研鑽と進化を
インターネットのニュースに出ている表題の記事に、注目されている方が多いのではないでしょうか。
今日6日、政府の教育再生実行会議が行なわれ、大学入試改革として、現在国公立大学の一次試験として実施されている大学入試センター試験について、廃止(新設の「到達度テスト」との統合)を含めた議論が、始められたとのことです。
いくつかの記事から概略だけをまとめ、箇条書きすると、こういう内容のようです。
①現在日本の教育において、大学受験に大きすぎる負担があることが問題だ。だから改善策を。
②センター試験は年1回の結果で決まり(特に不合格が-筆者注)、また画一的な評価となるので問題がある。
③改善策として、年数回実施の「到達度テスト」を導入し、入試の判定に用いる。複数回のうちの最高点を提出できる、などの案も、出ている模様。
これについて、現時点で私が思うところを述べてみます。
①については、入試という入り口を変える時には、真ん中の「大学そのもの」と出口の「卒業条件」「就職状況」を合わせて変えなければ意味がないということが、すぐ指摘できます。
②ですが、たしかにセンター試験の内容は、「ある型」にはまったものであって、今までのものが最善だとは思われませんし、共通一次からセンターに変わって二十数年、改廃論議がなされるのは、当然だと思います。ただ、このあと述べることが心配です。
③高校3年次に複数回の「到達度テスト」受験を課すことで、センター試験(もしくはそれに代わる制度)を「必須の一次試験」とする大学では(現在は国公立のみ)、コツコツ型の「優等生」が有利になったり、高校生の自由な活動(精神活動を含む)の妨げになったりしないか、との疑念が、すぐに浮かびました。
「優等生」が有利に、という懸念には、裏付けがあります。縁あって私のところで働いてくれた東大生の中にも、3年1学期までは部活に集中していて(もしくは遊んでいて)、夏休みや2学期からの短期集中で受験に成功した、という人たちが、かなりいるのです。受験の成否の問題ではありません。勉強だけでなく、部活動や、その他の諸活動で幅の広い知識や経験を積んだ受験生、大学生の比率が下がり、「優等生」型の比率が上がるのでは、制度改革として大きな疑問符がついて、当然ではないでしょうか。
また、先日自民党内で、文系私大にも理系科目の受験を課すべきだ、との提言が出ていましたが、このことと単純に結びつけられるのは良くないと、市井の教育者の立場からは、明言しておきます。
なぜなら、「勉強がきらい」ということでなく、本当に「数字(「学」ではなく「字」です)が苦手だ」という子が、少なからず存在するからです。そういう子たちにとって、数学はどんなに頑張って勉強しても、「苦手」であることは変わらないし、「苦痛」でさえあります(だからといって、数学や理系の勉強をしなくていいということではありません)。
そうした子たちが、入試という「合否の判定」=「行きたい大学に入れるかどうかの関門」で、徹底して苦手な科目を強制的に義務づけられては、将来の夢や選択肢が狭められてしまいます。またこれは、文系に対する数学・理系科目だけの問題ではないでしょう。そもそも、文系・理系でそれぞれ反対側の科目が苦手な子は、国公立でなく私立を、という選択をしなければならないのですし、そのために親は大きな経済的負担をするのです。それ以上、オールラウンドプレーヤーでなく得手不得手のはっきりした子の将来を狭くするような方策は、あってはならないと考えます。
本題に戻りますと、制度の改変は私も必要と考えますが、現場(学校、生徒)の実情とかけ離れ、また受験生・高校生を縛りつける形のものにならず、若者を大きく育てる(きちんと勉強することを含めて)内容のものになることを、切に望む次第です。
夕刊にはネットのニュースより詳しく出ているようです。その後の詳報も読みこんだ上で、さらに述べるべきことがあれば、後日お伝えしたいと思います。
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国語力に定評がある文京区の総合学習塾教師
小田原漂情
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