YouTubeで詩の朗読をはじめました(第1回は「レモン哀歌」です)!
本日も、常体のブログの文章を引用、掲載させていただきます。表現が硬い点は、何卒おゆるし下さい。
今日、8月9日の午前11時2分、長崎が、被爆後71年の時を迎えた。この1年間に新たに死亡が確認された3487人の名簿が奉安され、長崎の原爆死没者名簿登載者数は17万2230人になったという。
広島市長の平和宣言、長崎市長の長崎平和宣言のいずれもが、被爆された方々の平均年齢が80歳を越していることに触れ、長崎平和宣言は、「世界が『被爆者のいない時代』を迎える日が少しずつ近づいています」とまで踏みこんだ。その日はあまり遠くない将来に確実に訪れるのであり、その時日本人の多くが、広島と長崎の原爆の惨禍を「過去の遠いできごと」と感じるようになってしまっては、過ちがふたたび繰り返される恐れがある。広島の平和宣言が「絶対悪」と表現した核兵器のありようは、われわれが受け継ぎ、伝えて行かなければならぬ最大の歴史であると考える。
そして、昨日は天皇陛下の「お気持ち」が、ビデオメッセージにより公にされた。論評めいたことを書きつづるには畏れがあるが、ネット等でのコメントなどを見るにつけ、一つだけ、明言しておきたいと思うことがある。それは、陛下ほど強く、われわれ国民と、日本という国の未来を考えて下さる方はないのであり、また昭和から平成にかけての一連の行事(昨日のお言葉の一部を拝借すれば、「殯(もがり)」から喪儀、新時代に関わる諸行事)のすべてを、唯一の当事者として執り行われた上での、だれ一人知り得ないご実感の上から、国と国民の負担を減らすことを念頭に置かれ「国民の理解を得られることを、切に」願う、とされた「お気持ち」を、厳粛に受け止めるべきだということだ。
これは平成の世になってから28年、天皇皇后両陛下が国民と国のためにお考えくださり、実践してくださったじつに多くのことがらをふりかえる時、自ずとみちびかれる思いである。長崎平和宣言は、「被爆者のいない時代」を語るだけでなく、「被爆者に代わって子どもや孫の世代が体験を語り伝える活動が始まっています」と告げている。戦後も70年を過ぎ、さまざまなことが、新しい時代のために、動き、変わって行くべき時に、来ているのだろう。その中で変わってはいけない、忘れてはならない不変の思いを持ちつづけることもまた、きわめて重要なことだと考える次第である。
2016年8月9日
小田原漂情