三陸の鉄道に捧げる頌(オード)の完結作『志津川の海』を書きました!
例年、8月の大事な日には、言問学舎塾長ブログの記事をそのまま転載させていただいております。常体のままの文章である点、何卒ご容赦下さい。
8月6日。今日も例年通りに、朝8時から広島の「平和記念式典(広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式)」のテレビ中継を見て、8時15分から黙禱をした。
この1年間に、原爆が原因で亡くなり、今日名簿がおさめられたのは4800人、名簿の総計は328,929人に及んだとのことだ。そして被爆された方たちの平均年齢は84歳に迫り、ご存命の方の総数は14万人を切ったという。今から7年前、2014年8月6日のこのブログに、この年はじめて20万人を下回ったと記録してある。時を経て、今年被爆後76年となり、当時を知る方たちは、それほど減っているのである。その意味で、こども代表や、番組中で紹介された、祖母の遺志を継いで語り伝える活動をつづけている女性をはじめとして、若い世代の人たちが、「自分たちが次の世代に伝えて行く」と語ったことは印象的だった。松井一實広島市長が平和宣言の中で、「被爆の実相を守り」と述べたこととも、呼応していた。
今日はいま一つ、注視していたことがある。「黒い雨」訴訟の上告を国が断念したことについて、どのような見解が示されるかということについてであった。「黒い雨」訴訟とは、簡略に述べると、国が認めた援護対象区域外の住民で、原爆投下後「黒い雨」に打たれて健康被害を受けた方たちが、自分たちを「被爆者」と認めるよう、国を相手どって起こした訴訟のことである。7月に広島高裁が全員を被爆者と認める判決を出したが、上告が懸念されていた。一部の報道では、首相の決断があって国が上告を断念した、と伝えられていたものだ(広島高裁の判決後、一時国は上告するよう広島県・市に要請したようである)。
今日の広島市長の平和宣言は、上告断念云々ではなく、「黒い雨体験者を早急に救済するとともに、被爆者支援策の更なる充実を強く求めます」と言い切った。上告を見送ったことが解決ではなく、きちんと救済し、支援することこそが重要なのだという指摘であろう。一方の首相あいさつは、随所に現実的、具体的という言葉が用いられており、核兵器禁止条約への言及を回避、否定する意図ばかりが目立つ文面であった。すでに報じられている通り一部を読み飛ばした場面では、混乱というよりも理解していない様子がありありと見てとれたが、そのようなありさまで自己の実績を述べ立てても、心を動かされる聞き手はいないだろう。これまでにもまして、明確に意図を述べる広島市長の平和宣言と、触れたくないところに蓋をして歯切れの悪い首相あいさつという対比ばかりが鮮明に描き出された、2021年の広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式であった。
「一人でできることは多くないが、皆一緒にやれば多くのことを成し遂げられる。」平和宣言に引用されたヘレン・ケラーの言葉である。そのことを、あらためて心に誓いたい。
令和3年(2021年)8月6日
小田原漂情