6つの「やる気スイッチ」と2つのやる気発電所
あなたは、ひきこもりに対して、どのようなまなざしをお持ちでしょうか?
私は、ひきこもりの当事者に対して、次のような声を耳にすることがあります。
● 「甘えているだけだ」
● 「家にいるのが快適だから、出ていかないのだ」
● 「ひきこもりをやめさせるためには、働かせるべきだ」
● 「自分で困れば、そのうち出てくるだろう」
そして、こうした考えから、当事者を無理に外へ引っ張り出して変えようとする。
あるいは、自立心が高まることを期待して、あえて手を差し伸べずに見守る。
しかし、それでも事態は一向に変わらない……。
こうした状況を目の当たりにすると、「甘え」というものを、もう少し深く理解する必要があるのではないかと感じます。
ひきこもりは、単純に「甘えているから」と説明できるものではありません。外の世界に不安や危険を感じ、出たくても出られない状態にある人もいます。
そして、こうした心の動きを考えるうえで、これまでお伝えしてきたグレートマザーの「守る、包む」というはたらきが、一つの手がかりになるのではないでしょうか。
甘えたくても甘えられない関係性
みなさんにとって、「甘え」は肯定的なものでしょうか。それとも、否定的なものでしょうか?
ひきこもりに対して、前述したようなまなざしを持つ人にとって、「甘え」は、いわば「わがまま」と同じような意味で捉えられているのかもしれません。
しかし、心理カウンセリングで、ひきこもりの問題に悩むクライアントと向き合っていると、私は「わがままを言ってひきこもっている」という理解では捉えることができないと感じます。
むしろ、そこから見えてくることの一つは、本人と周囲との間に、「甘えたくても甘えられない」という関係性が存在していることです。
自分一人では解決できない問題は、誰にでもあります。そして、そうした問題を解決するために、他者を頼ることは悪いことではありません。むしろ、必要なことです。
ところが、「甘えたくても甘えられない」関係性のなかでは、人を頼ることが「わがまま」な「甘え」として、否定されてしまうことがあります。
自分が困っていても、人に頼ってはいけない。弱さを見せてはいけない。自分のことは自分で何とかしなければならない。
そうした思いが強ければ、助けが必要なときでさえ、誰かに頼ることができなくなってしまいます。
問題は解決されないまま積み重なり、本人にとって外の世界は、次第に不安や危険を感じる場所になっていくのかもしれません。
そして、外の世界から身を守るために、安心できる居場所にとどまるようになる。
このように考えると、「甘えたくても甘えられない」という関係性が、グレートマザーの「守る、包む」というはたらきと強く結びついた結果、「外に出たくても出られない」という状況につながることがあるのではないでしょうか。
「甘え」には、さまざまな意味がある
改めて、日常語としての「甘え」を振り返ってみましょう。
「甘え」には、肯定的な意味から否定的な意味まで、いくつかの異なる意味が含まれています。
① 親しみや信頼、安心感を求めること
相手が自分を受け入れてくれると信じ、遠慮せずに頼ったり、弱さを見せたりすること。
例:「子どもが親に甘える」「恋人に甘える」「安心して甘えられる」
② 相手に受け入れてもらうことを期待すること
自分の希望や要求を、相手が察して満たしてくれることを期待すること。
例:「言わなくてもわかってほしい」「自分の気持ちを察してほしい」
③ 自分で引き受けるべきことを他者に委ねること
本来自分で取り組むべき課題や責任を、他者に肩代わりしてもらおうとすること。
例:「いつまでも親のすねをかじっている」「人に甘えて自分でやろうとしない」
④ 他者の好意や配慮に頼ること
相手の優しさや寛容さを見込んで、自分に有利な扱いを期待すること。
例:「好意に甘える」「お言葉に甘える」
このように、「甘え」は一つの意味に限定されず、肯定的にも否定的にも使われる言葉です。
否定的に捉えられるのは、とりわけ③のように、「自分で努力しない」「責任を果たさない」「本来自分ですべきことを放棄する」といった意味で使われる場合です。
一方、①のように、親しい相手に安心して頼れることを肯定的に表す場合もあります。
つまり、他者に頼ることと、自分の責任を放棄することは、同じではありません。
日常生活の中で「甘え」という言葉を使う時、私たちはどのような意味で、その言葉を使っているのでしょうか。
本人が誰かに支えてもらうことを、すべて否定的な「甘え」として捉えてしまうと、支援を必要としている人の気持ちや、本人と周囲との関係性を見落としてしまうかもしれません。
土居健郎の「甘え」――受け入れられ、好意を示してくれるだろうという気持ち
精神科医・精神分析家の土居健郎は、名著『「甘え」の構造』(1971年)において、「甘え」を人間の心理や対人関係を理解するための重要な概念として論じました。
土居は、乳幼児が母親などの養育者との関係のなかで示す心理を、甘えの原型として捉えました。つまり甘えとは、単に他者に何かをしてもらうことではなく、他者との心理的な関係にかかわるものです。
土居の考えを踏まえると、「甘え」は、他者が自分を受け入れ、好意を示してくれることを期待する心理として理解できると思います。
例えば、子どもは養育者に対して、次のような気持ちを抱くことがあります。
〇 自分のことをわかってほしい。
〇 自分から言わなくても、気持ちを察してほしい。
〇 自分の弱さや未熟さも受け入れてほしい。
〇 失敗したり、困ったりしたときには助けてほしい。
こうした気持ちには、相手が自分を受け入れてくれるという期待や、自分にはその期待に応えてくれる関係性があるという感覚が含まれています。
では、こうした「甘え」が受け入れられると、どのようなことが起こるのでしょうか。
例えば、子どもが失敗したとき、養育者が頭ごなしに責めるのではなく、気持ちを受け止めながら一緒に考えてくれたとします。
その経験は、子どもにとって、次のような感覚につながるかもしれません。
〇 困ったときに頼れる相手がいる。
〇 外の世界で傷ついても、理解してもらえる。
〇 弱く、未熟な自分であっても、孤立することはない。
〇 失敗しても、信頼関係が壊れるわけではない。
こうした経験を重ねることで、「世界には危険もあるけれど、他者との関係を通して安心を得ることもできる」という感覚が育まれていくのではないでしょうか。
反対に、甘えたい気持ちを繰り返し否定されたり、弱さを見せることが許されなかったりする環境では、他者に頼ることへの不安が強くなる場合があります。
そのようなとき、グレートマザーの「守る、包む」というはたらきが、外の世界の危険から自分を守るために、安心できる場所にとどまらせる方向に強く作用し、「出たくても出られない」状況を生じさせることがあるのではないでしょうか。
守られているからこそ安心できる。しかし、その安心できる場所から外に出ることが難しくなってしまう。
ここに、グレートマザーの持つ、守り育む力と、包み込み、外への一歩を妨げる力という二面性を見ることができます。
「甘え」を否定するのではなく、安心して頼れる関係を
ひきこもりに関わる周囲の人たちが、「甘え」を否定的に捉え、ひきこもりを単なる「甘え」として理解している限り、本人が外の世界に感じている不安や危険が見過ごされてしまうおそれがあります。
もちろん、ひきこもりの背景は一人ひとり異なります。
家族との関係だけで説明できるものではありませんし、周囲が支えていれば必ず解決するというものでもありません。
それでも、本人が何に不安を感じ、何を恐れ、どのような支えを必要としているのかを理解しようとすることは、支援の大切な一歩です。
まずは、「甘え」を一方的に否定するのではなく、そこにどのような体験と関係性があるのかを考えてみる。
そして、本人が安心して他者を頼ることができる関係を築きながら、少しずつ外の世界とのつながりを取り戻していく。
グレートマザーの「守る、包む」というはたらきも、ただ外界から守り続けるだけでなく、やがて外の世界へ向かうための安心の土台になることが望まれるのではないでしょうか。
山梨県で心理カウンセリングをお探しの方へ
ひきこもりの問題は、ご本人だけでなく、ご家族にとっても、どう関わればよいのかわからず、悩みが深まることがあります。
Eustress(ユーストレス)は、臨床心理士・公認心理師による心理カウンセリングを通して、ご本人やご家族が抱える悩みを整理し、それぞれの状況に応じた関わり方を一緒に考えていきます。
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