貴方が夫に嘘を付かせている?
5月1日、令和の年が明けました。
今年の元旦とは、別の意味で、新たな年の幕開けに感じます。
新天皇陛下は、上皇天皇の軌跡を尊敬し、引き継いでいかれる即位の文を読み上げられました。
それにしても、私のような下々の人間は、改築をした皇居は17LDKになるとか、女性皇族の方々のティアラやネックレスのお値打ちとか、下世話な事に興味が行きがちですが、こうした行事の折、始めて聞く言葉に、改めて知らない言葉に無学を感じます。
早速、ヤホー?で検索しました。
弥栄【いやさか】
[名]ますます栄えること。「国の弥栄を祈る」[感]繁栄を祈って叫ぶ声。ばんざいに近い意味。
兵庫県に 弥栄(やさか)という地名がありますが、これはいやさかと読みます。
日本の行事は厳かで美しいと改めて思います。
特に、場面場面で、決意表明の言葉を述べる儀式は、今後の「有り方」を自他共に約束をしている言葉です。
特に結婚式では、「いつも笑顔の絶えない家庭を」と言います。
教会式の結婚式では牧師さんから「健やかなる時も病める時も汝を愛す」と誓います。
しかし、結婚して数年が経つと、この決意表明の言葉が一番遠い誓いになります。
夫婦の生活の中で意思の疎通が出来ないと感じると、余計に言葉がきつくなったり。
相手に自分の意思を伝えたいとなると、正論ばかりを振りかざし、相手を制する事になると
対立の溝は益々、深くなります。
要は、話し合いなどで、相手が大人しく?なったとしても、それはこちらの意見に賛同したのではなく、ひれ伏しただけで、発言をしなくなった相手は、不戦勝を決め込んだのかもしれません。
話し合いで、相手と対峙するときは、相手が本当に賛同してくれたのか、単に、話し合いに疲れて無抵抗になっただけなのかを、見定めないといけません。
話し合いの結果、貴女に寄り添う事になったのではなく「降参」しただけかもしれません。
スポーツ行事でも、選手宣誓は、それを目標とし、守る事で、物事が正しい方向へ向かい合います。
でも結婚の時の誓いは(別に式をしなくても)単なるプログラムの一つになってしまい、
実生活では、そんな誓いの言葉はデコレーションに終わります。
今一度、この誓いという原点に立ち戻って、美しい日本語を目標に、夫婦の暮らしも見つめ直してみませんか?
好きな事を言い合うだけでは、本当に意思の疎通は出来ません。
現状を非難する事だけに終る事はよくありません。
お互いを尊重しあうという事を、頭において、まずはパートナーだという認識の下、
どうすれば二人三脚ができるか?
どちらか一方が、強引に押し通すのではなく、お互いが譲り合える妥協点を見つけ出しましょう。
そして、ここからが私からの一番のメッセージですが、「損得」の考え方がないか?
ここを見つめ直してください。
夫婦は、互いに公平を求めると、譲り合う事に逆に損得が生じます。
仕事も持つ夫婦なら、どちらかの家事負担が多くなったり、重労働をしているかの、比べあいになります。
家族の為にと考えつつも、自分の労働が多い、少ないと量で判断しがちになります。
これは家事だけのことではなく、家庭や家族に対する気持ちの掛け方も、量で計るようになると、どちらかが損をするという結果になります。
でもそれは、一面からだけの見方であり、夫婦は多面的です。
心の面での責任感。
肉体労働(家事育児)の面での責任感
収入の面での責任感
それら種類の違う責任感で、家庭は成り立っていますが、この異種のものを、横並びで比べる事は、ちょっと違うのではないではないか?
そこに、不公平感という物差しで考えていると、「自分ばっかり」という不平不満が湧き出て、どこか損得を物差しにしてしまいます。
これは、ちょっと違います。
結婚したときの決意表明を今一度、思い出して下さい。
ここでは「量」の比べあいはしなかったはずですから。
有り方が大切と書きましたが、「在り方」と、書く方が正しいかもしれません。
夫婦の夫や妻の在り方
父や母として家族の在り方
この在り方をもう一度、初心に戻って、夫婦が確認作業をしてみましょう。
元号も新たになった、この機会に・・・・・
何か本当の意味で、新年が明けた感じがします。
よい、お年を・・・・・
では今日はここまで