三陸の鉄道に捧げる頌(オード)の完結作『志津川の海』を書きました!
私ごとからはじめさせていただくことをおゆるし下さい。私は若い頃、八ヶ岳や蓼科に事業所を持つ会社でお世話になっていました。とくに蓼科にある貸別荘のフロントで社会人生活のスタートを切ったので、その年のゴールデンウィークと、翌年の正月明け、しばらくそのフロントがあるゲストハウスに滞在したのです。2階に宿直室のような寝室のスペースがあり、屋根裏のようなそこの窓から遠くを眺めると、夜の闇の中に、白樺湖の一角が煌々とかがやいているのが見えました。印象的な光景でした。時に酒を酌みつつ、その光景を見ながら歌ったのが、昭和30年に藤山一郎先生がお歌いになった「夜の湖」(藤浦 洸作詞、古賀政男作曲)です。
今日、その「夜の湖」を歌わせていただき、いつものようにYouTubeに投稿しました。
https://www.youtube.com/watch?v=l4XYoXOYEFA 小田原漂情歌唱 夜の湖
この歌について語る時、おのずと思い出され、口を衝いて出たのが、白樺湖がバブル崩壊後、大型ホテルの廃業で生じた廃墟などが取りざたされ、その面が変に注目されていたことでした。当地でリゾート業の社員としての人生をスタートさせ、信州を深く愛する身として、私も白樺湖が廃墟ばかりに目を向けられることには心を痛めておりました。しかし昨年、ネットのニュースでですが、白樺湖一帯の観光開発の長年のリーダーである池の平ホテルの現在の社長さんが、廃墟を撤去し、白樺湖を新たに魅力あるリゾートとして再生しようと活動されていることを知り、心底うれしく思ったものです。そこで「夜の湖」のあとの語りで、そのことを率直に語らせていただきました。
昭和前期の流行歌を歌わせていただき、YouTubeで公開するのは、その時期の流行歌に人生を救われた者としての恩返しと、日本の文化の継承の意図のほか、言葉を正しく用い、考えを正しく述べる、「真の国語」としての活動の一端でもあります。そして人生を、またかかわりのあった人々や自然、地域を大事にし、思いを語ることが、広い意味で子どもたちのため、教育の一環にもなるという信念に基づいてのことなのです。白樺湖に関する思いを表明することは、そのまたとない機会であると考え、一文をしたためた次第であります。
国語力に定評がある文京区の総合学習塾教師
小田原漂情
文京区の総合学習塾・言問学舎HP
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