言問学舎の冬期講習2024‐25 中3生期末躍進、社会連続100点達成
「塾」というなりわいは、多く「成績を上げ、受験を成功させること」と捉えられています。月謝を受領して、決まった時間の中で「勉強を教える」以上、それは当然のことであり、果たさなければならぬ務めであることは、私の塾にあっても同様です。本サイトやホームページほかの関連箇所でもご紹介しております通り、「実績」、ことに一人一人の生徒についての「効果」の面で、「成績を上げ、受験を成功させること」を第一義として大きな結果を出していることについて、「言問学舎」の実態をご存じの方々に、おそらく異論はあるまいと思います。
が、せっかく縁があって自分自身にもゆかりの浅くない現在地で塾を営んで行くにあたり、私は私のところでしかできない、「ある勉強」「ある体験」を、子どもたちに知ってほしいと思いながら、塾をやっています。
そのうち「国語の勉強の独自性」については、各場面で述べてあり、また発信をつづけて来ました。今回のコラムでは、私が長年追い続けて来た、「信じ、信じられること」のために生き、それを実行し続けるということについて、私見をお伝えしたいと思うのです。
昨今、例を引くまでもありませんが、特に「信」が必要とされる場所、あるいは立場の人たちに、「信じられるもの」が感じられない世の中です(東日本大震災で、筆舌に尽くしがたい苦難に遭いながら、再起をかけて立ち上がろうとしておられる方々には、まぎれもない「真」と「信」があり、なにがしかのものを自分も受け持ちたいと、感じさせられます)。多くのふつうの大人が、「信ずべきもの」を持てない時、子どもたちはいったい何を信じることができるでしょう。
私は塾という場で子どもたちと接するにあたり、少なくとも、「信じ、信じられることの大切さ、ありがたさ」を、伝えていきたいと考え、実行しています。それが、自分の塾に(もしくは私に)固有の特質であり、縁あって来てくれた子どもたちにあげられる、(勉強以外の)ベストのものだと思うのです。
私は自分自身、若いころ、信じるよすがを見失ってさまよっていた時に、ひとつの出会いによって己のあるべき道に立ち戻り、その後の人生にかけがえのないものを享受しました。そのことなくして、いまの私がこのようななりわいをしていることは、なかっただろうと思います。その灰田勝彦先生が私にあたえて下さった、「人を信じ、信じるもののために生きること」を、私は子どもたちに、そして多くの人々に伝えたいと願っています。ぜひ下記のYouTubeも、ご覧下さい。
国語力に定評のある文京区の総合学習塾教師
小田原漂情
文京区の総合学習塾・言問学舎
http://www.youtube.com/watch?v=UWuJJRqCtvQ