三陸の鉄道に捧げる頌(オード)の完結作『志津川の海』を書きました!
今日は8月6日、広島に原子爆弾が投下された日です。例年、言問学舎塾長ブログに書いた文章をそのまま転載させていただいております。
今年は戦後75年を数える年である。広島に原子爆弾が投下されてから、同じく75年。今日の広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式では、松井一實広島市長とこども代表が、「七十五年間は草木も生えぬ」と言われた原爆投下直後の謂(いい)に触れていた。そのように言われた広島が、戦後どのような復興を果たしたかということは、現在の広島市の姿を見れば語るまでもないだろう。
しかし今朝の式典のNHKの放送では、被爆した体験を語り続け、訴え続けて来られた83歳と78歳の方の活動とお言葉とが紹介された。お一人は「(被爆者は)七十五年間ずっと、戦争はいけない、原爆はあってはいけないと訴え続けてきた」という意味のことを語られた。75年。人の全生涯を覆う歳月である。
また、お一人がオンラインで大学生に被爆の実相を語られた取り組みを紹介するくだりでは、大学生が、自分たちは被爆体験を直接聞くことのできる最後の世代だと言われている、と述べていた。さらに、今生存している「被爆者」の数が14万人を切ったということも報じられた。私がこの日に綴った文章をさかのぼると、6年前の2014年に、その数が20万人を切ったと書いてある。またその時の平均年齢が79歳を超えていると記してあるが、今日現在の「被爆者」の平均年齢は、83歳を超えているのだという。この6年の間に6万人にのぼる方が亡くなられ、平均年齢も4歳上がっている。実際に被爆した方のお話を聞くことのできる時間は、ほんとうに限られていることを実感する。
一人一人にできることは小さく、限られていても、あることがらを知り、受けとめる立場に立った以上、自分にできる限りのことをしなければならない。まずは自分の身に引きつけ、考えることであり、毎年この日に思うことを綴って来たが、時が経ち、自分もまた己の年齢を考える時(還暦が近くなっている)、これまでと同じことをしているだけで良いのか、という自問の声が、大きくなって来る。このほど刊行した新刊(国語教材)の発行日を2020年8月6日としてあるが、子どもたちに語りかける文章においては、広島と長崎のことを自分が書くという道も、ありえるのではないか。軽率に宣言などはできない。しかし己の生きる道を真摯に考える上で、そのことをひとつの課題として追ってみようと考えた、今年の8月6日、朝である。
令和2年(2020年)8月6日
小田原漂情