浮気をやめさせる為のセオリー
ここでは何度も書いてきた内容ですが、大事な事なので今日も書いていきます。
よく浮気性の夫は浮気を繰り返すのだとしたら、今、頑張って夫婦を修復する意味ってあるのでしょうか?と聞かれます。
世の中では、下らない男性とばかり恋をする女性がいます。
他人からすると、なんでそんな男性に惹かれるの?というくらい、人には分からないのです。
何もいいところがないように見える男性でも、彼女には優しいのかもしれません。
現に当方への相談者の妻も、異口同音におっしゃることは「根は優しい夫なのです」と言われます。
だから修復する意味とか、修復する価値とかは相談者自身が見出すものだと思っています。
でも、一度浮気をした男性は繰り返すと言うことはありますので、二度と夫が浮気をしないようなおまじないはないのです。
しかし、一つだけはっきり言えるのは、今、妻が何もしなければ、同じことが続いていくし、今、妻の対策が間違えば、夫の浮気は繰り返されますが、ここで一念発起し夫の浮気撲滅作戦に取り組むと、何もしなかった事と同じ結果ではありません。
「でも、そんなことをしても一生この人の性分は変わらないのでは?」と言われますが、対策を講じるのと、講じないのとではまったく同じ結果ではありません。
やはり、真剣に夫の浮気を終わらせようと思うとそれなりの対策は取るので、何もしないのと同じではありません。
そういう風に言うと
相談者「今までは 私なりに対策は取って来ました」と言われます。
村越「私なりにとは?」
相談者「浮気をやめて貰うように訴えました」
村越「その結果は?」
相談者 「夫が浮気相手とは別れたと言いますが、どうも信じられなくって」
村越 「だから相談に来られたのですね?」
相談者 「はい、どうしたものかと」
村越 「では自分なりにという対策が実際の解決には役立たなかったと言うことですか?」
相談者 「でもどうしていいか分からない中で、自分なりに出来ることはしました」
村越 「例えばどんな事?」
相談者 「夫のスマホを見たり 財布の中をチェックしたり」
村越 「確かに夫とは言えどプライバシーを見るのって逆に悪いことをしているのは相談者様の方って感覚ですよね」
相談者 「そうです、その事が耐え切れなくって夫に対して益々、白状を強要してしまいました」
村越 「そうなると、ご主人も益々意地になりますよね」
相談者 「そうです、そういうやり取りに夫も疲れ、一人になりたいから家を出ていくと言いました」
村越 「それでは、本末転倒と言うか、浮気問題を終わらせたいと望みながら 逆効果になり夫を離れさせてしまったと言うことですね」
相談者 「そこでどうしたらいいかと聞きたくって来ました」
村越 「では今までのご主人とのやり取りは正解とは言えないに等しい」
相談者 「でもどうしていいか分からないから、どうしようもなく夫を問い詰めるしかなかったのです」
これがだいたい、繰り返されるやり取りです。
当方にお越しになる方の相談内容はたいてい、夫の浮気を見つけ、それを責め、認めさせ反省させたいと自分で動きます。
動いたあと、ぐちゃぐちゃになってから、当方に来られます。
相談者のそれぞれの背景や夫のタイプに多少の違いがあっても、概ねこういうパターンです。
では 夫の浮気を見つけ、白状させてそのあと、どうするつもりだったか?
その次に段階までを決めて白状させる妻はあまりいません。
何故なら白状させたら、夫は謝るという風に考えているから 白状させたらそれで妻にすれば気が済むと言うことなのです。
でも、私のこれまでの仕事で見てきた経験上、言うなれば、白状させるということほど恐ろしい事はないと思っています。
何故なら、それは行き先を決めずに、バスに乗るようなもの。
つまり、バスの運転手がご主人になり、夫が行き先を決めハンドルを握ると言うことになるからです。
何故でしょうか?
それは 白状⇒謝罪⇒反省⇒浮気相手と別れる
こういう筋書きで相談者は決めつけているからです。
何故、白状したら、謝罪をするのでしょうか?
それは妻の筋書きによると、不倫や浮気は悪いことだからです。
そして悪いことはバレたら止めるのが当たり前だと思っているからです。
ここからが間違っているのです。
何故なら、浮気が悪いことと本当に思っている人は、そもそも浮気はしません。
なんなら、浮気をするのにも自分が悪いのではなく、妻が夫のことを顧みなかったからだという大義名分を言いわけにしている人は、まず、浮気がバレた時には、妻を悪者にします。
自分の浮気すらも妻のせいにする人は 浮気がバレたら、開き直るか、妻が自分を信用せず、身の回りを嗅ぎ回るのなら、お互いに信用できないから、別れようという事になります。
妻にバレたから反省などというのは妻が勝手に考えている美談に過ぎないのです。
でも、中には妻にバレたら、直ぐに認め、浮気相手と別れてくるという夫もいます。
それが本当に実行されるのであれば、それは良い事なのですが、そう言いながらも夫婦の間でしこりがあり、どうも修復が出来ないと言って相談に来られるのはなぜでしょうか?
つまりそれは バレた以上、認めないわけにはいかないけれど、とりあえず別れた事にしなければ妻はうるさくって仕方がないという場合です。だから別れたフリをするのです。妻とやり直すというフリをするのです。
本当に浮気相手と別れていたら、夫婦仲は少しは改善し、当方のドアをノックしなかったはずです。
ここから先は大事な事なので、よく読んで理解してください。
白状するということは 夫が観念するということです。
観念するという事は妻の元に帰るということではないのです。
本当に妻に心を打ち明けた時には もう夫はいっぱいいっぱいになっている時なのです。
自分が妻にどう思われるかとか、今までのように嘘を付いてでも、家庭を守りたいという頑張りを放棄した時に
人は正直になるということもあります。
正直に話すと言うことの答えは、必ずしも「妻とやり直したい」ではない可能性もあるのです。
正直に夫が白状をし、謝るという事は 妻に許しを乞う事ばかりではなく、「許されなくてもいい」ということがあります。
「そんなに本当の事が知りたいなら 覚悟の上だね」ということもあります。
相談者「お願い。何でも受け止めるから正直に話して」と言えば
夫「君には悪いけれど、もう君とはやっていけないのだ、君への気持ちは終わっているんだ」と言われたらどうしますか?
正直にさえ話してくれたらいいということではありません。
バレないなら、家庭を持ち続けたいと言うことも、ある種の本音です。
妻はそれほどまでに浮気相手が好きならば、そっちに行けばいいでしょ、というのもひとつの答えです。
そんなに浮気相手がいいなら、妻の私とは無理でしょう、というのもひとつの答えです。
この村越は常々、見て見ぬ振りはいけないとは言ってますが、問い詰めるなというのは見て見ぬ振りではありません。
問い詰めたら、本当の意味で正直な胸の内を夫は話はじめますよ、と言うことです。
それを受け止めるココロの準備があるなら、白状させてもいいのだけれど、夫の本音は必ずしも妻が望んだ答えじゃない時があります。
これは想定していますか?と言うことです。
白状=夫婦修復
って誰が決めたのですか?
一旦聞いてしまったら、その本音は、受け止めざるを得なくなります。
間違っても、認めてはいけない事ってあるのです。
例えそれば本音でも、です。
妻の元から離れてしばらく浮気相手と暮らしたいと、涙を流しながらいう夫だっています。
こんなことを白状されたら、妻は困ってしまいます。
だから、白状なんてさせてはいけないのです。
でも中には実際に浮気がバレた事で、気持ちを入れ替え、家族を大切にした人はいます。
本当に少数派で、とてもそれは夫の性格が素直な方です。
でも、何回も浮気を繰り返しているような強者は、妻にバレたからといって、直ぐに浮気をやめるような事はしません。
何故なら、浮気をやめても、夫の家庭や妻に対する不満は解消されないのです
そんな不満の因子を持ったままの妻に頭を下げて、愉しみのない家庭にもう一度戻ろうと言うことにはなりません。
では、何故妻は夫が謝ると思っているのでしょうか?
何度も同じことを言いますが それは妻の考え方の中心は
「浮気は悪いこと」という一本だけしかないということです。
そして悪いことは止めるに決まっているという決めつけをしているということです。
こういう一本槍の考えだけで夫に迫ることを一方的と言います。
もちろん、妻の気持ちは分かった上で 私は現実を告げています。
つまり通じないのです。
浮気を悪いことと思っていてもそれをすでに始めちゃってる人は、妻が思うほど悪いこととは思っていません。
その夫に「悪いことをしているのだよ」と言ったところで役にたちません。
なので 良し悪し、善悪だけでも考えたところで 相手に通じません。
通じない相手に、通じないお説教をしたら、「うるさい」と思うだけです。
うるさいと思えば 早くその場から退散したくなります。
それが「分かった、浮気は止める」ということをいう事で逃げるのです。
浮気が本当に終わっていたら、なんだかんだ、言ってもバツ悪そうにしても夫のココロは戻ってきます。
でも反面いつまで経っても妻を疎ましがっていると言うことは そんな疎ましい相手と仲良くしようという気持ちにはならないということです。
それはなぜでしょうか?
要は 浮気は終わってないから 妻がうっとうしいのです。
うっとおしいから避けるのです。
夫婦の会話ができませんとか、夫が逆ギレしますとか、表面的な事にばかりに気を取られていると、中身が見えなくなります。
何故、そうなるのか?と考えた時、「私なりにやるだけの事はしました」というのではなく
やるだけやって効果がなかったと言うことは、そのやり方が間違っていたと言うことです。
よく「そうするしか仕方がなかったのです」と言われます。
仕方がないというのは、文字通り、なすすべがないと言うことです。
でも 相談者の妻は 何もしなかったのではなく、分からないなりに「やった」ということです。
こうして 先にも書きましたが、どこ行くか分からないのにバスに乗って、どこかへ行っちゃったということです。
仕方がない、なすすべがないなら 「何もしてはいけないのです」
どうしていいかわからないのに、「やっちゃった」ということを「無鉄砲」というのです。
でも、人間は、感情の生き物ですから、何もしないではいられません。
確かに一度、対策を練って行動に起こした事は理解できます。
そこで 結果が出なかったら一度立ち止まって考えてみるべきです。
私はなすすべがない時には 闇雲に動きません。
それでも仕方がなかったと言って動く人は、何らか自分のやり方に自信を持っていると言うことになります。
もちろんこんな風に言うと、「自信なんてない、どうしていいかわからなかったから、そうするしか仕方がなかった」といわれるのですが、これを感情のままに動いたと言うことです。
もうここらで そろそろ慎重になってほしいのです。
感情をぶつけ、感情のまま行動をすればどういうことになるか分かってほしいのです。
こんな風に書くとまるで、物事が悪く進んだ原因が妻にあるように取る人がいますが そうではありません。
感情で動きたくなる気持ちは分かると言っているのです。
でも感情で動いた事が夫を引かせる結果になっているのだとしたら、ちょっと立ち止まって、方向転換をしないといけないのです。
だから仕方がないと言って無茶苦茶動くのではなく、その結果が出ない理由は何故なのだろうと、立ち止まるべきです。
「仕方がない」ということは「してはいけない」事なのです。
では今日はここまで。