浮気をやめさせる為のセオリー
実は私、時間のある時は裁判所に行き、裁判を傍聴します。
私の事務所のある大阪市北区には、近くに大阪高等裁判所があります。大きな裁判などがある時は、よくテレビ中継され記者の人が裁判所の中からバタバタと走って来てテレビカメラの前で「勝訴」って紙を広げて見せるおなじみの光景がある、アレです。
以前、たまたま近くに行った時に、凄い人ごみがありました。そこにタレントの羽賀研二さんが車で乗り付け、裁判に出廷するところを見ました。長い列があり、傍聴席の抽選券を求めた人の群れでした。
私への相談者が裁判を望まれる場合は、法律家の弁護士先生にバトンタッチし裁判のお手伝いは専門家に繋ぐわけですが、時には同行したついでに、他の方の裁判を傍聴したりします。
裁判所は、民事の裁判と刑事裁判があり、本館のロビーにはその日、行われる裁判リストの時間割が書いてあります。誰でも自由に出入り出来て、とても勉強になります。
私は暇なとき、裁判所に行き、そのリストアップされた裁判リストの中から興味あるのをチョイスし、
自分で時間割を組み合わせて、一日中、裁判のはしごをします。
このツアーを私の中では「裁判ぴあ」と呼び、チケットぴあのように裁判ツアーをしています。
民事事件のお金の貸し借りや、職場のパワハラ、セクハラ。痴漢被害や今、テレビでよくある近所トラブルもあれば、刑事事件の窃盗、横領。一日裁判所の中を巡るには、飽きないように、色んな種類の裁判を傍聴します。裁判は色んな不幸の上に成り立つもので、若干その傍聴は野次馬的ではありますが、この裁判は現在の世の中の動きを一番敏感に表すものですから、とてもいい社会勉強になります。
特に夫婦問題と言えど、裁判までいくのは、かなり深刻で、夫婦円満調停というのも名ばかりのもので実際は勝か負けるかの戦いなのです。
特に夫婦の離婚裁判は、とても勉強になります。ここでは双方の意見の違いを聞くというより、本来は協議(話し合い)離婚が望ましい、秘密裡に家庭内で片づけたい事柄が、何故、こんな公開の場で裁判と言う形にしないといけなかったか?という、事の意味があります。現に私はそれを知りたくて傍聴します。
裁判は始めるにあたり、「私は嘘は言いません」と選手宣誓のように誓わされるのですが、それでもいざ裁判になれば、平気で前言をひるがえし、嘘をいう夫や妻に、片方がびっくりしている場面もよく見ます。これまでの証言と全く違う事を急に言い出す被告に、付いている弁護士も慌てて「次までに資料を作り直します」と、弁護士が振り回されている姿はよく見ます。
結局あんな公の場でも、自分の保身の為には人間は嘘を付く事が出来るという醜い部分はあります。
色んな人がいるな~というのを通り越し、「人って凄いな」と思います。
そんなこんなで、裁判とはなんぞや?調停とはなんぞや?などを知って行くうちに、裁判に勝つと言う事と、正しいかどうかは違うと知りました。
一般の人が裁判を起こすとか、裁判を掛けられるという事はあまりありませんが、望まなくても裁判沙汰に巻き込まれる「仕方がない」という不運に見舞われる事があります。
それを嘆いているだけでは拉致があきません。ここは受けて立つしか仕方がないのですが、その時には腹を括ってどうしたら、裁判に勝てるかを考えるしかありません。
そうです、裁判になれば、それは望む、望まないに関わらず、勝たなければならないのです。
そこで先に書きました「正しいから勝つ」という理屈が時には役に立たない事もあります。
では、裁判に勝つというのはどういう事かと言いますと、裁判のテクニックです。
弁護士を付けたから、裁判に勝てるというものでもありません。私もある裁判で目にしたのは、相手側の弁護士がとても、未熟な先生がいるという事です。
その弁護士は自分の聞きたい事は尋問という形で質問し、想定外の答えを相手側が述べたら、その弁護士は途端にテンパって、「それは聞いてない!」叫ぶのです。
多分、その弁護士を代理人に立てた依頼人は、自分の頼んだ先生が、裁判でテンパっているなんて、つゆとも知りません。
その弁護士先生は、恐らく裁判経験は少ないのでしょう。机の上に資料を出しても、まとめてないので紙をバサーっと下に落としたり、相手側から質問されても、どのページの資料を見たらいいのか、いつまで経っても、該当の資料が見当たらず、ページをめくり続けて終わり、という弁護士がいました。
でも、依頼人には「僕は新人ですから裁判はあまり経験してません」なんていう弁護士はいませんから、依頼があった場合は、自信の無さは隠して、弁護を引き受けます。
実は 私もそういう経験があります。私が経験した、お客様(相談者)の料金未払いという裁判になった事があります。相談料金を支払わないので、請求書を送ったら、本当に少額なのに、裁判を掛けてきた人がいます。たった1万円の請求に、相手は弁護士を付けて裁判をしてきました。
こうした裁判沙汰になった私の話なんて、恥かもしれません。これを読んだ方は、相談者が裁判までを申し立てをしたのは私への不満という事でしょうから、それだけの相談しかしなかったのだろうと思うでしょう。そういう事を思われる事は覚悟の上で、わざわざこうしたコラムで書くのは、色んな事がおきるというのが人生だと分かって欲しいかのです。
たった1万円の未払い料金に、弁護士料を払って裁判もすれば着手金、と裁判費用、50万円近くの支払いを裁判をしなければなりません。
それほど、不満を持ったという考え方もあります。それほど、村越がひどいカウンセリングをしたのか?と、いう風に考える事も出来るでしょう。
でも普通に考えると、支払うべき料金を払わず、請求された事に腹を立てて、弁護士費用を払って、勝つこと拘る依頼人。すべての相談者の願いを叶えてあげられない事もあります。その場合、へそを曲げて、八つ当たりをする人もいるのです。
こんな事に見舞われた私も不運ですが、何でも気の強さだけで、押し切ってこれた妻が、夫と不仲になった場合、何でも自分の思いどうりにならないからと言って、牙をむく事しか出来ない事が、ひょっとしたら、夫婦が破たんしていった原因ではないかと、分かって貰いたくて、私は裁判を受けて立つことにしました。
その結果、私は勝ったのですが、相手は弁護士を立てたにも関わらず、負けたのです。
これは弁護士も弁護士ですが、依頼人も依頼人です。これが先に書いた、粗忽者の弁護士の話です。
相談者には気の毒でしたが、裁判所での弁護士の姿を見せてあげたいくらい、弁護士としての答弁は未熟でした。
だから、一審で負けて、控訴という上告をしてくる場合は、依頼人が意地になっている事もありますが、恐らくそういう弁護士を見ていると、自分が担当した裁判が一審で負けたら、そりゃ顔が立たないでしょう。だから依頼者に、「控訴して、相手を負かしてやりましょう」とあおっているのかもしれませんが、これは実は自分の弁護能力がなかったから、裁判のやり直しを依頼人に営業セールスしたに過ぎません。
こういう弁護士の裁判を見ていると、弁護士も色々いるけれど、そういう弁護士に依頼する事もその依頼人の弁護士選びという、運の悪さを感じます。
人生はどこまで行っても、運は作用しますから、私も、実際に裁判をするという人生勉強の機会を与えてもらったと考え、あえて弁護士を立てずに自分で受けました。
よかれと思って子育てに一生懸命になっている妻も、夫の浮気に苦しめられるという運の無さはあります。これを夫選びに失敗したと嘆く人もいますが、私の裁判例のように、色んな事は人生に起きるのです。
人生は不条理な事も起きます。
車を運転していても貰い事故もあります。交通法規を守っていても、当てられる事もあります。
何故?何故?と思って、何故、自分だけがこんな目に合うの?と嘆くだけでは解決しませんから、不運を嘆くのではなく、何でも人生勉強と捉え、自分のプラスにしてほしいです。
私もこの控訴を受けて、いっぱい勉強になりました。
裁判に勝つのは正しいから勝のではありません。もちろん正しくあれとは思います。でも裁判に勝つのは「テクニック」です。
相手の答弁書を熟読し、それに対抗できる、最短で最良の言葉で、抗弁という反論をします。
ここには、感情論を書くのは厳禁です。
ここに書く事は、相手の言い分を潰せる法的根拠だけを書くのです。
つまり裁判に勝つためには、どれだけ法律を知っているか?です。
どれだけ、弁護士が司法試験を潜り抜けてきたとしても、それを活用した事のない弁護士の作成する答弁書はとても未熟です。
これは 私のような素人が見ても、抜け落ちを一杯感じるのです。
ただ、依頼者は弁護士というだけで、誰でも長けていると思っているから、弁護士に任せたら安心と思うでしょうけれど、実は弁護士だって、ピンからキリまでいるのです。
だから、今まで 私は 「裁判ぴあ」で見てきた裁判は、必ずしも正しいから勝つという事ではありませんでした。
私達はテレビのニュースで、例えば公害訴訟で、明らかに企業が悪くても、住民側が勝たないという例は、嫌と言うほど見てきました。
危険ドラッグ使用の運転手に、子供を失った親の無念な涙を何度も見てきました。
何の悪い事もしていない人間が、居眠り運転の運転手に跳ねられることもあります。
そんな、誰が見ても悪い方がいるのに、それに負ける善良な人がいます。
これは、ある意味、裁判のテクニックに負けたと言えます。
腕のある弁護士の書く文章は、非常に冷たい。
つまり相手側の感情を無視し、法律的な言葉だけを駆使して書く。
これが裁判に勝つ手法なのです。
夫と妻が向き合った時も正しいから、勝のではないのです。
戦いや、作戦が上手いから勝のです。
世の中は無情ですが、浮気をする夫は、もう離婚を決めている時は、もっと非情です。
勝利へのゴールは、その道を見極め、勝つための戦略、戦術を駆使出来た者が相手を征する事ができるのです。
今日も離婚裁判も見てきました。
夫の方は何が何でも、自分の非を認めず、妻を貶める事ばかりを作戦練って来ていました。
それに対し、妻は自分の家事育児の出来なかった部分を反省し、離婚を回避したいと懇願していました。
法定で、懇願する段階で、もう裁判は負けです。
こうして、裁判や調停という事の考え方を「和解」して今後の修復に努めたいというのは、妻側の希望ですが、実は裁判は勝か、負けるかですから、懇願をした段階で、それは白旗を上げたようなものです。
つまり裁判の本当の意味を妻は分かってないのです。
家庭の中での夫婦の話し合いは、話し合いと考えていても、夫側は妻をねじ伏せ、離婚に持って行くか?または、別居に持って行こうと、目論んでいる場合、妻の懇願は、全面降伏と捉えます。
全面降伏されたら、後は夫が好きなように運べるのです。
要は妻が全面降伏をすることは、益々夫は浮気をし放題になります。
今日の裁判ぴあを通して、やはり裁判は無情だし、当然ですが、私は裁判は勧めません。
家庭の中の話し合いという家庭内裁判も勧めません。
こんな成功率の低い事は止めて、それでも感情を抜きで解決に向けて進めていくこと。
これをまた一緒に考えていきましょう。
では、今日はここまで。