離婚家庭に育つ子の気持ち
よく離婚をしたくない理由をお聞きする中で「子供の為に」と言われる方は多いです。
確かに私も一番悩んだところはその点で、「私が子供から父親と言う存在を取り上げる事は正しいか」という事に悩みました。
でも結局、離婚をしましたので、子供から父親を奪う事になりましたが、今にして思うと、やはり、私が一番離婚はしたくなかったという事です。
その中で、離婚と言う日は突然やって来たわけですが、その時には、子供の為にとか、私が離婚を望まないとかの話ではなく、まったく別の角度でそれはやってきました。
その理由は各家庭の色んな状況にもよるのですが、人生には想像の出来ない予想を上回る事もあるという事です。(ここでは詳細は書けませんが)
誰が悪いとか、どちらが悪いとか、そういう事ではなく・・・・・
表現は難しいのですが、「終わったな」という抗えない感情です。
でもその時は、自分でも驚くほど、乾いた、腹が座ったという感情に近い感覚でした。
【離婚決意の時期】
しかし、子供の年齢と言う事も悩ましく、色々考えさせられます。
一番いいのは、子供が物心つく前の離婚です。
その頃は母親としても若く、夫への愛情も沢山ある時ですから、小さな子供がいての離婚は生木を裂けられる思いですが、子供が父親を後追いするようになってからの方が見ていて胸を締め付けらます。
乱暴ないいかたですが、いっそ父親の思い出がない方が「そんなものだ」という風に育つのです。
ではもう少し大きくなって、幼児期も、親が夫婦喧嘩をしているのを見せるのは、もっとよくないので夫婦が憎しみあうような段階になってからの離婚はもっと子供の精神衛生上、よくないですよね。
そしたら、小学校になって近所の子供と遊ぶようになったら、転校などは本人も嫌がるので離婚は子供心にも最も不安になるので、避けたいものです。
中学生、高校生となると思春期なので、子供の気持ちを考えると、残酷な体験のように思います。
そういう意味で、離婚をする時に、いつが一番いいかという事は結局、ないのかもしれません。
【離婚をする時期】
では離婚時期は、いつか?となると、結局は、母親の腹が決った時・・・・・それしかないという気がしています。
もちろん、細かくは子供さんの受験とか、進級時とか、色々あるとは思いますが、大きくは母親の覚悟が出来た時というのが最適だと思います。
【私の育った家庭と母子家庭への入り口】
ここで、少し余談ですが自分自身が母子家庭で育った経験のない人は母子家庭の子供の感覚がわかりません。
私は母子家庭で育ったのでその感覚が分る一人です。もちろん環境や性格などで、誰しもか同じ感情かというと違う部分はありますが、私の場合をお話します。
私の父親は高度成長時代に、会社を経営し家庭は裕福でした。
その為に私立の小学校に、電車通学し、習い事のピアノ家庭教師のように、家でレッスンをしてもらっていました。
でも父の会社経営は失敗し、小学4年の時に、地域の公立の学校に転校しました。
ただ、子供は「不幸」と言う言葉を知りません。
私が転校する事を、自分では不幸とは思っていませんでしたし、学校から帰っても近所の友達と遊べて私は楽しかったので転校はむしろラッキーでした。
その後、父の会社経営の失敗で作った借金の為に、家を出て行かないといけなくなり、父は借金取りから逃げて、私達3人兄妹と母と父は別々に暮らす事になり、一家離散となりました。
その間も、母はパートで生活を支えながらも父親の失敗を馬鹿にする母の愚痴を聞き過ごしましたので、母親は不幸だな、と感じていたのを覚えています。
ただ、私は3人兄妹の中で、一番父親っ子だったので、父を悪く言う母の言葉は聞きたくなかったです。
でも、母の苦労を想うと母の気持ちも分るので、黙って聞くしかなかったですが、私は結構、心は大人でしたので、母の特徴のある性格も、問題あるなアと思っていました。
そして別居期間は続き、父親には会えなくなりま、その後、私が高校2年の夏休みに親が離婚しました。
離婚した母は、旧姓を選び、私の名前は、とても女性らしい苗字になりました。
そして夏休み明け、学校に行くと 私の名前が消えて、何やら新しい苗字の名簿が各生徒の名前においてあり、誰か転校生が来るのか、ザワザワしていました。
でも、結局は その名の当人が私と分り、「おまえかァ~い」とクラスメイトはズコっとなりました。
私も明るい性格なので、特にナニと言う事なく、その時期は過ぎました。
それから、学校も卒業し、就職をし、結婚をして普通に暮らしました。
でも、自分が家庭を持てば、やはり父親の行方は気になります。
しかし、それでも私は、母にそれを尋ねる事は出来ませんでした。
何故なら、母は、自分の人生を無茶苦茶にした父をずっと許してなかったので、その父親に会いたいというのは口が裂けても言えなかったし、もし、私が父親への思慕を口にする事は、母を裏切るようで、母に悪いと思っていたのです。
それから、ずーと時間が流れ、母親が79歳で亡くなった時、その後、戸籍を見ました。
そこでは父親が84歳で亡くなっていた事が分りました。
自分の父の死を、戸籍表で見るだなんて・・・・・この時、初めて自分の人生をちょっと不幸に思いました。
と言う事で、何が言いたいかと言うと、あまり両親が憎しみあって離婚をすると、母子家庭になった子供は
父親に会いたくても、母親を苦しませた父に会う事は、母親を裏切るような気持ちを持っていました。その為に、母への忠誠をそむく事になる「父に会いたい」と言う気持ちを自分の中で消し去りました。
人は色んなタイプがいて、色んな感情があって、色んな背景があります。
誰一人、同じではありませんが 少なくとも母子家庭で育った人の気持ちは分ります。
だから逆に、両親揃って育てられた人の気持ちも分りません。
でも、私の結婚生活では、息子は22歳と18歳になるまでは、父親という存在の為に元夫を子供が憎んだりすることのないように、夫婦円満を演じました。
その弊害で、えせ夫婦円満の薄気味悪さを多感な長男は感じ取って、家庭内暴力もひどく家庭は荒れました。
反面、次男は4歳の差もあって、思春期の多感な時期にはスポーツ活動で忙しく、結構、楽天家に育ちました。
【同じ環境でも兄弟の性格は違う】
同じ環境で育てても、兄弟の性格は違いますから、それぞれの受け取り方も違います。
長男は今も、元夫と交流を持っています。次男の結婚式には、元夫も参加しました。
子供達は、父親不在の母子家庭のような形で育ちましたが、別にそこに不安は持って育たなかったのは私が元夫の悪口を言わず、子供の前では、もめ事を見えなくしていたからです。
そこが私の育った環境との違いで、私の母子家庭経験と違う点で私が元夫の悪口を言わなかった為、貧しい暮しの原因も、元夫と言う父親のせいとは思わずに育ったと思います。
【母子家庭の生活費】
母子家庭という環境は、ある意味子供には試練ですが、逆を言えば我慢強い子供に育ちます。
厚生労働省の発表では、母子家庭の年間生活費は平均230万円だそうです。
政府が母子手当や医療費無料など補助をしてカバーできるのですが、それでも充分じゃない事は皆知っています。
人生には誰にも苦労はありますが、母子家庭になるという事は一部を除いては裕福な暮しは望めません。
嫌味に聞こえたら謝りますが両親揃って、普通の経済状態で育てば、それだけで最低ラインの幸せが保証されています。
ある一定の暮らしが保証されているという事は、母子家庭から見ると、一定以上のレベルだという事です。
子供が親の顔色を見て、食堂で食事をする時、一番安いものしかオーダー出来ない子は、自由にその日食べたい物を注文できるより大らかなのです。でも両親揃った中で育つという事はその程度の違いです。
だったら、その人が色んな悩みを持っても、ある一定のレベルから上の苦労なのです。
生活の心配がないという事は、人生の幸せ、半分は保証されたようなものですから、やはり母子家庭になるという事を考えた時は、生活が出来るか、どうかがネックになるとお考え下さい。
【離婚決意は何をもって決まる?】
よく相談者で、言われる事で「離婚は決めました。でも生活の事を考えると不安で仕方がないのです」と仰います。よく分かります。でもそれは離婚を決めたという事にはならないのです。
どうしたら、暮らしていけるか?その基本を可能にしておく必要があります。
逆に、生活の下準備がないのであれば、まだ離婚を決意するのは早いかもしれません。
これがよく言う「離婚はいつでもできる」と、いう事なのです。
離婚に際し、子供の事の決め事は親権や面接権。
それ以外の事は、子供の事に対する養育費。
離婚理由によっては、慰謝料。
それから、結婚してから築いた財産分与です。
【離婚の話はお金の話】
離婚の決め事は、子供さんの事より、お金の取り決めの方が、多いのです。
だから、離婚の決意というけれど、お金の事が割り切れるとしたら、もうその離婚の決め事は8割がた、
定まったも同じです。
人はどなたにも、不安はあります。健康も含めて、老後の心配はあります。
しかしその健康でさえ、お金の心配が付いて回るし、何なら、健康さえ、お金で買えるしお金があれば何とか過ごせます。
と、いう事で、離婚をしたくない理由は子供さんの気持ちを考えると・・・・・と言う事は良く分かります。
でも、子供さんの事は、母親が元気で、明るく、恨み言を言わずに育てれば何とかなります。
【夫婦喧嘩は子供さんのいない所で】
どうか、夫婦喧嘩は子供さんのいない所で・・・・・。
子供の為に離婚をしたくないという人ほど、子供の前で残酷な事をしています。
そういう意味でも、夫婦は話し合ってはいけません。
何故なら話し合いは、話し合いだけでは終わりません。
ついヒートアップしたり、どちらかを罵るような言葉をいう場面は見せないでください。
私の親孝行は、離婚した父親への思慕を消す事でした。
そして、育ててくれている母親への感謝の気持ちは、一生、父親に会う事が出来なかったという事で忠誠を示しました。今なら、離婚に際し、弁護士を入れて、きちんと養育費や面接権を取り決めることもできます。
私の育った時代は昭和ですので、色んな背景が古いのだとは思いますが、変な言い方ですが子供って意外と大人です。もしかしたら色んな親の顔色を見てます。
松っちゃんが作詞の「チキンライス」
【松っちゃんが作詞の「チキンライス」】
私はダウンタウンの松っちゃんが作詞の「チキンライス」がこの年になっても、泣けてきます。
大人になってからの作詞と思いますが「♪僕はまだまだチキンライスでいいや♬」の部分は、子供って、別にお金持ちでなくてもいいのです。
子供さんは、誰かと比較して、幸せか不幸せを感じるものではありません。
お母さんと一緒に明るく過ごせる事が子供の幸せなのです。
だから、お母さん!!ファイトで明るく元気に暮らせる道が決れば、それでいいと思います。
では今日はここまで。