決してあきらめずに
毎年8月は、6日、9日、15日、そして今日21日に、その年々の思いを書いています。広島、長崎、終戦の日については、今年もお伝えした通りですが、この「8月21日」は、私の敬愛する藤山一郎先生が23年前に世を去られた、忘れがたい日であります。常体のブログの文章を、掲載させていただきます。
戦後が72年目に入り(去る8月15日に満71年が経過)、大きな「変化」が必要な時代となっている。時に応じて変えなければならないことを思うとき、同時に強い意思で守らなければならないものがあることに、意を強くする。それは、忘れてはならないことは、決して忘れない、ということである。忘れても良いこと、忘れるべきことは忘れていいが、忘れるべきでないことは、絶対に忘れないよう、語りつづけて行かねばならない。
藤山一郎先生がお亡くなりになったのは、23年前の今日、8月21日である。その時のことは、今も鮮明に覚えているし、これからも決して忘れまい。その藤山先生のお教えの中で、私にとって最も大きなものは、言葉を正しく使い、発声は明瞭に、というものである。先生は、ご自身の歌われる歌を、「楷書」の歌であるとおっしゃった。「音」についてはもちろんであるが、特に「言葉」についてそうであることが、私が藤山一郎先生の教え子であると自負することのできる、最大の要素である。
時に応じて、変えるべきものは変えることが必要である。同時に、変えてはならない部分は、決して変えるべきでない。そして「言葉」は、移ろいやすく、変わって行きやすいものである。そのことを容認する立場の専門家も多い。しかし、峻別し、強い意思を以て変えることと、大勢に流されて変化するものを安易に認めることとの間には、天と地ほどの違いがある。安易に流れに迎合する者ばかりでは、やがて社会全体が、変わってはならない方向に変わってゆく、すなわち過去の過ちを繰り返す道に進むことを、見過ごすことにもなる。大きな変化を迎えようとするこの時代に、守るべきものは守るということが、かつてないほど大事なことになるだろう。
こうした「今」の時代だからこそ、「言葉を正しく使い、発声は明瞭に」というご姿勢で、「楷書の歌」を貫かれた藤山先生に、学ぶべきことは多いと思う。『長崎の鐘』や『青い山脈』を歌われ、戦後の心をまっすぐに導かれた先生のお心を、私は決して忘れることなく、語りつづけて行くことを強く誓う。
2016年8月21日
小田原漂情