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第63回 これでよいのか日本の独創研究

鈴木壯兵衞

鈴木壯兵衞

テーマ:研究者の指導

   
 2020年の新しい年を迎えることになったが2021年で「失われた30年」になる。30年間の長期にわたる我が国の経済の停滞は、預金されるだけでマネー(お金)が社会に流通していないことが原因の一つである。そのマネーが流通しない原因は、我が国の独創技術の停滞に辿り着くであろう。そして、独創技術の停滞の原因の一つは教育にあるであろう。
 
 2018年に他界された西澤潤一第17代東北大総長は、晩年、日本の独創技術の停滞を、非常に危惧されていた。その西澤先生は小学校に入る前に「みかん1個とリンゴ1個を足したら、答えがはたして『2個』といえるだろうか、コップ1杯の水と、同じようにコップのフチまで砂糖を入れたものを加えたとき、決して『2杯』にはならない。」というようなことを考えられていたという(西澤潤一著、『独創は闘いにあり』、プレジデント社、p.19)。
 
 しかし、最近では、「リンゴ3個とミカン2個は足せない」と考えた小学生の親が、自分で子供に説明できないので精神科医に相談し、精神科医がその小学生を「発達障害」と診断した例がある(読売新聞2017年7月26日夕刊「子なび」欄)。
 
 G.W.F. ヘーゲル(Hegel)は、「小論理学」第3部概念論において、「数学の公理というものは、その実、論理学上の命題にほかならず」と述べている(ヘーゲル著、松村一人訳、『小論理学下巻』、岩波書店、p.169)。論理学上、厳密に考えれば、「リンゴ3個とミカン2個は足せない」という小学生の判断は正しいのである。
 
 今の日本は独創的な研究者を生み出させる教育制度になっていない。足し算の前提条件をきちんと説明して教育していない小学校の教師や親が間違っているのである。

        今回の目次:
        
     §1 いつまで続くのか世界3位のノーベル賞受賞者数
     §2 ノーベル賞の対象はバブル期以前の業績
     §3 自分をごまかさずに論理的に考える研究者の教育

§1 いつまで続くのか世界3位のノーベル賞受賞者数  

 2015年8月6日に英教育誌タイムズ・ハイヤー・エデュケーション(THE)は、2000年以降の科学・経済分野のノーベル賞受賞者のランキングを発表した。即ち、平和賞と文学賞を除く2000年以降のノーベル賞の受賞者は、米国71人、日本13人、英国12人であり、単純な受賞者の累計数で比較すると、世界2位であった。
 
 ただし、THEは、受賞者が1人なら1点、2人で共同受賞した場合は各0.5点と格付けを決める得点を計算したため、日本は4.3点となり、英国の6点を下回って、格付けのランキングは世界3位であった。この2014年までのTHEの累計数で、2008年の南部陽一郎博士はアメリカ人、2014年の中村修二博士は日本人とカウントしたものと推定する。

 なお、筆者の計算では、2014年までの米国のノーベル賞受賞者の数は81人になった。なぜTHEの米国の受賞者累計数が71名になったのかは不明である。
 
【図1】2000年以降のノーベル賞の受賞者数の累計(平和賞と文学賞を除く)

 図1の左側の縦軸に示した日・英のスケールと右側の縦軸に示した米国のスケールは4倍異なることに留意されたい。図1から分かるように、単純な受賞者の累計数で比較しても、2016年以降、日本は英国の下の世界3位であり、次第に英国との差が開いていくのではなのかと懸念される。

 更に注意が必要なのは、ノーベル賞は最近の業績ではなく、20~30年以前の業績に対して与えられていることである。

§2 ノーベル賞の対象はバブル期以前の業績

  2019年に101歳で他界された中曽根康弘首相(在任期間1982~1987年)が米国レーガン大統領と「ロン・ヤス」の関係を結ぶことができたのは、中曽根首相の当時、日本が「偉大な国」として世界の覇権を握っていたからといえる。このコラムの第59回で説明したように、日本の特許出願件数は1970年に米国を抜き世界第1位の座を保っていた。
 
 戦後のブレトン・ウッズ体制の1ドル=360円の固定相場の時代を経て、1973年4月に日本は変動相場制へ移行した。変動相場制の導入直後に1ドル=260円台まで円高が進んだ。日本の攻勢に驚いたレーガン大統領は、「プロパテント政策」という特許を重視する政策を1985年に開始し反撃を始める。
 
【図2】ノーベル賞は20~30年の過去の業績に対して与えられている

 その結果、特許出願件数1位の地位は2006年に米国に抜き返された。更に2010年になると、日本の特許出願件数は34.5万件まで落ち込み、世界第2位の座を中国に奪われることとなった。1985年頃の日本の1人当たり名目GDPはOECD加盟国中トップクラスであったが、その後低下し、現在は20位のレベルまで低下している。

 2009年に朝日新聞「変転経済」取材班は、1991年の商業用不動産バブルの崩壊後の日本の経済を「失われた20年」と称したが、今や我が国の経済は「失われた30年」になろうとしている。図2から分かるように、2000年以降のノーベル賞の受賞者の受賞対象となった研究業績は、ほとんどが、バブル経済崩壊以前の時代の過去の成果であり、失われた30年における業績は少ない。
 
 1979年にはE.F.ボーゲル(Vogel)の『ジャパン・アズ・ナンバーワン』が発行され、日本経済は黄金期に入る。1981年には、新技術開発事業団(現JST)の創造科学推進事業(ERATO)が発足し、その第1回目のプロジェクト(西澤完全結晶プロジェクト)の総括責任として西澤先生が日本の代表的研究者として選ばれている。なお、『ジャパン・アズ・ナンバーワン』は、2016年頃になり中国で翻訳出版され、爆発的に売れ、中国が昔の日本を研究しているということである。
 
 中曽根康弘氏が行政管理庁長官をしていたときの1982年6月22日に日立製作所と三菱電機が米国IBM社のソフトウェアに対する産業スパイ行為で逮捕された事件が起きている。1985年1月25日に米国のプロパテント政策の契機となるヤングレポートが提出されたが、その年の9月22日に円高ドル安を目的としたプラザ合意が締結されている。
 
 1985年のプラザ合意の前に1ドル=250円台だった円相場が1986年末には160円にまで円高となり、輸出産業に対する逆風となる。
 
 プラザ合意後の円高不況を克服するために中曽根氏が行った内需拡大政策が、商業用不動産バブルを引き起こすことになる。バブル経済の張本人が中曽根氏とされる所以である。「バブル」とは、このコラムの第60回で説明したように、実物経済の価値と市中に流通している金との乖離である。
 
 バブル経済は、竹下登首相(在任期間1987~1989年)、宇野宗佑首相(在任期間1989年6月~8月)。海部俊樹首相(在任期間989~1991年)と続くが、海部首相のとき不動産バブルが崩壊する。海部首相は、戦後の日本で任期中に平均株価が下落した初めての首相の汚名を受けることとなる。
 
 米国で1995年頃から発生したITバブルは1999年頃に日本にも影響を及ぼしたが、2001年にはITバブルも崩壊した。
 
 このように、平成3年(1991年)以降、日本は長期の平成不況に突入し、抜け出せないまま令和の時代を迎える。日本の低成長経済が長期間継続している理由には、企業投資の不振や不良債権処理の先送りなどもあるが、お金(マネー)を有効に使う手段がないことが大きな要因であろう。
 
 日銀が2019年12月20日に発表した2019年第3四半期の資金循環統計によれば、預金取扱機関(銀行などの金融機関)の預金量が1505兆円、家計の金融資産残高1864兆円、家計の現金預金986兆円である。マネーが預金されるだけで社会に流通していないのである。
 
 財務省が2019年5月24日に発表した2018年末における日本の対外純資産残高は341兆5560億円で、日本は28年連続で世界最大の純債権国の地位を維持している。日本で使うマネーの使い道がないのである。
 
 そして、マネーが使われないだけでなく、緊縮経営を目的として、企業が目先の利益を優先し、知的財産の権利化による経営への志向を失っている傾向になってしまっていることが問題である。
 
 更に問題なのは、デフレ経済の結果が大学に及び、大学が目先の成果を追求して独創研究を怠るようになってしまっている傾向にあることである。西澤先生は、「大学は20~30年先に役立つ独創研究をするのが使命である」と常に言われていたが、企業と同じように、大学が短期の成果を目的とするようになってきていることは、大問題である。
 
 目先の利益ではなく、マネーを20~30年先の日本の経済に対して投資する、基礎研究や独創研究が求められているのである。

§3 自分をごまかさずに論理的に考える研究者の教育

 研究に対する投資は重要である。科学技術・学術制作研究所の科学技術指標2018によれば、2015年の研究開発費の対GDP比率は日本の3.55%に対して韓国は4.22%で、韓国の方が上であるが、2019年までにおける韓国の自然科学系ノーベル賞受賞者はゼロである。一方、米国は2.74%、英国は1.67%で日本よりも、研究開発費の対GDP比率が小さいが、自然科学系ノーベル賞受賞者の数は日本より多い。

 日本の2016年の研究開発費総額は18.4兆円(OECD推計では16.9兆円)である。米国は51.1兆円で、総額は日本の3倍であるが、図1に示すノーベル賞受賞者の数は日本の5倍である。英国の研究開発費総額は4.7兆円で日本より少ないが、自然科学系ノーベル賞受賞者の数は日本より多い。韓国の2016年の研究開発費総額は8.0兆円で英国よりも多い。

 ただし韓国の2005年以前の研究開発費総額は英国より少ない。ノーベル賞が20~30年以前の業績に対して与えられていることを考えると、当時の韓国の究開発費総額の低さは問題であろう。一方、バブルが崩壊した1991年以前においても、英国の研究開発費総額が日本より少ないことは、ノーベル賞が20~30年以前の業績に対して与えられているとしても、研究開発費が多いだけでは独創研究が生まれないことを証明している。

 研究開発費は重要であるが、それよりも更に重要なものは、教科書に書いてあることや高名な権威者が言っていることを鵜呑みにせず、論理性のある考え方で、自分の頭でコツコツと検討する研究者の教育であろう。

 西澤先生が世界最高輝度の赤色発光ダイオード(LED)と緑色LEDを実現したのは、「蒸気圧制御温度差液相成長法」という化学量論的組成を制御する技術である。この蒸気圧制御温度差液相成長法の思想は、米国の理論学者J.W.ギブズ(Gibbs)が説く固相・液相・気相の平衡法則に反すると、当時の日本の学者らは考え、西澤先生は学会で袋だたきにされた。

 熱力学の教科書に書いてあるギブズの平衡法則によれば、LEDの結晶の原料となる溶液の飽和溶解度は、温度が一定なら変化しないはずである。リン化ガリウム(GaP)の結晶の液相成長で、飽和溶解度以上に溶液中にリン(P)が溶け込むことは理論上ありえないというのが、日本の学者らの反対であった。このとき英国の学者だけは、「ついにギブズ先生も間違えたか」と応援したという。

 実は固相・液相・気相の平衡を考えるとき、固相を構成している結晶の化学量論的組成のずれを考慮して化学エネルギーを検討すると、結晶を構成している一方の元素が飽和溶解度以上に溶け込む現象はギブズの平衡法則に違反しないのであるが、これが理解されるまでにその後、18年という長い時間がかかった。西澤先生は、以下のように述べている。

 自分をごまかさない、納得いくまでものを考える、考えた結論をもとに試してみる。こうした姿勢は非常に大事だと思う。……。高名な先生が言ってるから、というだけでその部分を素っ飛ばして研究するのではなく、こつこつと自分をごまかさずに考えていくプロセスこそ大切であろう(『愚直一徹 -- 私の履歴書』、p.13-14)。
 
 「リンゴ3個とミカン2個は足せない」との判断は正しいのである。「数という抽象的概念を足す」という前提の部分を素っ飛ばして、「リンゴ3個とミカン2個を足すと5個になる」と、無理矢理覚えこませる教育こそが、問題である。
 
 このコラムの第62回で、弱冠23歳の学生である西澤先生が、英国のN.F.モット(Mott)とドイツのW.ショットキィ(Schottky)の理論は間違っていると主張し、学会から猛反発を受けた例を説明した。
 
 モットは、その後1977年にノーベル物理学賞を受賞に至る権威である。ショットキィは、ヨーロッパ大陸北部では最大、且つ最古(1419年設置)に属するロストック(Rostock)大学の教授である(ドイツ最古の大学は、1386年創立のハイデルベルク(Heidelberg)大学である。)。

 西澤先生が、こつこつと実験し、実験結果から、自分をごまかさずに考えた結果が、欧米の権威の理論は間違っているという主張に至ったのである。
 
 西澤先生は独創研究をやるためには、研究設備や実験装置は自分で設計した独創的なものである必要があるとの指導をされていた。
 
 以下の図3(a)及び図3(b)は、昭和29年(1954年)に西澤先生がご自身で設計された、シリコン結晶を成長させるベルヌーイ炉である。未だ、日本で半導体の結晶成長がなされていなかった頃の歴史的実験装置(日本で最初のシリコン結晶成長装置)である。通常のベルヌーイ炉は酸素と水素の火炎により2,000 °C程度に原料粉末を加熱して溶融させる方式であるが、西澤先生の設計は、高周波誘導加熱方式のベルヌーイ炉である。

 図3(b)の下に見える石英管は真空を保つための仮のもので、実際には中心が絞られた石英管を使い、これに高周波誘導加熱コイルを巻き付ける設計のようである。高周波誘導加熱コイルの中心にはシリコンの種結晶(実際には多結晶)を置き、種結晶が多少溶けたら、上からシリコンの粉末を落として多結晶棒を成長させていくという事を西澤先生が考えられていたようである。

 図3(b)の上段側にあるのは、高純度の半導体シリコン単結晶中に不純物元素として、極微量のホウ素(B)或いはリン(P)を添加するための真空天秤である。高純度のシリコン単結晶中に添加する不純物元素の種類により、シリコン単結晶がn型又はp型であるかが決まる。天秤を錆びないように真空の中に保管している。
 
 【図3】独創研究の実験設備は自作が原則(昭和29年その1)

 以下の図4(a)も1954年に西澤先生がご自身で設計された高周波誘導加熱方式でシリコン単結晶を成長させるフローティング・ゾーン(FZ)装置である。日本で最初のFZ装置であるが、その後においても、半導体結晶を製造する方法の殆どはガス雰囲気で行われていた。これに対して、西澤先生は高純度で良い結晶を作るには真空雰囲気でなければならないという設計思想を持たれ、すべての装置を真空にした独創的な設計をされた。

 西澤先生の真空の雰囲気のFZ法の装置は他に見ることは出来ない独創的な装置であり、後日、完全結晶化の基礎となった技術である。現在でも真空中でシリコン単結晶を製造している所はない。

 右側の図4(b)は、西澤先生が自作された装置である。この自作の装置は、図4(a)に示されるFZ炉のシリコンを溶融させるための過熱用コイルに高周波を印加するための、真空管を用いた発信器である。

 【図4】独創研究の実験設備は自作が原則(昭和29年その2)

 西澤先生は、こつこつと自作の装置で実験し、自分をごまかさずに考えていかれたのである。半導体の完全結晶は現在の半導体産業の根幹である。分子レベルに近づきつつある高集積密度の微細な構造が再現性よく製造できるのは、半導体の原子レベル・分子レベルにおける結晶格子の乱れのない完全性が必要である。当時、半導体の結晶には欠陥が必要であるという学者がいたが、西澤先生は完全な結晶を成長する方法を自作の装置で模索していたのである。

 
弁理士鈴木壯兵衞(工学博士 IEEE Life member)でした。
 そうべえ国際特許事務所は、「独創とは蓋然の先見」という創作活動のご相談にも積極的にお手伝いします。
              http://www.soh-vehe.jp




 

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鈴木壯兵衞(弁理士)

そうべえ国際特許事務所

外国出願を含み、東京で1000件以上の特許出願したグローバルな実績を生かし、出願を支援。最先端の研究者であった技術的理解力をベースとし、国際的な特許出願や商標出願等ができるように中小企業等を支援する。

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