三陸の鉄道に捧げる頌(オード)の完結作『志津川の海』を書きました!
ふとしたことから、かつて長距離の列車、とくに寝台列車の始発・終着時によく聞いて親しんでいたオルゴールのメロディーの曲名が『ハイケンスのセレナーデ』(ハイケンスのセレナード)であると、知ることになりました。同様のメロディーには『鉄道唱歌』があり、これも鉄道好きの身としては掛け値なしに懐かしいのですが、十代から二十代にかけての若き日、旅ごころの奥ふかくに沁み入った佳曲の(鉄道のオルゴールでのそれは短いものですが)曲名を、五十を過ぎた今日まで知らなかった(知ろうとしなかった)のは、まったくもって不覚でありました。
しかし、このようなこと、すなわちなじみが深いゆえにかえってその深さに安住してしまうというようなことは、往々にして起こりうることです。すこし言い訳をさせていただくと、私は今まで、「あのうつくしいオルゴールのメロディーが、誰が作曲した、何という曲で、どうすればその原曲が聴けるのか」ということをたぐろうとしたことはありませんでしたが、列車の中でなじんだその旋律を忘れることも、また決してなかったのです。その証拠というわけではありませんが、今使っているスマートフォンの3代か4代前の携帯電話(ガラケー)の着信音は、自分が口笛で吹いたメロディーを妻に入力してもらい、その機種を使っている何年かは、ガラケーの電子音ながら、『ハイケンスのセレナーデ』の一部分(国鉄→JRの夜行列車等のオルゴールで奏でられる部分)で、着信を受けていたのでした。
今回偶然、それほどまでに親しんだ佳曲の曲名を知り、原曲を演奏したCDを入手することとなった経緯については、いずれご報告する機会があると思われるためここでは省きますが、入手したCDの解説により、この曲と、さらに作曲者であるハイケンスとの真の出会いがもたらされたため、その夜のうちに一文を認めたものです。
作曲者ジョニー・ハイケンス(1884~1945)はオランダの出身ですが、おもにドイツで活躍したそうです。そして第二次世界大戦の終結前に故国オランダに戻っていましたが、戦後「親独派」として連合軍に捕えられ、獄中で自死したといいます(CDの解説によります)。また、戦中日本のNHKでは、戦地へ赴く兵士のために放送したラジオ番組「戦線(前線とする資料もあり、現段階では未確認)へ送る夕べ」のテーマ音楽として、この曲を流していたとのことです。
私は音楽に関しては素人ですが、『ハイケンスのセレナーデ』は暗いものを感じさせない、明るく瀟洒な旋律です。ただ、例の国鉄(JR)の夜行列車のオルゴールで奏でられる部分だけが、ちょっと透明なさびしさを感じさせます。そこが私の青春期のこころに沁み入ったのだと言えましょうが、そのことと、決して暗い悲壮なものではないこの曲の作曲者が、おそらくは暗く無惨な死を遂げた、その事実を、私がいま知ることになったというのは、何かのみちびきがあってのことだと思われてならないのです。どのような形にできるか、今はまだわかりませんが、私はハイケンスのことを、書かなければなりません。そのことだけを、ここに記しておきたいと思うのです。なお、この文中に「引用」に準じる箇所がありますが、検証を経ていないため、本文においては、「聞き知った話」の範疇にとどめさせていただきたいと思います。
国語力に定評がある文京区の総合学習塾教師
小田原漂情
文京区の総合学習塾・言問学舎HP
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