年始の目標を立てた人のうち80%が2月半ばまでに脱落している
ある企業での会議シーン
先日、ある企業の営業会議でとても良い議論がありました。その営業会議では、管理職と各チームの営業担当者の代表が集まり、「ソリューション営業を習得していくために、チームで作戦会議や振り返りをする場をどう持つか?」という議論がなされていました。4月に人事異動があり、メンバーも入れ替わったところで、そもそも何のためにどのような場が必要か、ゼロベースでの話し合いがなされました。「習得するには週次で作戦会議の場を持つことが必要であろう。各チームで毎週やろう」ということが決まりました。そして、月次で話し合うことが必要か?という話題に移りました。場の空気は、「月次で各チームの事例を共有して営業部の中で好事例を横展開していくべきではないか?」という方向に向かっていました。その時、意見を求められた担当者から「本当に成果を出したいと思っています。月次で話し合うことも必要だと思うのですが、まずは活動量を増やしたい。ですので、週次の会をしっかり取り組んで、月次で担当者が参加する場は無しにできないでしょうか」という意見が出てきました。最終的には、「週次をしっかり取り組んで、必要なタイミングで3ヶ月に1回程度は担当者も参加する場を持とう」ということが決まりました。
この議論がとても良いと思ったのは、「場の空気に流されず、担当者がしっかりと意見を述べたこと」「少数意見がしっかりと取り上げられて、皆が納得できる結論に到達したこと」です。
揉めることを避ける文化
日本では「同調圧力が強く、異論を述べることがはばかられる文化がある」と言われます。下図は異文化コミュニケーションの研究者が調べた国による文化の違いです。日本は「階層主義」が強く、「合意形成」が重んじられ、「反対意見などの対立」を避ける傾向にあるということです。
そのような文化の中で、「自分が正しいと信じることをしっかり述べる」ということは勇気のいることだと思います。時には、述べた意見に対して厳しい反論が返ってくるかもしれません。場のほとんどが合意している結論に対して意見を述べる場合は、賛同してくれる人がいないかもしれません。それでも、「自分はこう思う」と場に一石を投じることができるのは貴重なことです。
そして、その意見がしっかりと考えられたもの、根拠がある意見・一理ある意見であれば、参加者の思考は揺さぶられます。そんな投げかけから生まれた議論によって、最初は誰も考えていなかった結論、より良い結論に到達することはよくあります。特に「答えのない問題」「以前から解決されていない難しい問題」を論議する際に、簡単に合意形成ができたとしたら、本当に良い答えに辿り着いたのか怪しいものです。「健全に揉める」ことは良い議論になっているかどうかの一つのバロメーターだと思います。自組織で意思決定をする際、しっかり揉めているでしょうか?
「健全に揉める」ためには、議論に参加しているひとりひとりがそのテーマに対して真剣であることが必要です。思いつきの意見では底が浅くなり、「揉める」に至らないこともあります。思いつきの意見(直感)でも有効な意見であったりしますので発信していくべきですが、日頃から真剣に考え続けた意見を出し合えた方がベターでしょう。有効な会議にするには、主催者側の段取り(事前にお題を発信し、議論の必要性を共有するなど)と参加者の責任感(良い結論を出すことに参加する)は必須になります。そして、「揉めることは良いことだ」という感覚が加わるとより有効になるかと思います。
皆様の感覚はどうでしょう?予定した結論に皆が賛同し、つつがなく議論を終えるのが良い会議と考えるのか、しっかり意見が出されより良い結論を生み出すのが良い会議なのか、どちらの感覚があるでしょうか?例えば、自分の報告内容に対し、誰からも突っ込まれないのが良いと考えるか、誰かから「この点は本当に大丈夫か?」などと意見をもらった方が良い(意見をもらえないのは「興味を持たれなかったからだ」)と考えるかの違いと一緒です。先ほどの異文化コミュニケーションの研究によると、前者は日本人的感覚で、後者はドイツ人的感覚になります。後者は、活動をより良くするために必要な議論ですが、指摘を受けることに対して嫌な気持ちになる人も多いのではないかと思います。
では、そんな状況に対しどうしていけば良いか?
明日は処方箋を紹介したいと思います。