したのは1.15μmの赤外線で、周波数は約260THzであった。そして、1962年になって632.8nmの赤色可視光(波長約474THz)が発振しているが、図1の右端の可視光の帯域がレーザの領域になる。

 図1に示したマイクロ波と可視光の間が「電磁波の暗黒地帯」と呼ばれた理由の一つは、テラヘルツ帯の領域は量子論と古典論の境界に位置するからであろう。他の理由の一つは、黒体輻射による熱線の支配する遠赤外線の領域であり、人間社会の背景に存在する遠赤外線という環境から分離してテラヘルツの信号を用いるためには、発振素子の環境を低温に冷却する等の工夫が必要になってくるからである。

 西澤先生は、1957年の半導体レーザ(発明の名称は「半導体メーザ」である。)の発明後に、メーザとレーザの間の領域の研究を開始した。『IEEE Transactions on Terahertz Science and Technology』の初代編集長をされたP.H.シーゲル(Siegel)博士は、西澤先生を「テラヘルツ将軍」と呼んでいる(P. H. Siegel, “Terahertz Pioneer: Jun-ichi Nishizawa ‘THz Shogun’”, IEEE Transaction on terahertz science and technology, vol.5, no.2, p.162-169, (2015))。

 西澤先生は1963年の「電子科学」誌4月号において「化合物分子の固有振動によるチェレンコフ輻射」がテラヘルツ帯の発振素子になりうることを予言している(西澤潤一著、『半導体レーザの生い立ちと特質』、電子科学、第14巻、第4号、pp17-20、(1963))。同じ1963年の9月にはR.ラウドン(Loudon)が光学的異方性物質による誘導ラマン効果の可能性を指摘する論文を発表している(R Loudon, "Theory of Stimulated Raman Scattering from Lattice Vibrations", Proc. Phys. Soc., Vol. 82, No. 3, pp.393-400 (1963))。

 そして、1979年に西澤先生は、GaP結晶にポンプ光を照射して誘導ラマン散乱をさせて、ラマンレーザを実現した(J. Nishizawa et al., “Semiconductor Raman Brillouin Laser”, J, Appl. Phys.,vol.51, no.5, p.2429-2431 (1980))。

 しかしながら、西澤先生が1963年の『電子科学』で提案した「量子論の適用範囲を低周波側まで拡張する」研究は、未だ一部しか実現されていない。西澤先生はポンプ光を照射せず、直流で結晶格子が構成する音波を励起して信号源とするような量子論を適用した装置も考えていたからである(特許第844479号)。

 西澤先生はガン発振のときに超音波発振増幅があるという現象を1967年に実験的に確かめている(K. Okamoto et al., “Ultrasonic-Wave Generation in Oscillating n-GaAs”, RIEC Technical Report, TR-22, (1967))。このガン発振のような「直流励起ラマンレーザ」の構想が、20世紀の三大発明のうちの第1発明「メーザ及びレーザ」に残された課題である。

§2 「独創研究」は弟子や部下にも理解されない

 「SITなど使い物にならない、世の中で使われ始めて技術の価値が生まれる」と言った、西澤研究室で学位を得た東北大名誉教授がいる。しかし、現状維持バイアスの大きな産業界がSITを使うようになるためには、自ら試作してデータを示し、その科学的事実でSITの良さを説明し、産業界に働きかける努力をするのが、発明者の弟子である教授の使命であろう。

 大学教授は、物事の本質を見極める科学的な眼により保守性バイアスを改め、パラダイムへ固執する防衛的傾向を回避する必要がある。

(2.1) 第3指導訓の教える意味

 三原則の第3指導訓の「他人がやり直しをせねばならないようではならない」は、間違ったことを言うと誰にも信じてもらえなくなるから、独創研究をするものは間違ってはならないと教えているのである。権威主義的且つ不確実性回避傾向のある産業界に対して、独創研究の成果を訴える為には、「あの研究者のいうことはいつも正しい」という信用を得るための第3指導訓である。

 「SITなど使い物にならない」と筆者に言った東北大名誉教授は、「お前は宗教をやっているのか」と言った。西澤研究室で学位を得た別の教授は、「私は西澤教と言われないように言動に注意したい」と述べていた。しかし、宗教か否かの前に、師の教えを弟子が信じるか否かという問題がある。

 筆者が学生の頃、西澤先生から「英国人は10回試して、すべて信用できると分かるまで、他人を信じない」と教えられた。第3指導訓は、独創研究をする研究者は間違ったことを言えば、誰にも信用されなくなるから、間違った研究成果を世の中に発表して、世の中のシステム正当化バイアスに負けてはならないと教えているのである。

 2009年の上智大学の半導体研究所開設式典の当日病気を発症された。しかし、西澤先生は周囲の制止を振り切り、命の危険を顧みず、必死に何かを言われようとしていた。病気のため呂律の回らない先生の発言(筆者には良く聴き取れなかった)の中の断片的な言葉を合わせると、先生は光プロセスのことを言われようとしていたと、筆者は考えている。

 光プロセスとは光のエネルギを用いた半導体製造プロセスのことである。光プロセスの一つに、光のエネルギを用いた結晶成長技術として光エピタキシャル成長技術(以下において、「光エピ」と略記する。)を西澤先生は1961年に提案している(西澤潤一著、『モレクトロニックス(Molectronics Program)(Ⅰ)』、金属学会誌、第25巻、第5号、p. A-149~A-157、(1961年))。

 西澤先生が光エピの実験結果をJ.Electrochem. Soc.(ECS)誌に1967年に投稿した論文は「不確実な異端」として排除された。しかし、1981年の「第1回VLSIシンポジウム」において、ヒューズ社のサコージ(Sarkozy)博士が「この研究を最初にやったのは日本人で、1967年のことであり、その論文はECS誌に投稿されたが掲載拒否され、後から投稿された別な論文が掲載になった」と説明している。

 「SITなど使い物にならない」と筆者に言った東北大名誉教授は、半導体の専門家として光プロセスの重要性を知っているはずなのに、「光エピなど知っている半導体の研究者はいない」と、西澤研究室で学位を得た教授としても、半導体の研究者としても大変に疑問となる認知バイアスを示されている。

 筆者はブラッグの三原則(Bragg’s three rules)について、西澤先生から何度も聞かされた(F. J. Dyson, “The Future of Physics", Physics Today 23 (9), 23?28 (1970))。

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     1.過去の栄光にとらわれることなかれ
      (Don't try to revive past glories.)
     2.流行のテーマを追うな
     (Don't do things just because they are fashionable.)
     3.理論家の結論したことを信じるな
    (Don't be afraid of the scorn of the theoreticians.)
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 ブラッグの三原則の「流行のテーマを追うな」は、独創研究には重要な考え方であり、西澤先生は「流行のテーマを追う研究者は研究者としての見識がない」と言われていた。西澤先生の研究は、単発の研究(ライフスパンの短い研究)で終わらず、ライフワークとして長い時間をかけて流行のテーマを追わずに、継続して研究されてこられたことに重要性がある。

 今の研究者は、流行のテーマを追い短期に成果の上がる研究をしないと、研究費が獲得できない環境にあるので、ブラッグの三原則の指導原理から離れざるを得ない。政府は、2023年になってやっと、研究開発に長い時間と多額の費用を要する専門性の高い先進技術であるディープテックに着目し、「ディープテック・スタートアップ支援事業(DTSU)」を開始したようである。

 独創研究は、長い時間的な流れの中で、ダイナミックに発展を捕らえる必要があるディープテックであり、その研究の経緯をよく勉強する必要がある。「光エピなど知っている半導体の研究者はいない」と、発言することは、流行のテーマを追う研究者の発言であって、ディープテックとしての独創研究をする研究者の発言ではない。

 「ディープテック」は、S.チャトゥルヴェディ(Chaturvedi)による造語であり、“companies based on breakthrough science or engineering”と定義されている。チャトゥルヴェディの定義する“breakthrough science or engineering”とは、独創研究である(https://www.propelx.com/blog/what-attracts-me-most-to-deep-tech-startups/)。西澤先生の業績は、静的な成果に着目するのではなく、ディープテックとして長い時間をかけたダイナミックな潮流として、そのプロセスに着目する必要がある。

 そして、従来の常識から不連続となる独創研究に依拠した技術が産業界からの信頼を得る地位を獲得するためには、更に長い年月が必要である。

(2.2)信じる行為の一態様が宗教

 1992年にローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が地動説に関して、ガリレオ・ガリレイに対して公式に裁判の誤りを認めて謝罪している。633年にガリレオが宗教裁判で有罪となってから、359年後のことである。又、1925年には、米国テネシー州ではダーウインの進化論を教えた高校の教師J.T.スコープス(Scopes)が逮捕され、100ドルの罰金刑が言い渡されている(スコープス裁判:通称モンキー裁判)。

 以下の図2に宗教の歴史を示した。図2のゾロアスター教やバラモン教以前に示す原始ミトラ教には、独自の「無からの天地創造」の教理はない。ミトラは、もともと契約や光、太陽を司る神であり、宇宙そのものをゼロから創り出した「創造主」ではないが、ゾロアスター教やバラモン教は明確な天地創造(宇宙創成)の教義や神話を持っている。

 図2に示すゾロアスター教を系譜に持つユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、世界の始まりに神や絶対的な存在が世界を創造したという天地創造の教義を持っている。そして、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教には、ダーウインの進化論を受け入れる融和派と否定する保守派(ファンダメンタリズム)がある。
【図2】宗教の歴史

 アメリカの福音派などのキリスト教の一部には、激しく進化論を否定する社会運動を起こしている。イスラム教の保守派も教義の構造上、人間の進化を最も受け入れがたいと感じている傾向が強い。

 図2に示す「バラモン教」という呼び名は、19世紀の欧州の研究者によるもので、当時は「ヴェーダの教え」とされていた。仏陀は、ヴェーダの教えを奉じるアーリア人の主流社会から距離をおいた釈迦族の出身で、バラモン教を批判する形で仏教を開いているので、図2では破線で関係を図示している。

 仏陀は、「髪形によって、家柄によって、生まれによってバラモンなのではない。真実と法をそなえた者こそバラモンである」と説いている(『ダンマパダ』393偈、同400偈)。

 図2において、バラモン教の流れにあるヒンズー教は、「天地創造」の教義を有する。しかし、破線でバラモン教との関係を示した仏教、ジャイナ教では、世界は始まりも終わりもない循環(輪廻)するもの、あるいは絶対的な創造主を否定する立場で「天地創造」の教義はない。

 以上のとおり、宗教の教義や教理には自然科学に反するとされるものが含まれる場合がある。しかし、自然科学に反するか否かの議論を除いた場合、宗教の布教には、論理的思考ができる討論に強い人間が必要であることは、F.ザビエル(Xavier)の書簡に示されている(河野純徳訳、『聖フランシスコ・ザビエル全書簡第4巻』、平凡社(東洋文庫)、pp.61~73、(1994)等参照。)。

 例えば、ザビエルがインドのコーチンから欧州の本部宛てに送った1552年1月29日付けの書簡には、「日本人は非常に知性が高く、疑問があれば納得いくまで追及してくる。そのため、哲学や神学を深く修め、どんな鋭い質問にも論理的に答えられる、大学で教鞭を執れるレベルのトップクラスの知識人でなければ、日本の異教徒や僧侶たちに対抗できない」と記載している。

 論理的思考や論理的思考に依拠した討論が必要なことは、宗教であっても科学技術に関する研究であっても同じである。信じるというのは、論理的思考によって信じるか否かということであり、信じるという行為に宗教か科学技術かの区別はない。よって、信じるという行為の一態様が宗教であって、「お前は宗教をやっているのか」と言う教授は、大学院で自信を教えた師の教えをどのように考えているのか疑問である。

 ザビエル自身が、ヨーロッパで当時最高峰だったパリ大学の出身の超エリートであった。そのザビエルは、「ヨーロッパの大学で優秀な成績を修めた者たちよ、部屋に引きこもって学問をしている場合ではない、今すぐ日本へ来なさい!」と、書簡に書いている。

(2.3) 宮沢賢治は自然科学者

 2023年11月25日付の『東京新聞』のコラム(筆洗)は、仙台の半導体研究所の玄関正面に飾られた宮沢賢治の「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」の言葉を引用していた。『東京新聞』は、宮沢賢治が1926年に著した「農民芸術概論綱要」の一節を臈纈染めされた染物の額縁を例に、「日本全体が食うためには電子工業をやらなくてはならない」という西澤先生の研究姿勢を論じていた。

 宮沢賢治の弟の宮沢清六の孫の和樹氏に2022年に面会したとき、宮沢賢治は、自然科学者で専門は地質学であるということを教えられた。東北帝国大学化学科の初代教授の一人である片山正夫先生が著した10編35章からなる1000頁を超える『化学本論』(内田老鶴圃、1915 年)という厚い物理化学の教科書を、賢治は座右の書としていたということであった。

 『銀河鉄道の夜』はファンタジー作品と言われることが多いが、宮沢静六は「空想ではなくきちんと根拠があり、そこから想像して書かれたものだ」と言っていたと、宮沢和樹氏から教えられた。

『銀河鉄道の夜』を読んだことが毛利衛氏を宇宙飛行士にするきっかけになったそうである。実際、毛利衛氏は宮沢静六を訪ねて「物語の中に、宇宙空間の中の星の輝きや漆黒の闇などを表現している部分があるけれど、それは実際に見ないと描写できない光景なのに、なぜ書けたのか」を尋ねたようである。

 『化学本論』の刊行当時の1915年の刊行当時において量子論は未だ黎明期であった。片山先生は化学に量子論を組み込んだ最初の人物であり、『化学本論』の序文には、「……放射能の研究、電子説、量子説等の発達は、……」と記載されている。天文学者の谷口義明先生は、『銀河鉄道の夜』等の作品に、アインシュタインの相対性理論や最先端の天文学・宇宙観が驚くほど正確に反映されていることを見出している(谷口義明著、『天文学者が解説する宮沢賢治『銀河鉄道の夜』と宇宙の旅?』、光文社新書)。

 西澤先生が大切にされていた「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」を記載した『農民芸術概要綱要』の「序論」の内容の一部は以下の通りであり、宮沢賢治の科学と宗教の一致の考え方が分かる。
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    …………………………………………………………………………
    近代科学の実証と求道者たちの実験と
    我らの直感の一致に於いて論じたい
    世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
    自我の意識は個人から集団社会宇宙へと次第に進化する
    この方向は古い聖者の踏みまた教えた道ではないか
    新たな時代は世界が一の意識になり生物になる方向にある
    正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識して
    これに応じて行くことである
    われらは世界のまことの幸福を索ねよう
    求道すでに道である
    ……………………………………………………
―――――――――――――――――――――――――――――――――――

 以上のとおり、宮沢賢治は、近代科学の実証と求道者(宗教)の実験が一致することを述べている。そして、既にのべたとおり、論理的思考や論理的思考に依拠した討論が必要なことも、自然科学と宗教は一致しているのである。

 宮沢和樹氏によれば、西澤先生は、宮沢静六に会いに行き、宮沢賢治の考え方を研究されていたということである。

(2.4) 仏教と量子論の一致

 米国では仏教は宗教ではなく、哲学の範疇に分類されているようである。

 西澤先生は電子・電気の分野をはずれた機械工学、科学、生物・医療の分野を含む非常に広い分野で成果を挙げている理由を、「たぶんそれは、他の人より量子力学の本質をつかんでいましたからでしょうね」と説明している(松尾義之著、『対象と真摯に向き合う、そして畏れ、恐れず』、科学技術振興機構、産官学連携ジャーナル、p.18~20、(2011年))。

 以下においては、西澤先生の得意とされていた量子力学の分野に着目し、自然科学と仏教の一致を「色即是空、空即是色」の思想から説明する。

 仏陀の入滅から約500年後の紀元前1世紀?3世紀頃の大乗仏教の中で成立した般若心経にある仏教用語の「色即是空、空即是色」が生まれた。紀元前1世紀?3世紀頃のうちの後半の2?3世紀頃に活動した龍樹(ナーガールジュナ)が、膨大な『般若心経』の思想を理論的に体系化・論理化して大乗仏教の基礎を築いたとされおり、「色即是空、空即是色」の考え方は仏陀が直接語った言葉ではない。

 量子物理学は「見るまで位置が決まらない」と表現するが、般若心経では「空」と表現している。般若心経の核心は量子力学の波粒二重性と概念的に驚くほど一致しているようである。般若心経の「色即是空」は、物質は固定した実体がない波動の状態と解釈できる。般若心経の「空即是色」は、実体のないものが現象として現れるということで、量子力学における観測した瞬間に電子が粒として確定するという解釈に符合する。宇宙の方程式が波動方程式で表現されていることにも留意が必要である。

 C.ヴェッリ(Rovelli)は、物体や素粒子は、それ単体で絶対的な性質や位置を持つのではなく、「他のものと相互作用(関係)したとき」に初めて現れ、世界は孤立した「物質(実体)」の集まりではなく、出来事と関係のネットワークであるとするループ量子論を展開している。これに対し龍樹の「空」は、すべてのものは独立した固定的な本質(自性)を持たず、条件や原因によって相互に依存して成立していると縁起を説明している点で深く共鳴・一致している。

 紀元前後から3世紀頃にかけて単独の初期大乗経典として成立した「十地経」や、十地経の教えを発展・統合する形で、3~5世紀頃までに纏め上げられた「華厳経」に眼を転じてみる。すると、量子物理学では「観測した瞬間に状態が確定する」と表現するが、華厳経や十地経の経典では「心が世界をうつし出す」と表現しているという符合関係に気が付く。

 更に、量子物理学における「離れた粒子が影響し合う量子もつれ」の現象は、阿含経典や華厳経の経典では「縁起えんぎ」と表現されている。阿含経典は、仏陀の入滅後、仏陀の教えが口伝えで記憶・継承され、紀元前4世紀から紀元前1世紀頃にかけて編纂された、原始仏教(初期仏教)の姿を伝える経典である。

§3 大学教授は批判に晒される責務がある

 公共の役に立つ職責を負う大学教授等は、一般市民から批判される責務をもっているのであり、それらの批判を「誹謗・中傷」と捉えることは、大学教授の奢りであろう。

 孔子は、子曰、過而不改、是謂過矣(子曰わく、過ちて改めざる、是れを過ちと謂う)」と教えている(論語衛霊公第15)。大学教授として独創研究をしていないという過ちに気づきながらも、過ちを改めようとしない態度こそが、本当の意味での過ちであるという意味である。大学教授としての過ちをその大学教授に指摘することは、「誹謗・中傷」ではない。

 筆者は度々西澤先生から教えられたのは、孔子の「行己有恥,使於四方,不辱君命,可謂士矣(己を行うに恥あり、四方に使いして君命を辱しめざる、士と謂うべし)」である(論語子路第13)。自分の行動に誇りと恥じらいの気持ちを持ち、四方へ使いとして赴いた際に、先生の命令や期待を汚すことなく果たせる者、そういう人が「士」と言えるということである。大学教授として独創研究をしないで、先生の命令や期待を汚すことなく果たせる者たり得るのであろうか。

 西澤三原則の第1指導訓と第2指導訓は長岡半太郎先生の指導の系譜と考える。西澤教授室には、渡辺寧先生が西澤先生に贈った「学術尊先覚」の色紙が飾られていたが、「学術尊先覚(学術は先覚を尊ぶ)」は、長岡先生が渡辺先生に与えた銘である(渡辺寧著、『会長挨拶』、電気学会誌、第79巻、第850号、(1959年)、pp.833~836)。学術尊先覚を鑑みると、第1指導訓の「未だやられていない事でなければならない」には渡辺先生の系譜も含まれていることになる。色紙の「先覚」に「どこよりも早く発表しなければならない」の意味が含まれているのなら、第2指導訓についても同様である。

 昭和13年の電気三学会連合大会で八木秀次先生は、「私は帝国大学の物理学科の物理学会の教授として責任を持って発言している」と述べ、大学教授は間違ったことは言わないということを激しい口調で述べたことが、電気三学会で長く伝えられているとのことである(松尾博志著、『電子立国日本を育てた男』、文芸春秋、p.196、(1992))。この八木先生の電気三学会連合大会での発言は、西澤三原則の第3指導訓の「他人がやり直しをせねばならないようではならない」に繋がるものである。

 即ち、西澤三原則は、長岡先生、八木先生、渡辺先生の指導理念が裏で繋がっているものである。

 わが国の経済の衰退には、わが国の大学の研究レベルの衰退と、大学の独創研究に投資しない企業の性向や体質が大きく関係している。2025年9月に、英高等教育専門誌タイムズ・ハイヤー・エデュケーション(THE )は、世界大学ランキング2026を発表した。総合ランキング1位はマサチューセッツ工科大学、2位プリンストン大学、3位ハーバード大学、4位スタンフォード大学、5位カリフォルニア工科大学で、英米系の大学がトップ10を占めた。日本の大学は、東京大学が26位、京都大学が61位、東北大学が103位、大阪大学が151位、東京工業大学が301~350位、名古屋大学が201~250位であった。
 
 A.アインシュタイン(Einstein)博士は、1922年の来日のときには、東北大学をライバル視していたということである。しかし、THEの世界大学ランキング2026が示すように、現在の東北大学は残念な状況になっている。

 1993年にS.W.ホーキング (Hawking) 博士が仙台を訪れたが、その理由は、『アインシュタイン博士の本を読んでいたら、「やがてわれわれの大学と競争関係に入る大学は東北大学だ」と書いてあったからだ』と答えたと伝えられている。晩年のアインシュタインは、1922年の来日のときを振り返り「本多、日下部、愛知、石原が揃っていたころの仙台は脅威だった」と述懐している(松尾博志著、『電子立国日本を育てた男』、文藝春秋、p94、(1992年))。

 このように、長岡先生→八木先生→渡辺先生→西澤先生と引き継がれてきた独創研究の系譜が今途絶えようとしている。独創研究の系譜を発展させることが、東北大学の教授の使命であることを忘れてはならない。

 辨理士・技術コンサルタント(工学博士 IEEE Life member)鈴木壯兵衞でした。
 そうべえ国際特許事務所は、知的財産経営やデザイン経営のご相談にも積極的にお手伝いします。
              http://www.soh-vehe.jp












 

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鈴木壯兵衞(弁理士)

そうべえ国際特許事務所

外国出願を含み、東京で1000件以上の特許出願したグローバルな実績を生かし、出願を支援。最先端の研究者であった技術的理解力をベースとし、国際的な特許出願や商標出願等ができるように中小企業等を支援する。

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