マイベストプロ東京
小田原漂情

国語力に定評がある文京区の総合学習塾教師

小田原漂情(おだわらひょうじょう) / 学習塾塾長

有限会社 言問学舎

コラム

感謝と誓いとを

2021年10月17日

テーマ:小田原漂情

コラムカテゴリ:スクール・習い事

 自分自身が年齢を重ねて来ると(還暦まであと1年とすこし)、ものごとの見え方、とらえ方が、ずいぶん変わって来るものだと感じます。故灰田勝彦先生が亡くなられた1982年(昭和57年10月26日)、私は大学2年生で、満年齢では19歳でした。

 そして、故灰田有紀彦先生が亡くなられたのは、1986年(昭和61年)10月16日のことであります。35年が経過して、今日がご命日です。その時私は23歳でした。信州蓼科の貸別荘の一室で、上司や同僚を前にして「鈴懸の径」「森の小径」などを歌った覚えがあります。

 その当時でも、二十代前半の若僧が灰田先生ご兄弟の歌に親しんでいて、折にふれて歌わせていただくということは、めずらしく、奇異の目で見られることも多かったです。現在のようにネットで40年、50年前の歌が気軽に見つけられる時代ではありません。当時まだFMラジオでなら、時おり特集番組が組まれることもあったのですが、「なつメロ」は盆暮れのテレビ放送以外、苦心してさがさなければ手に入れることのできない、貴重なコンテンツでありました(灰田先生ご兄弟、特に有紀彦先生には、ハワイアンを日本に伝えて下さった特筆すべきご功績があり、「なつメロ」のくくりだけにおさめてしまうことはできないのだが、言問学舎ホームページなどで過去にいく度か紹介させていただいているため、今日はこの記述にとどめさせていただきます)。

 19歳だった1982年、23歳だった1986年、そのどちらも、私は無限の未来を持っている若者で、人生の終わりなどはまったく考えていませんでした。40年近く経った現在も、まだ還暦にはすこし間がありますし、幕引きが近いなどとは毛頭考えておりません。しかし場合によっては、不測のことがあっても不思議はないという諦観が、40年前と違って身近に感じられるようになってはいるでしょう。また、そろそろ「子どものような」というよりは「孫のような」と言った方が良い年代の子どもたちと毎日接していて、自分自身の年齢を如実に感じることも多くなっているのです。

 ところで1982年、19歳の頃の私は、時間的に無限の未来は持っていたかもしれませんが、精神的には、青春の痛みにおぼれかけている若者でもありました。それがたとえば今、子どもたちに、「失敗は取り返せる、自分を変えることもできる」と心底から語れるのは、1982年以降、灰田先生ご兄弟の明るい歌を学び、歌わせていただくことで、自分自身が文字通り「生まれ変わった」からにほかならないのです。ことに先述の「痛み」を昇華させてくれたのが有紀彦先生ご作曲の「森の小径」であり、勝彦先生のファルセットの歌声であったことを思う時、ご兄弟への感謝の思いは、どれほど汲んでも尽きることがありません。

 今日10月16日、その感謝の思いをあらためてここに記し、かつて私の人生を救って下さった佳曲の数々を伝えて行くことを、自分自身にも誓っておきたいと考えるものであります。なお、6年ほど前のものになりますが、前段に書かせていただいた「森の小径」を歌った映像がありますので、ご紹介させていただきます。

 森の小径/小田原漂情

この記事を書いたプロ

小田原漂情

国語力に定評がある文京区の総合学習塾教師

小田原漂情(有限会社 言問学舎)

Share

関連するコラム

小田原漂情プロへの
お問い合わせ

マイベストプロを見た
と言うとスムーズです

お電話での
お問い合わせ
03-5805-7817

勧誘を目的とした営業行為の上記電話番号によるお問合せはお断りしております。

小田原漂情

有限会社 言問学舎

担当小田原漂情(おだわらひょうじょう)

地図・アクセス

小田原漂情のソーシャルメディア

rss
ブログ
2024-04-10
youtube
YouTube
2011-06-23
youtube
YouTube
2022-06-11
  1. マイベストプロ TOP
  2. マイベストプロ東京
  3. 東京のスクール・習い事
  4. 東京の学習塾・進学塾
  5. 小田原漂情
  6. コラム一覧
  7. 感謝と誓いとを

© My Best Pro