第56回 特許庁と裁判所では技術を見る視座が逆
単なる管理者(指導者)は共同発明者にも共同執筆者にもなれない
§1 実体と見なせる情報
「情報」には、「実体としての情報」と「意識現象としての情報」がある。「意識現象としての情報」とは、「実体としての情報」を人間の意識が読み取り、加工した情報である。言い換えれば、「意識現象としての情報」とは、人間の意識が生み出した情報である。
例えば、我々は、温度を正確に測ることができるであろうか。温度を熱電対や温度計で測定しようとすれば、温度を測定しようとする被測定対象から熱が熱電対や温度計を介して伝導で逃げていくので、被測定対象の温度を正確に測定することは極めて困難である。このような測定の問題は、量子力学で「不確定性原理」と呼ばれていることに近い。
M.ボルンは、「量子力学は独立した外部の世界にある客観的な状態を記述するのではなくて、ある主観的立場からそれを考えることによって、或いはある種の実験手段と装置をもって得られるこの世界の様相を記述するのである」と述べたが、このボルンの考え方に対しプランクとアインシュタインは決定論的理論によって反対した。
粒子の運動量δpと位置δqを同時に正確には測ることができない:
δp・δq≧h/2
というハイゼンベルクの不確定性原理を、それは、「元々粒子の運動量δpと位置δqは決まっていないからだ」とするコペンハーゲン解釈にアインシュタインは反対し、「運動量δpと位置δqは決まってはいるが人間にはわからないだけ」という「隠れた変数理論」を唱えた。上式でhはプランクの定数である。
1926年にボルンに送った手紙の中で、アインシュタインは「神はサイコロを振らない」と述べている。アインシュタインは「光は波ではなく、プランク定数と振動数をかけたエネルギーを持つ粒と考えればいい」と主張して光電効果を説明し、コペンハーゲン解釈を否定する。アインシュタインにノーベル賞が授与されたのは、この光電効果の研究に対してである。
冒頭で述べた「意識現象としての情報」とは、ある種の実験手段と装置をもって得られた「実体と見なせる情報」を、人間の意識が読み取り、加工した、関係が生み出す情報である。我々が関与できるのは「実体としての情報」ではなく、ある測定方法に依存した「実体と見なせる情報」である。
測定方法が異なれば、「実体としての情報」が同一であっても、「実体と見なせる情報」は異なる。このため、特許出願に際しては、どのような方法でその数値を測定したのかという測定方法、測定条件や測定装置を特許明細書に記載しておくことが重要になる。
なお、ハイゼンベルクの不確定性原理自体に根本的な誤りがあったとする特許が成立している(特許第4925012号)。
§2 情報のねつ造とは何か
前回(第10回)、太陽の重力場によって光線が曲げられたというエディントンの日食の観測結果が一般相対性理論の予測を裏付けるものとなったことを説明した。しかし、最近の科学史の研究によれば、エディントンの元の観測データは決定的なものではなく、エディントンはデータの中からどの結果を使うかを恣意的に選択したのではないか、という説も唱えられている(Harry Collins and Trevor Pinch, The Golem: What Everyone Should Know About Science, Cambridge University Press, 1993. )。
サー・アイザック・ニュートンも、自身の代表作『プリンキピア』を批判させまいとして、データを理論に正確に一致するようにニュートンがデータを改竄したと言われている(R.S.Westfall, “Newton and the fudge factor”, Science 179, pp751-758, (1973))。
更に、グレゴール・メンデルの実験結果は真実と受けとめるにはできすぎており、メンデルは研究データを「調整」していたらしいと指摘されている(R.A.Fisher, “Has Mendel’s work been rediscovered?”, Annals of Science 1, pp115-137,(1936))。
このように、エディントン、ニュートン、メンデルがデータの中から恣意的な選択や改竄をしたとの批判があるが、それらの批判は、「意識現象としての情報」に対する批判である。これらの「意識現象としての情報」に対する批判により、「実体としての情報」としての一般相対性理論、ニュートン力学、メンデルの法則は否定されるであろうか。
データのねつ造を議論するときは、「実体としての情報」、「実体と見なせる情報」、「意識現象としての情報」を区別して考える必要がある。更に、データのねつ造により、誰が得をして誰が損をしたかという「効果」も検討する必要がある。
§3 マスコミ報道の責任
D.L.スミス(Smith)は、「うそ」とは、どのような形であれ、他者に誤った情報を与える、もしくは正しい情報を与えないようにする機能のある行動形態であると述べている(David Livingstone Smith「うそつきの進化論」NHK出版)。
小保方さんが割烹着を着た研究風景の写真が報道されているが、あの写真から、小保方さん1人がSTAP細胞の製造に関わっていたという印象を与えないであろうか。理研は新たに技術員2人を採用し、計6人で1年かけてSTAP細胞の作製を再現できるかどうか検証するとしているが、STAP細胞の作製はチームとしての仕事であり、1人でやれる仕事ではないであろう。
割烹着を着た写真が視聴者に小保方さん1人がSTAP細胞の製造に関わっていたという情報を与えたとしたら、マスコミがSTAP細胞の研究チームの様子を正しく報道していないということになる。
割烹着を着た写真の裏に、実験補助員等の技術スタッフが隠れていることは、マスコミから取材を受けた経験のある研究者であれば想像できるが、一般の視聴者が「実体としての情報」として撮影現場の裏にある情報まで想像するかは疑問である。マスコミが、「やらせ」に近い映像を提供することは時々あることで、割烹着を着た写真が「やらせ」でないとしても、恣意的な映像が誤解を招く可能性が極めて高い。
実験補助員等の技術スタッフに加えて、NATURE Vol.505 (2014), pp641-647 の論文の著者は8名なので、「実体としての情報」としては、小保方さんの他に7名の共同研究者が、STAP細胞の製造と発見に関わっていたはずである。
§4 STAP細胞の特許と論文
STAP細胞については、国際特許出願(PCT出願)がされおり、既に国際公開されている(WO 2013/163296A1)。NATUREの論文は文字が小さいこともあり図面を含めて、たったの7頁で薄い内容である。一方、PCT出願の明細書の枚数は93枚であり、図面も35枚なので合計128枚というNATUREの論文に比して相当に厚いヴォリュームである。
【特許請求の範囲】には全部で74の請求項がある。その請求項1は以下のような非常に広い内容である:
1. A method to generate a pluripotent cell, comprising subjecting a cell to a stress.(細胞にストレスを与える手順を含むことを特徴とする多能性細胞を生成する方法)
このPCT出願(WO 2013/163296A1)に対する国際調査報告において、東北大学の出澤真理教授(医学博士)が出願した米国特許出願(US 2011/00706471 A1)が引用文献として引用され、PCT出願(WO 2013/163296A1)の請求項1等は、出澤真理教授の発明と同じであるから新規性に欠けるという暫定的な報告が出ている。出澤真理教授の発明の請求項17には「生体組織由来細胞を細胞ストレスに暴露し生き残った細胞を回収することを含む多能性幹細胞又は多能性細胞画分を単離する方法」と規定されている。
したがって、このPCT出願が各指定国に移行し、各国の特許庁の審査の段階で、このPCT出願の請求項1には新たな限定事項が付加されるような補正がされる可能性がある。出澤真理教授は、「胚性幹細胞(ES細胞)」、「iPS細胞」に続く多能性幹細胞として「ミューズ細胞」を発表したことで有名である。ミューズ細胞は作り出すものではなく、既に生体組織に存在しているものを回収している点でSTAP細胞とは違うのかもしれないが微妙である。既に日本では特許が登録されている(特許第5185443号)。
PCT出願(WO 2013/163296A1)ではSTAP幹細胞のことを「STAPS細胞」と呼んでいる。STAPS細胞は、STAP細胞を改変して、無限に増える力を持たせた細胞である。STAPS細胞は、山梨大の若山照彦教授(農学博士)が作製を担当したとされている。
最初に論文の取り下げの意向を表明した山梨大学は、PCT出願(WO 2013/163296A1)の出願人にはなっていない。PCT出願の出願時に、若山照彦教授は理研の所属であったためと思われる。
注目すべきは小保方さんが取り違えたというNATUREの論文の図2eの画像が、厚いヴォリュームであるのにも関わらず、PCT出願には含まれていないということである。これは、STAP細胞の発明にとって、小保方さんが取り違えた画像は「実体としての情報」として必須の情報ではないという意味にとらえて良いはずである。ハーバード大学のヴァカンティ教授らがNATUREの論文の取り下げに反対している理由の一つがこのあたりにあると思われる。
小保方さんは、NATUREの論文の図1iにおいて、左から3番目のレーンに示した電気泳動法によるポリメラーゼ連鎖反応 (PCR)の写真を切り貼りするという過失を犯した。NATUREの論文の図1iのフィギュアキャプションを読むと左側から4番目と5番目のレーンに示されたPCR反応の写真が多能性のマーカタンパク質となるOct4たんぱく質の代わりに、緑色の蛍光たんぱく質(GFP)を入れ替えた細胞のPCR反応の写真である。
即ち、4番目と5番目のレーンのPCR反応の写真によって、OCT4-GFP陽性細胞ではTCRβ(T細胞レセプター遺伝子)のゲノム再構成が観察されたことを示したものである。
図1iのフィギュアキャプションには左から1番目と2番目のレーンの写真はネガティブコントロール(比較参照)であり、3番目のレーンの写真はポジティブコントロールであると明記されている。
NATUREの論文の図1iにおいて重要なのは左側から4番目と5番目のレーンに示されたPCR反応の写真であり、4番目と5番目のレーンによって、少なくともある程度は、分化の方向が決定されたT細胞からOCT4-GFP陽性細胞ができていることを示したものである。一方、1番目から3番目のレーンの写真は、比較参照用の縦軸(スケール)である。
比較参照用の1番目から3番目のレーンの写真は、必ずしも、4番目と5番目のレーンの写真と同時に撮影される必要はない。小保方さんの過失は、別の写真であることが分かるように明示して3番目のレーンの写真を配置せず、4番目と5番目のレーンの写真に並べるように切り貼りしてしまったことである。
NATUREの論文の図1iに対応するPCT出願の方のPCR反応の写真は図12Eである。PCT出願の方の写真は、NATUREの論文の図1iと類似の写真が5~9レーンに示され、白地の隙間を介して別の写真が1~4レーンに並べられている。この横に並べられた3レーンの写真が、NATUREの論文の図1iで小保方さんが切り貼りした写真に対応すると思われる。
小保方さんは、PCT出願の図12Eと同様に、別の写真であることが分かるように、白地の隙間を介して貼り付ければよかったのである。小保方さんの過失は重大であるが、この過失が、「実体と見なせる情報」であるOCT4-GFP陽性細胞ではTCRβのゲノム再構成が観察されたことをねつ造することになるのであろうか。
少なくともこの切り貼りの過失から、「実体としての情報」であるSTAP現象を否定するのは論理の飛躍がありすぎるであろう。ハーバード大学のヴァカンティ教授らがNATUREの論文の取り下げに反対している理由の他の一つがこのあたりにあると思われる。
§5 マスコミは安易な報道をすべきではない
冒頭で述べたとおり、実験から得られた生データは、測定した実験手段や装置に依存する「実体と見なせる情報」であって「実体としての情報」ではない。そして、論文や特許に掲載されるのは、その「実体と見なせる情報」である生データを、人間の意識が読み取り、加工した情報である。
例えば、最近は技術が進み、12サンプルや 8サンプルのDNAをPCR法により同時増幅することが可能になってきているので、12レーンや8レーンの写真を同時に撮影できるようなPCR測定システムが存在する。
理研の調査委員会の発表によれば、電気泳動においては、合計29のサンプルを、サンプル1から14をゲル1に、サンプル15から29をゲル2 に電気泳動したということである。そして、図1i のレーン1, 2, 4, 5がゲル1の左から1, 2, 4, 5 番目のレーン(標準DNA サイズマーカーをレーン0 として左から番記)に相当し、レーン3がゲル2のレーン1(同)に相当するということである。
ゲルが異なるにも関わらず、図1iにおいてはゲル1とゲル2の写真が合成されてしまっている。この合成した手法が科学的な考察と手順を踏まないものであることは理研の調査委員会が指摘する通りである。そして、T細胞受容体遺伝子再構成バンド群の位置に疑義が発生することも事実である。
しかし、仮に、PCRの写真が1枚ずつしか撮影できないような測定装置であったなら、NATUREの論文の図1iには、5枚の写真が白地の隙間を介して並べて貼られていたであろう。それに近い写真がPCT出願の図12Eである。
研究者倫理の観点からは生データの改竄は許されるものではない。NATUREの論文の図1iにおいて重要なのは左側から4番目と5番目のレーンに示された2つの写真であり、左から1番目から3番目のレーンの写真は、比較参照用の写真である。しかしながら、現在のマスコミ報道は、図1iの各レーンの写真の重要性の違いをきちんと報道していないのではなかろうか。
極論かもしれないが、現在のマスコミこそが「嘘」を報道していると言えるのではなかろうか。
現在の特許法においては、補正の制限が厳しくなり、出願時の特許明細書や図面に新規事項を追加するような補正は許されない。これを「補正制限主義」と呼ぶ。しかし、特許法に補正の制度があるのは、出願時の特許明細書や図面に存在する軽微な瑕疵により重要な発明が埋没してしまい、産業の発達が阻害されるのを防ぐ趣旨である。
ここで「瑕疵」とは欠点、欠陥、傷等の意味である。
通常、特許出願人は出願時の特許明細書や図面に軽微な瑕疵があったからと言って、直ちに特許出願を取り下げないものである。特許出願人は、まず、特許庁に手続補正書を提出する。そして、特許庁がその手続補正書による特許明細書や図面にあった瑕疵の補正を認めるか否かを、特許法の規定に基づいて判断するものである。
STAP現象が真実であるか否かの判断はNATUREの論文の全体、更には対応するPCT出願の明細書及び図面の全体に記載された事項の両方を、総合的に判断すべき事項であって、一部の表現手法の瑕疵に固執すべきではない。
特許に携わる人間としての個人的見解を言わせていただければ、NATUREの論文を取り下げるか否かは、理研の判断する事項ではないと愚考する。STAP細胞の論文を取り下げるべきか否かについては、NATURE側の査読者や編集者が、NATURE側の規定に基づいて判断すべき事項と考える。
特許出願の場合、出願時の特許明細書や図面に、当業者に自明な誤記があれば、その誤記の訂正が可能である。しかし、「当業者に自明な誤記」であるか否かの判断は非常に難しい。このため、「当業者に自明な誤記」であるか否かについて、出願人と特許庁審査官の間で議論が発生するのである。この場合、特許庁審査官の指摘に、簡単に応ずるべきではない。
研究者倫理の問題は重要である。しかし、研究者倫理の教育は理研の内部の問題である。もし、軽微な瑕疵が重要な発明を埋没させるのであれば、それは人類の科学技術の発展にとって、重大な損失を生むことになる。
データのねつ造や改竄をしてはならないというのは重要な研究者倫理である。しかし、もっと重要な研究者倫理が存在することを忘れてはならない。この「もっと重要な研究者倫理」は研究の指導者の哲学に関係する事項である。残念ながら、今の日本には高い視座をもった指導者が少なくなってしまった。
今、ニュートンに『プリンキピア』を撤回せよと言って、どれだけの利益が人類にもたらせられるのであろうか。
§6 特許の発明者の数と論文の筆者の数
STAP細胞の特許(WO 2013/163296A1)の発明者の数は7名で、NATUREの論文の筆者は8名である。NATUREでは小保方さんはトップネームであるが、PCT出願(WO 2013/163296A1)では、小保方さんは4番目の発明者になっている。
即ち、PCT出願(WO 2013/163296A1)の発明者は以下の順番で記載されているが、論文の取り下げに反対しているチャールズ・ヴァカンティ教授が筆頭発明者である。チャールズ・ヴァカンティ教授は人間の耳を背中に生やしたヴァカンティ・マウス(耳ネズミ)を作った研究者である。第2発明者は、4人全員が再生医療学者として知られているである天才ヴァカンティ4兄弟の一人であるマーチン・ヴァカンティである。他の2人の兄弟はSTAP細胞に関係していない。教授のチャールズが次男で、第2発明者のマーチンがその2歳下の三男である。
VACANTI, Charles A.; (US).
VACANTI, Martin P.; (US).
KOJIMA, Koji; (US).
OBOKATA, Haruko; (JP).
WAKAYAMA, Teruhiko; (JP).
SASAI, Yoshiki; (JP).
YAMATO, Masayuki; (JP)
STAP現象は、既に2001年にヴァカンティ兄弟によって偶然に発見されていたようである。弟(三男)のマーチンは、兄(次男)のチャールズの命令で無理矢理実験をさせられていたようである。その後、小保方さんがハーバードに2008~2010年に留学したとき、小保方さんがヴァカンティ兄弟の手法よりも厳密な方法で再現することに成功したという経緯があり、この経緯によって、PCT出願の発明者の序列が定まったようである。
この2001年頃のヴァカンティ兄弟のSTAP現象の発見の経緯は小保方さんが2010年12月に提出した早稲田大学の学位論文(工学博士)『三胚葉由来組織に共通した万能性体性幹細胞の探索』の冒頭部に記載されている。当時は、spore-like stem cellと呼ばれていたようである。
論文とはある意味で、発明の理由付けでしかない。第8回で説明したとおり、ジェームス・ワットは蒸気機関の理論を知らずに蒸気機関を発明したのである。発明とは、どうすればそれができるかを示すものである。我が国のSTAP細胞の騒ぎは、マスコミが変な方向に持って行っているが、論文の表現論の問題の騒ぎである。
小保方さんはPCT出願(WO 2013/163296A1)では第4発明者にすぎない。PCT出願に記載された発明の本質を、NATUREの論文に記載された内容を含めて、哲学的視座から総合的に見るべきである。
特許法の依拠する「技術」とは、本来「総合的(synthesis)であり、分析的である「科学的論文」とは相違するのである。京都大学名誉教授田中美知太郎先生は、『発明発見のプロセスは哲学の領域である。それが論理的に証明されたときに科学になる』と述べられている。「広い知財マインド」とは哲学的な視座が要求されるということである。
STAP細胞の場合、NATUREの論文の方が、STAP細胞の特許出願より遅いのであまり問題が発生しないと思うが、特許に記載される発明者と、論文に記載される筆者が完全同一でないと、問題が発生する場合がある。
STAP細胞の特許の発明者以外に1名がNATUREの論文の筆者として追加されているが、特許に記載される発明者と、論文に記載される筆者が完全に同一でない場合、NATUREの論文の筆者として追加された1名が、STAP細胞の特許の発明には寄与していないことを宣誓書等の形で証明する必要が発生する場合がありうるので留意すべきである。
組織のトップに立つ指導者は、論文という狭い視野ではなく広い知財マインドに立脚した言動が求められるものである。知的財産に留意すれば、決して自らの発明を否定することに繋がるようなことを安易に外部に公表してはならない。
NATUREの論文を取り下げたり、日本側の発明者がSTAP細胞の特許は虚偽であったと説明すれば、STAP細胞の特許出願が極めて危うい事態になりうる危険性を秘めている。更に、今後特許出願されるであろう類似の他の特許出願にも影響を与えうることも十分に留意すべきである。WO 2013/163296A1を取り下げても、既に国際公開されているので先行技術文献としての地位は残るのである。
今回の場合、小保方さんが取り違えたNATUREの論文の図2eの画像が、PCT出願には含まれていない。よって、極めて形式的な単純比較をすれば、PCT出願の発明者ではなく、NATUREの論文の筆者としてのみ加わった1名の寄与は、このNATUREの論文の図2eの画像の部分であるとの推論が、極論としてはあり得るのであるが……。
辨理士・技術コンサルタント(工学博士 IEEE Life member)鈴木壯兵衞でした。
そうべえ国際特許事務所ホームページ http://www.soh-vehe.jp