三陸の鉄道に捧げる頌(オード)の完結作『志津川の海』を書きました!
〈言問学舎ホームページの塾長ブログを転載させていただきます。ふだんは元ブログが常体での記述ですが、本日の記事のみ、敬体で記してあります。亡くなられた方々のことにふれるためです。ご了承下さい。〉
当ブログでも幾度か書かせていただいておりますが、10年前の今日、2011年(平成23年)3月11日の14時46分、三陸沖を震源とするマグニチュード9.0(当初発表は8.8)の巨大地震が、東北地方を中心として東日本を襲いました。1万8千人以上の方が亡くなられ、今なお数千人の方が行方不明のままだと聞きます。昨日、今日の報道では、現在も4万1千人の方が避難生活をつづけておられるとのことでもあります。
10年前の震災当日夜に、東京都文京区でのその時の様子を記し、それから数ヶ月は震災関連のことを中心に当ブログを書いていました。津波の被害を受けた沿岸諸地域へは、2012年9月にいわき市小名浜地区を一度訪れ、昨年〈2020年〉9月に東松島市の野蒜、宮戸島から、石巻、女川、志津川〈南三陸町〉、気仙沼市唐桑地区、陸前高田、大船渡、釜石、大槌〈浪市海岸〉、陸中山田、宮古の各地を回って、手を合わせてまいりました。
この10年、各地の復興は、当事者である方々の筆舌に尽くしがたい苦難の上に、進められて来たものと思われます。傍から見た印象だけでものを言うことは控えなければなりませんが、私が直接訪ねた場所に限っても、女川、志津川、陸前高田はかつて町のあった場所が全面的にかさ上げされ、往時の町の印象は残されていませんでした。10年前の津波は、それまでの人々の生活を根底から変えてしまい、そこに住む方々の日常も、また根底から変わってしまったのであろうということが、ありありと見てとれました。
あの日、私自身は東京にいて、生命の危機に直面したわけではありません。しかし、二十代から三十代にかけての若き日々、親友が気仙沼にいたことから、たびたび足を運んでいた三陸の沿岸は、当時自覚していた以上に、青春期の痛みを深く慰めていてくれた土地なのだということを、昨年各地を歩くうちに痛感しました。そして、自らが死に直面したわけではないとはいえ、私自身は、自分があの震災のあと、生きてあることを許された立場だと考えて、この十年を過ごして来ました。
その生きてあるもののつとめとして、東日本大震災で亡くなられた方々の鎮魂を企図した小説『たまきはる海のいのちを‐三陸の鉄路よ永遠に』を、このほど言問学舎より上梓しました。多くの方々のいのちを悼むため、多くの方々の目にふれることを願う次第です。
書名: たまきはる海のいのちを-三陸の鉄路よ永遠に
ISBN: 978-4-9910776-4-7
著者: 小田原漂情
B6判: 総ページ数272ページ うちカラー口絵32ページ
定価: 本体1600円 + 税
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