三陸の鉄道に捧げる頌(オード)の完結作『志津川の海』を書きました!
今日は日本にハワイアンを紹介し、普及させて下さった灰田有紀彦先生のご命日にあたります。例年のことですが、言問学舎塾長ブログの記事をそのまま転載させていただきます。
10月16日。日本にハワイアンを紹介された灰田有紀彦先生の、34回目のご命日を迎えた。先生が残して下さった美しいメロディー、心にしみる歌は枚挙にいとまがない。例年もいくつかの歌について、拙い文を書かせていただいてきたが、今日はふたたび、『鈴懸の径』についてつづってみたい。
私ごとであるが、9月の最終の土・日に三陸地方へ足を運んだ。車で回ってくれたのは、大学時代の無二の親友O君である。会うのだけでも22、3年ぶり、旅程をともにするなど25年ぶりにもなろうかという、久しぶりの再会だった。
しかし、四半世紀ぶりにまる一日半、行動を共にしていて、感じたのは、この得がたい友との間には、たとえ何年離れていようと互いを隔てるものは生じるはずもなく、二十歳前後の学生時代そのままの距離感、空気の中で、ともに過ごすことができるということだった。すなわち我々は旧交を温めるのでなく、互いに年齢相応の風体になってはいるが、内面は四十年前と少しも変わらず、同じ時間を共有していたのだ。
そして、私とO君の友情のバックには、『鈴懸の径』の旋律が流れているように思われる。何十年経ってもまったく変わることのない友情を、灰田有紀彦先生のあの美しい旋律が裏打ちしてくれるのだ。「友と語らん 鈴懸の径」からはじまる歌詞は、佐伯孝夫氏の作詞になるものだが、言葉はもちろんのこと、あの有起彦先生ならではのゆったりとやさしい旋律が、時を超えてなおゆらぐことのない友情を、たしかに証明してくれるように思えてならない。余談だが、灰田勝彦先生の歌われた『アルプスの牧場』のヨーデルを練習したのも、O君の下宿の近くの石神井公園であった。就職を見すえる頃になり、勝彦先生が生涯在籍されたビクター(音楽産業)に就職したいと口にした際、「いいんじゃないか。そうした一途な思いは必ず成就するよ。」と言ってくれたのも、O君だった。その件は実際の就職活動に臨む際、方向を転換することになったが、一途な思いの方はヨーデルを歌えるようになる形で成就して、今に至っている。
こんなO君との昔日の1コマを思い出したのもまことに久しぶりだったが、それもやはり『鈴懸の径』のみちびくところであると言えるだろう。言葉ばかりでない、美しい旋律がつむぎ、つないでくれる人の思いというものを、改めてかみしめる今日、10月16日である。青空がことのほか目にしみる。
2020年(令和2年)10月16日
小田原漂情