石川啄木のこと

小田原漂情

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 昨日の新聞で、文京区小石川の「石川啄木終焉の地」に、文京区が啄木の歌碑と顕彰コーナーを設置する計画であることが報じられました。   

 この「終焉の地」は、言問学舎からは少し距離があるのですが、それでも何度か、前を通ったことがあります。また、「啄木ゆかりの宿」は、塾から歩いて5分ほどの、なじみ深い場所にあります。

 大学の卒業論文では、私は若山牧水を書きましたが、やはり歌人として、啄木には特別な思いを持っています。一般的には、若くして病に倒れた薄幸の詩人のイメージが強いと思いますが、生活者としてはまるで駄目、せっかく就いた仕事も長続きせず、多くの友人に金銭面で助けてもらい、しかし自身が大きな才能の持ち主であるという自負は強く(だからこそ「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ/花を買ひきて/妻と親しむ」の歌が強い哀調を持つのです)、一方で校長の排斥運動をしたり、「革命」にあこがれるなど、激しい性情の持ち主でもあった、端倪すべからざる人物です。金銭的な世話をした人々も、「そうせずにはいられない不思議な魅力のある人間だった」という意味のことを語っています。

 啄木の名を後世に残らしめたものは短歌ですが、彼は小説も書き(『雲は天才である』他)、詩も書いています。詩においては、「はてしなき議論の後」「ココアのひと匙」など、社会主義に傾倒する立場からの激しい叫びでありながら、深く心にせまる名作を残しました。

 啄木の死の床には、牧水がいました。啄木の没年は26歳、若すぎる友の死を送った牧水も、43歳という、今から見ればずいぶん若い年齢で、人生を終えました。歌ぶりは大きく異なる二人ですが、明治・大正期の歌人の中で、いまだに多くの人々に親しまれている歌人として、啄木の最期を牧水が看取ったことにも、何か不思議な「縁」があるように思われてなりません。

 啄木の生涯の倍近くを生きて来て、今は「端倪すべからざる人物」というよりは、おそらく破天荒でありながら「愛すべき人」である何かを強く感じさせた人なのだろうと考えながら、歌碑ができたら、特別授業で生徒を連れて行き、啄木のことを教えるのも良いな、などと思っている私です。

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小田原漂情(学習塾塾長)

有限会社 言問学舎

自らが歌人・小説家です。小説、評論、詩歌、文法すべて、生徒が「わかる」指導をします。また「国語の楽しさ」を教えるプロです。みな国語が好きになります。歌集・小説等著書多数、詩の朗読も公開中です!

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