三陸の鉄道に捧げる頌(オード)の完結作『志津川の海』を書きました!
週末二度にわたっての台風と、昨日も雨だったので案じておりましたが、今日は秋らしい快晴の一日となり、灰田勝彦先生のお墓参りを無事にすませることができました。港区内にあるご墓所は日当たりが良く、差し上げたお水が午前の光にきらめいて、こちらの心も澄みとおるように感じられます。また一年、元気に生きてまいりました、今はこんな仕事を手がけています、など心中ご報告するならいも、もう十年以上になりました(ご墓前でなく、この日に先生を思うことだけなら、35年間欠かしたことがありません)。
それから出社して、先生の「わが夢わが歌」を歌わせていただきました。佐伯孝夫作詞、服部良一作曲のこの歌は、昭和24年(1949年)7月に発売されましたが、その12月に、灰田先生は結婚なさっています。奥様は、昭和15年(1940年)に知り合われたハワイ生まれのフローレンス・君子夫人で、戦時中は日本とハワイに離れ離れでありながら互いに思いを深めておられましたが、戦後も4年経ってようやく結ばれることになったのだと聞きます。
この歌は、悲しみを伴わない、純然たる愛の賛歌です。戦争で結婚はおろか、行き来して会うことさえもできない苦しみの中に置かれながら、お互いを信じて待ちつづけた9年間は、どれほど長かったことでしょう。そしてまた、晴れて君子夫人を日本に迎えることができるようになった時の先生の喜びは、いかほどのものであったでしょうか(印象深い高峰秀子さんの述懐があるのですが、本日は引用をひかえさせていただきます)。今日はお墓参りをしていて、墓碑の側面に彫られた奥様のお名前を拝見するうちに、この歌のことをどうしても紹介したいと感じた次第でありました。
先生が亡くなられて、今日で35年。かつて自分自身が生まれてから35歳に至るまでの悲喜こもごもの年月を思うと、その時間の長さが如実に感ぜられます。それだけの長い時間を、灰田先生のおかげで私は生きて来ることができたのだという、感謝の思いとともに。今日はそのことをお話しして、35回目のこの日の結びとさせていただきます。