浮気を白状させる為に大切な事
今日は、と言うか、今日も・・・・これまで、何度となく繰り返されて書いてきたテーマ「信じる」ということです。
今日はもう一歩踏み込んで自分の心に問いかけて頂く課題になっています。
私のところに寄せられる相談の中に、夫の不貞を許せずに苦しいとの妻からの相談が多いです。
夫が謝ってくれて、不倫相手とも別れたと言うのに、いつまでも過去の夫の浮気が許せない自分が嫌だという妻の悩みです。
確かに夫は改心してくれたというのにいつまでも拘る自分は、なんて心の狭い人間なんだろうと、自分のことが大嫌いになっているという事です。
こういう相談を受けたとき、私は気の毒でたまらない気持ちになります。
これまで、伴侶の裏切りに苦しめられ、その上、今も今後も自分を責めている姿に胸が痛みます。
そういう意味で、この問題に風穴を開けるため、解決のための分析をしてみたいと思います。
私はこの問題に限らず、人生はいつも二択だと思っています。
真実か、そうでないか。
この場合も、実はこの事がとても関係してきます。
実は、夫の不倫が本当に終わっていれば、妻の猜疑心というのも、夫との自然な生活スタイルから、そこはかとなく、自然と愛情の戻りを感じます。
そうなると、妻も猜疑心を抱きながらも、自然と夫を疑う必要のない生活が訪れ、悪い感情も時間の問題になり日にち薬では疑いの気持ちは薄れて行きます。
これは、いつくらいでそんな状態になりますか?とよく聞かれますが、それは浮気のケースにより千差万別です。浮気相手とご主人との付き合い方も、命の恋だったのか、セフレかでも違うように、浮気相手の執着心にも因るので一概には云えませんが、とにかく本当に浮気が終わっていれば日めくりカレンダーのように夫婦の仲は取り戻せます。
しかし、本当に夫の不倫が終わっていない場合もあります。
つまりこれがいつも私がいう物事の二択です。
A正真正銘、夫の不貞が終わっているのに、信じられないという単なる感情の問題なのか?
B夫の不倫は終わっていないが、疑うことを禁じられている、または自分に禁じている
上記に書いた、日にち薬で解決するのはAです。
でも、いくら頑張っても猜疑心が消えない場合は、一度Bを疑ってみてもいいのではないかと思うのです。
夫婦も一緒に暮らしていると、何が自然で、何が変かは分かります。
妻も余程の鈍感でない限り、夫の変化の内容は分からなくても、異変には気づくものです。
そこで、浮気が終わったという言葉を信じられなくなり、猜疑心というアンテナを張る為、夫にとればやりにくくなるのです。
何がやりにくくなるかといえば、残念ながら浮気の続行です。
その場合は、一度妻にばれた不倫は、これまで以上に一層、「無い物」にしなくては実行できません。
と、なると、これまで以上に夫の工作が巧妙になるのです。
では、この巧妙な工作にあっさりと信じ込まされる妻と、そうでない妻がいます。
ここでも2択です。
では、この二について解析していきましょう。
Aあっさり信じ込まされる妻・・・・・これはこれでいいのかもしれません。
何故なら、信じていることを誰にも覆せませんし、恐らく信じ込まされている妻は、信じ込まされたのではなく、どこかで信じようと自分でスイッチを切り替えた部分もあるので、意識下か無意識かは別としてこれも自分の選んだ道なので誰も邪魔する権利はありません。
では夫の不貞が終わっていると聞いているが、夫を信じられないというケースです。これがBだとしたら、妻の苦しみは大きいですが、これは夫の言い分を鵜呑みにしないという若干の抵抗が見えます。
これが成長です。
こんな風に書くと、夫を信じないことが成長ですか?と反論が来そうですが、そうです、成長です。
何故なら、一度、裏切られたら、そんなにすぐに信用できないというのは、当たり前の感情であり、
学習です。
例えば、人にお金を貸して、返して貰えなかったら、少なくともその人にまた、お金を貸しますか?
例え、今度は絶対に返すからと、懇願されても、返済してもらわなくてもいいという覚悟でなら、あげたらいいのですが、返して欲しいと思うなら、逆にその人が、お金を貸してもらえるまで、自分で信用を取り戻すのが義務ですし、貸した方に信じないといけないという義務はないのです。
湯水のように沸く温泉や油田なら、惜しげもなく、与えればいい。
でも、こちらも貸すのは限りあるお金です。
そのお金が返ってこないと困るのです。
そうなると、以前、お金を貸したときは口約束だったとしたら、今度は借用書などを書いて、相手には返済の約束を誓わせたくなるものです。
そして、万一期日までに返済をしない場合は、何らかの罰則を課せるという水臭い約束もしておかないといけません。
と、言うことは一度裏切った者は信用してもらうには、人を裏切った側に努力責任があるのです。
ただし、こういう話をすると、「これは他人同士でしょ?」のと思われると思います。
もし、これが夫婦の話だったら、そんな信じる為に、紙に書く必要もないし、信用しない妻が悪いと
妻は考えるし、夫からもそう思わされてしまうのです。
つまり、昨日まで妻を裏切っておきながら、今日からは俺を信じてくれと夫は言うのです。
そこで 妻に今後は夫を疑うことなかれと、約束させ、万一夫の携帯などをのぞき見したら
もう、離婚だ、などと脅かされます。
こうして、不倫が終わったと信じ込まされ、夫を疑う妻は心の卑しい女だと言われ、そんなに信じられないなら、もう夫婦として終わりだと宣言されるのです。
その結果、妻が夫を信じると、約束させられるか、または妻も夫婦関係が壊れることを恐れ、信じることを自分側の責任にしてしまうのです。
夫婦関係の破綻に恐怖を感じて、無理くり自分の猜疑心に蓋をして、夫を信じようと努力をしても、湧いてくる不安にどうしようも無くなく襲って来ます。
AもBも、不倫が本当に終わっていない場合の2つのパターンですがどちらも私に言わせれば、どっこいどっこいです。
夫を信じると言うことは本当に何もなければ美談で済みます。
でも人間は一度、石につまづいて転んだら、今度は転ばないように、石に注意して歩くのです。
つまり、一度転んだら、また転ぶかもしれないと用心するのが「学習」で、もう二度と転ばないと信じるのが、「盲信」です。
学習した結果、転ばなくなればそれは成長ですが、転ぶのを恐れるあたり、「二度と転ばない」と自分に暗示をかけるのは、もうおまじないと一緒。
宗教なら尊敬する教祖様を信じればいいのです。
でも、一度妻を裏切ったという事実は、余程の記憶力が鈍い人でない限り、そんなにすぐに忘れて騙した相手を信じられるはずがないです。
そういう当たり前の事が言えなくなっている状態。
要するに、騙しておいて信じない妻が悪いという夫。
この構図が間違いだと解らない限り、夫も妻も本当の間違いに気づきません。
どっちが、誰が・・・どのくらいの程度で悪いか・・・・・なんてことではありません。
何故、悪いことをしたほうが、反省したと言葉一言で、今度は妻が信じないといけないという責任を負わされるのかという点に注目しないといけません。
もし、この構図に気がつかないなら、Aの信じるように思い込まされたと言うこととBの根っこは同じだと気づけません。
夫の浮気は、妻にバレたから終わるというのは妻側の希望的観測です。
中には妻にばれた途端に、浮気相手に電話を掛け、終わった事を妻に示す人もいますが、その携帯を妻に掛けさせられた場合は如何でしょう?
恐らく、翌日にその浮気相手のところに夫は駆けつけ「昨日はごめん」と謝る事になりますし、
今度は妻にバレないようにしなければ、と尚更浮気相手とのスクラムを強化することになります。
大事な事ですので、もう一度言います。
妻にばれたから、浮気後の夫を信じると言うこと浮気を終わらせるというのは、妻側の理屈です。
夫側は、妻にはバレた事をまずいと思っても、浮気相手とだから別れようとはなりません。
何故なら、浮気をするには、すでに妻に対して愛情を感じないという理屈で浮気相手を口説いていますから、今更、妻にバレたから家庭に戻るというのは、理由にならないのです。
よく、夫側は浮気相手の事を、相談に乗っているうちに深い仲になったが、浮気相手の方が僕に近寄ってきたと言います。
そんな言葉を信じると、妻は浮気相手の女性を排除させればいいというように考えますが、実は浮気はほぼ、男性のアプローチでないと、事は進みません。
浮気はほぼ、あなたの夫のリードで始まっていると考えてもいいのです。
ですから、相手女性を引かせても、本当は夫が引かない限り、その浮気は終わりません。
だから妻にバレただけで、浮気を終わらせると言うことにならないというのは、夫のアプローチで始まった浮気の責任を感じるのは、妻に対してではなく、本当はその浮気相手に対してなのです。
それなのに、浮気がバレたら妻に向けて反省するはずだという妻の誤解です。
この思い込みを何とかしなくては、夫の反省が本物かどうかは見抜けません。
では、今日はここまで。