決してあきらめずに
戦国時代最強と言われた甲斐武田軍団を育て上げた戦国武将、武田信玄のことは、みなさんよくご存じのことと思います。その跡継ぎである四郎勝頼や、「軍師」として知られた山本勘介も、もちろん有名ですね。武田信玄、山本勘介は、NHK大河ドラマの主人公にもなりました。
信玄を取り巻く女性陣では、正室の三条夫人や、勝頼を生んだ、諏訪頼重の娘である「諏訪御寮人」(1988年の大河ドラマ『武田信玄』では「湖衣姫」)がよく知られており、また諏訪頼重に嫁いだ信玄の妹「禰々」も、ドラマなどでは必ず描かれます。
ところで、武田、北条(相模)、今川(駿河)の「甲相駿三国同盟」に際して武田から北条へ嫁いだ(夫は四代氏政)信玄の長女のことは、ご存じでしょうか。甲府から小田原への輿入れの際には一万人もの行列が供をして、小田原で年を越したと伝えられており、その豪奢な婚礼ぶりは、長く語り伝えられているようです。
しかし、北条へ嫁いだ黄梅院の最期は、政略結婚の犠牲そのものと言っていい、哀しいものでした。「甲相駿三国同盟」は、武田信玄、北条氏康、今川義元の強者三人による、力と利害の釣り合いのとれたものでしたが、桶狭間の戦いで義元が死に、後継ぎの氏真に器量がなかったため、同盟は崩れます。信玄は駿河を攻め、娘を氏真に嫁がせていた氏康により、黄梅院は義絶されてしまいます。甲州へ送り返されたと言いますが、出家した彼女は、失意のうちに半年あまりで世を去りました。
嫁ぐことそのものが、父の命令による政略結婚であり、嫁ぎ先の北条家では、のちに五代目となる嫡子氏直を産むなど、正室として見事に役目を果たしながら、実家と婚家が敵対したことによって、夫や愛児と離別させられた、哀しい生涯でした。
今般Kindleで刊行した拙著『遠つ世の声』は、この黄梅院の生涯を一つのモチーフに、甲斐武田に関連する奥三河や、甲州の伝説などもご紹介しています(歴史小説ではありません)。黄梅院や甲斐武田、そして八ヶ岳、奥三河にご関心のある方には、きっとご満足いただけると思います。下記より詳細をご覧いただければ幸いです。
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