第63回 これでよいのか日本の独創研究
今必要なのは、「論文を提出するな!」と命じることのできる「勁さ(つよさ)」、「厳しさ」、「やさしさ」、「ただしさ」のある指導者と、その指導者を「経営」する「勁い」指導者の系譜である。
§1 指導教員の学生に対する責任は非常に重い
前回(第18回)のコラムで「経営」という言葉は人間を教育するという意味であることをご紹介した。指導教員の学生に対する責任は非常に重く、全身全霊をかけて学生を指導しているはずである。又、博士論文の審査においては、主査・副査を問わず教員はその審査内容と結果に全責任がある。
2015年11月2日に早稲田大学は小保方晴子元理化学研究所研究員の博士論文『三胚葉由来組織に共通した万能性体性幹細胞の探索』について、小保方元研究員の博士号の取り消しが確定したと発表した。同時に指導教員を含む教員等に対し、以下のような甘い処分をしたことを発表した:
指導教員でかつ主査であった早稲田大学教授 停職1か月
副査であった早稲田大学教員 訓戒
早稲田大学総長 役職手当の20%5か月分を返上
当時の早稲田大学研究科長 役職手当の20%3か月分相当額返上
博士号の取り消しをしただけで教育者や教育機関としての責任問題が解決するものではない。今問われている一番重要な事項は、若い未熟な学生を指導する教育者や教育機関としての指導者側の見識や心構えである。仮に小保方元研究員に非があったとしても、小保方元研究員の研究生命が絶たれたとき、指導教員はどう責任を取るのか。
葬り去られるべきは、小保方元研究員に対する指導者の系譜である。
まず問われるべきは、小保方元研究員に博士論文の提出を命じた指導教員の判断である。一旦、博士論文の提出を命じたからには、その指導教員は小保方元研究員に博士号を取得させるように、全身全霊をかけてサポートする義務があるのである。
一芸に秀でている宝石の原石を見いだす制度であるアドミッションズ・オフィス入試(AO入試)の1期生として、小保方元研究員は2002年に早稲田大学に入学している。AO入試で入学した学生の方が一般入試で入学した学生よりも学力が優れているという報告もあるが、AO入試の学生は個性が強い可能性もある。宝石を育てる指導には細心の注意が必要であったはずである。
§2 真の男らしさは「勁さ」である
立原正秋氏は、「男の勁さ(つよさ)とは何か」と題して、「勁さは厳しさに裏付けされ、厳しさはやさしさに裏付けされ、やさしさはただしさに裏付けされていなければならない、というのが私の偏見である」と述べている(立原正秋、『男性的人生論』、角川文庫、p18-20)。
「強さ」と「勁さ」は異なる。漢文学者の白川静先生は、「勁」の字を「巠は織機のたて糸を張りかけた形。上下の力の緊張した関係にあるものを示す。力は筋力の意。頚部は人体においても最も力の強健なところである」と説明している(白川静著、『字通』、平凡社、1996年)。「く」の字が 3 本横に並列しているのが「たて糸」であり、「巠」は 2 本の棒の間にピンと張った織機の「たて糸」を意味するということである。
「強」には、「しいる」「こわい(固い)」の意味があり、堅くなさを持った威嚇的なニュアンスがある。一方、「勁」はピンと張った弦(たて糸)のように細くてもしなやかなで、自分の軸で堂々と生きる精神的な意味を感じさせる。「勁」の字を含むことわざに「疾風に勁草を知る」というのがある。「勁草」とは、風にも折れない丈夫な草の意である。
学生の指導に対する早稲田大学の「勁さ」は、威圧的な「強さ」ではなく、負けないで堂々として生きる「勁さ」、回復する丈夫な「勁さ」でなければならない。教育者としての「勁さ」は「厳しさ」に裏付けされなければならないはずである。「厳しさ」とは、教育者としての自分の地位のすべてが剥奪される覚悟がなければ、大学の指導教員は若い未熟な学生を指導できないということである。
立原正秋氏は、本当の「勁さ」は力を背景にした「強さ」ではなく、思いやりや「やさしさ」がなければならないと説いているのである。早稲田大学の「勁さ」を裏付けする「厳しさ」は、小保方元研究員に対する「やさしさ」に裏付けされていなければならないということである。教育者として早稲田大学はどのような「やさしさ」で若い未熟な学生に対し指導をしてきたのかが問われるということである。
同時に、今の小保方元研究員に対し早稲田大学はどのような「やさしさ」や愛情を有しているのかも問われる。師弟関係は一生つきまとうものであり、単に小保方元研究員を処分すればよい性質のものではない。
小保方元研究員に対する「やさしさ」は早稲田大学の「ただしさ」に裏付けされていなければならないのであるが、一体教育者としてどのような「ただしさ」を早稲田大学は有しているというのであろうか。
自分の研究者生命のすべてをかけて若い未熟な学生を指導し、学生の卒業後も、その学生の将来を考慮して継続して指導するという「勁さ」、「厳しさ」、「やさしさ」、「ただしさ」が早稲田大学の指導教官にはあるのであろうか。
§3 理化学研究所の「勁さ」や「やさしさ」はどこにあるのか
2014年7月2日付けで、英国の科学雑誌『Nature』はSTAP細胞に関する以下の2研究論文を撤回すると発表した:
論文1: H. Obokata et al., "Stimulus-triggered fate conversion of somatic cells into pluripotency",Nature Vol. 505,pp641-647(2014);
論文2: H. Obokata et al., "Bidirectional developmental potential in reprogrammed cells with acquired pluripotency",Nature Vol. 505, pp676-680(2014)
既に第11回のコラムで説明したとおり、STAP細胞に関するNATUREの論文1の著者はHaruko Obokata, Teruhiko Wakayama, Yoshiki Sasai, Koji Kojima, Martin P. Vacanti, Hitoshi Niwa, Masayuki Yamato & Charles A. Vacanti の8名であり、共著者全員に連帯責任があるはずである。
論文2の著者はHaruko Obokata, Yoshiki Sasai, Hitoshi Niwa, Mitsutaka Kadota, Munazah Andrabi, Nozomu Takata, Mikiko Tokoro, Yukari Terashita, Shigenobu Yonemura, Charles A. Vacanti & Teruhiko Wakayamaの11名であり、こちらも共著者全員に連帯責任があるはずである。
論文1及び論文2のいずれにおいても小保方元研究員はトップネームである。少なくとも論文1では小保方元研究員が年齢的には一番若い未熟な研究者であろう。他の共著者は小保方元研究員に対する指導的責任がある立場の人間ではないのか。
小保方元研究員の指導に対する理化学研究所の「勁さ」は、指導者や先輩研究者としての「厳しさ」に裏付けされなければならないはずである。その指導者や先輩研究者としての「厳しさ」は、小保方元研究員に対する「やさしさ」に裏付けされていなければならないはずである。
理化学研究所の指導者や先輩研究者はどのような「やさしさ」で若い未熟な小保方元研究員に対し指導をしてきたのか。既に第11回及び第12回 のコラムで説明したとおり、小保方元研究員以外の共著者の中には、共著者としての適格性を欠くと思われる研究者も含まれている。本来であれば第12回のコラムで説明したような貢献度表を用いて共著者としての適格性を決定すべきである。
以下は東北大學西澤研究室で共同研究者の全員に提出が義務づけれていた貢献度表の例である。この例では、西澤研究室の貢献度表をSTAP細胞に関する論文の場合にアレンジしている。STAP細胞に関係する共同研究者は全員、それぞれの貢献度表を自己申告し、それを全体で議論して各人の貢献度を決定する必要があるのである。
第12回で説明したとおり、貢献度表では、発想時のアイデアの独創性への寄与分配率をm1、上記発想を具体的な研究に展開する際の工夫への寄与分配率をm2、その展開から、実際に結果を得る段階での寄与分配率をm3、その結果を考察し、結論を導き出す段階での寄与分配率を寄与分配率m4とすると
m1+m2+m3+m4=1
となる。それらの寄与分配率を「重み」として論文への各共同研究者の貢献度の総合評価がそれぞれ計算される。例えば、小保方元研究員の寄与分配率m1の評価項目への貢献度がx11、寄与分配率m2の評価項目への貢献度がx12、寄与分配率m3の評価項目への貢献度がx13、寄与分配率m4の評価項目への貢献度がx14であれば、以下の式から小保方元研究員の総合評価y1が計算される:
y1=x11・m1+x12・m2+x13・m3+x14・m4
となる。他の共同研究者の総合評価y2、y3、y4、……も同様に計算される。
y1+y2+y3+y4 +……=1
である。
小保方元研究員の業績にただ乗りをしようとして共著者に名を連ね、論文に不備が見つかったら自分は知らなかったというのでは、どこに「やさしさ」があると言えるのであろうか。理化学研究所における師弟関係は一生つきまとうものであり、単に小保方元研究員を処分すればよい性質のものではない。
小保方元研究員に対する「やさしさ」は理化学研究所の「ただしさ」に裏付けされていなければならない。小保方元研究員の業績へのただ乗りを目的として共著者に名を連ね、論文に不備が見つかったら自分は名前を掲載しただけだというのでは、どこに理化学研究所の「ただしさ」があると言えるのであろうか。
利益や名声が重要になり、若い未熟な研究者を指導するという「勁さ」、「厳しさ」、「やさしさ」、「ただしさ」という「研究の経営」の基本を理化学研究所は忘れてしまったのであろうか。
§4 宮城谷昌光と立原正秋
1991年に46歳で第105回直木賞を受賞した歴史小説作家の宮城谷昌光氏は、23歳の若い頃に立原正秋氏と出会い、それから立原氏に教えを受けている。
2014年に読売新聞に連載された『[時代の証言者]遅咲き歴史文学 宮城谷昌光』の第13回(2014年12月10日付け読売新聞朝刊)には、師と仰ぐ立原氏のことを、宮城谷氏は以下のように描いている:
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「中途半端に世に出てはいけない。そうやって散ったり沈んだりした作家を自分は数多く見ている。基礎だけはきちんとしてから作家として立ちなさい」と教えられました。よい作品であれば、立原さん自身が文芸誌の編集部に持ってゆく、ということでした。弟子の将来を考えた優しさに感動しましたね。
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研究者の場合も「中途半端に世に出てはいけない」ということは勿論である。しかし、「弟子の将来を考えた優しさに感動しました」と言わせることのできる研究指導をしている「勁さ」のある指導者はどのくらいいるのであろうか。
§5 「論文を提出するな!」という「勁さ」が指導者にあるのか
半導体研究の黎明期である1950年代の初頭において西澤潤一先生(東北大學第17代総長)は、その指導教員である渡辺寧先生(静岡大学第4代学長)に論文発表を禁じられた。
論文発表を禁じられた西澤先生は、1950年に「pinダイオード」(特公昭28-6077号公報:特許第205068号)等の特許を出願し、1952年には「pinフォトダイオード」(特公昭30-8969号公報:特許第221218号)等の特許を続々と多数出願している。
西澤先生の理論の正しさはその後米国から同様な論文が出て証明された。しかし、1950年代の初頭においては西澤先生の理論が斬新過ぎて、我が国においては理解できる研究者が殆どいなかった。このため、未だ20代であった若い西澤先生が他の先輩研究者から袋だたきに遭うのを避けるため、渡辺寧先生の机の引き出しの中に、西澤先生の論文がしまい込まれてしまったという経緯である。
その代わり、渡辺寧先生は先輩助手10人を飛び越して西澤先生を東北大學の助教授に昇進させている。これが指導者としての「勁さ」であり、「厳しさ」であり、「やさしさ」であり、「ただしさ」であろう。
STAP現象は、既に2001年にヴァカンティ兄弟によって偶然に発見されていたようであるが非常に再現性の悪いものであったようである。その後、小保方元研究員がハーバードに2008~2010年に留学したとき、小保方元研究員がヴァカンティ兄弟の手法よりも厳密な方法で再現することに成功したという経緯が伝えられている。
そのような再現性が悪い場合、指導者は「論文を提出するな!」と命じる「勁さ」があってよいはずである。残念ながら、渡辺寧先生のような「勁さ」、「厳しさ」、「やさしさ」、「ただしさ」のある指導者が少なくなってしまったようである。
前回(第18回)のコラムで説明したように、湯川秀樹博士が日本で最初のノーベル賞を受賞したのは、大阪帝国大学物理学科の初代主任八木秀次先生の激しい叱責があったからである。しかし、その叱責は八木先生の「やさしさ」と「ただしさ」に裏付けされている。
渡辺先生は八木先生の弟子である。「勁さ」のある指導は八木先生から渡辺先生に伝わり、渡辺先生から西澤先生へと師弟関係で伝わっている。西澤先生は2010年に出版された本のなかで「八木先生の教えはいまでも私のなかに生きています」と書かれている(西澤潤一著、『生み出す力』、PHP新書、p111,2010年)。
§6 一生真似たら、真似が本まもんや
2008年に106歳で亡くなられた曹洞宗永平寺の第78代住職の宮崎奕保禅師は、「師を、1年真似したら、1年分しか真似できない。2年真似したら、2年分しか真似できない。一生真似たら、真似が本まもんや」と言われていた。100歳を越えられた後も日々坐禅に励まれていたそうである。
師の「勁さ」を一生をかけて真似することにより受け継ぐのが本当の師弟関係である。小保方元研究員の師は誰で、その指導者の系譜はどうなっているのであろうか。
研究の指導とは単に科学技術を指導すればよいのではない。人間の「勁さ」、「厳しさ」、「やさしさ」、「ただしさ」を指導し、後ろ姿を後輩に示し、伝統を残す「経営」でなければ意味がない。私が一番教えられたのは「愛情」である。
私は「ダメなやつほど良く指導せよ」と恩師西澤先生から厳しい口調で忠告を受けた経験を今も忘れない。若い研究者は未熟である。その未熟な研究者を、自分の人生をかけて責任を持って指導する「やさしさ」と「ただしさ」に裏付けされた心構えと、その心を自らの後ろ姿で伝える「本まもん」の指導者の系譜がなければ、次世代を担う研究者は育たない。
辨理士・技術コンサルタント(工学博士 IEEE Life member)鈴木壯兵衞でした。
そうべえ国際特許事務所ホームページ http://www.soh-vehe.jp