後ろめたさ
咋日(12月2日)のコラムは、もうお読みいただけましたでしょうか?
信頼って何でしょう
今日もその内容に近いのですが、「人は何に対して信用するのか?」について、私のフェイスブックでも書きましたので、よろしければお読み下さい。
人は何を持って信頼するのでしょう
人を信じる事が信頼感に繋がるので、目上の家長に対してであれば尊敬も生まれるし、子供達に対しては一孤の人間性を重んじる基本になります。
しかし時と場合によっては、信じるという事は、ある意味手抜きになっている事を知って欲しいのです。
特に浮気事件が起きるときには、妻のよく言う事は、夫を信用していたから、浮気をするなんて露とも思わなかった、と言われます。
でも、きっと、浮気をするには、時間もお金も掛かりますから、何かの変化はあったはずなのです。まして長期間であれば、どこか違っていたはずです。
それを、信用していた、という事で全てが見えなかったとしたら、それを盲目の愛といえるでしょうか?
また、浮気をした本人、つまり夫の口から出る言葉は「俺にかまってくれなかった」ということです。
そう。言い訳です。自分を正当化させたいときに言う言い訳ですが、あながち噓でもありません。
妻にすれば夫は大人なんだし、貴方の子供を育てている訳だから、それに対して夫が寂しさの不満を募らせているなんて、思いもしなかったという事ですが、実は妻も手一杯なところで、ある意味、夫を二番手にしているのは自覚があります。
でも、それが二番手ならまだしも、全く、眼中に夫を入れていなければ、夫も拗ねるとは思います。
では、そういう子育てで忙しい時に夫には、どう構ってあげたら良いのでしょうか?
それは難しいことではありません。
例えば、毎日とはいいませんが、夕飯に、夫の好物の物を、週末くらいは作ってあげたらいいのです。
もし、お酒呑みの夫であれば、子供の甘いカレーライスを食べさせるのではなく、少しお鍋に取り分けて、香辛料を増し増しにして、ナン(市販のもので充分)でも添えれば、お酒のアテとして、後は一人で飲んでいるでしょう。
それも面倒くさいなら、カレーは子供達にだけ食べさせて、夫にはお造りを買ってきて食べさせたら手間は掛からない。
やれ「お造りは高くつく」とか、ごちゃごちゃ言わないの。
タコか,イカ安いもんだし、かつおのタタキなら、トレーごと出して、「買ったままでごめんね」と言葉だけ添えれば、楽なもんですよ。
要は労力として力を注ぐのではなく、ちょっとだけ、スーパーで買い物をする時に、夫の顔が目に浮かんだか、どうか、気持ちの問題です。
気持ちはタダです。お金は掛かりません。
以前、孫と宇治の平等院、参道を歩いていて、おねだりされました。孫が指差した物の理由を聞けば「皆、喜ぶし」と言ったのです。
まだ、言葉を覚えたての孫が、そう言う生意気を言うのが可愛くて、嫁に聞いたら、いつも嫁が子供を連れてスーパーに買い物に行き、迷った結果、選んだ時の理由を言っていた、いつもの嫁の口癖でした。
「皆、喜ぶし・・・」なんて素敵な言葉でしょう。
京都弁のイントネーションで、皆様には伝わるかな
でも、この時の孫の選んだものは、ソフトクリーム2本目でしたから、「皆」ではなく、孫が自分ひとりで食べたかっただけだったので、却下しましたが。
皆さん、スーパーで、買い物をする時、何を考えてますか?
安売りの値札ばかりを見ているようでは、味気ない。
もちろん経済的な事を考え、栄養バランスも考えないといけない主婦は大変です。
当然、子供を中心に、健康面を第一に、時短で・・・となると大変なのは分かります。
家族の好みや、喜ぶ顔が浮かべながらの炊事は、一味美味しくできるでしょう。
どうか買い物の際、子供だけじゃなくお父さんの顔も思い浮かべのメンバーに加えてあげて欲しいのです。
その時に、夫の顔が、夕食を喜んで食べずに文句ばかりを言っている顔が浮かぶなら、夫のワガママが過ぎるのか、貴方の料理が手抜き過ぎるのか?
本当は炊事が貴女が苦手意識があるなら、それはもう別の問題です。
人間は、自分の苦手意識があることをする時に、それを強いている誰かを嫌いになるものですから。
と、いう事で、「何をしても夫は何も感じないだろう」と言うのは、逆に言うと、「何もされなくても夫は平気なんだろう」と考える無礼なのです。
夫に信じるという事で手抜きになるのは、相手に対しての尊厳が失われている事にもなりますから、信じていたから、夫を信頼していたという事とは違うと言う事を知って下さい。
今日はここまで。